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社内恋愛というものは、交際が順調な時はいいのだが、そうでない時は厄介だ。将司と別れた今、そのことをひしひしと感じていた。
給湯室で来客用のお茶を準備している時だった。
同僚がやって来た。彼女は言いにくそうに、しかしどこか興味津々な顔つきで私に訊ねる。
「大原さんって、確か営業部の人とお付き合いしてなかった?」
この質問を投げかけてきたのは、彼女で三人目だ。またかと思った。滲みそうになる苦笑を微笑みに隠して私は答える。
「あぁ……。別れたんです」
「あら、そうだったんだ。最近二人の雰囲気が、今までとちょっと違うなぁなんて思ったから。変なこと聞いちゃって、ごめんなさいね」
彼女は申し訳なさそうに眉を八の字にした。
私は笑顔で首を横に振る。
「いえいえ、大丈夫ですよ。もう、終わったことですし」
彼女は取ってつけたように言う。
「そっか。じゃあ今度、合コンがある時は誘うね」
「あはは、ありがとうございます」
同僚を見送った後、どっと疲労感が襲ってきた。いちいち答えるのが面倒だという意味で、である。将司とのことは、すでに私の中では完全に過去の出来事となっていた。
しかしそう思っていたのは、どうやら私だけだったらしい。別れたはずだというのに、将司からは頻繁に電話がかかってきた。
私はそれを無視し続けた。話すことは何もないのだから、当然だ。
すると今度は、「やり直したい」、「愛している」、「君しかいない」などというメッセージまでも入るようになった。
面倒で鬱陶しいこの状況はなかなか終わりを見ず、辟易した。このまま無視し続けるだけでは埒が明かないと考えた私はある日、仕方なしにとうとう彼の電話に出た。
「もしもし」
一瞬の間が空いた後、電話の向こうからほっとした息遣いが伝わってきた。
将司の話の内容は分かっている。だから彼が話し出そうとする前に、私は淡々とはっきりとした口調で告げた。
「別れたんだから、もう、連絡してこないでください」
案の定とでも言おうか、将司の縋るような声が聞こえてくる。
『お願いだ。もう一度話を聞いてくれよ。本当に彼女とのことは気の迷いだったんだ。俺がこの先もずっと一緒にいたいと思うのは、君しかいないんだ。頼む、信じてくれ』
彼の言葉に呆れて私はため息をつく。
「信じてほしいですって?私を裏切ったあなたの何を信じろと言うの?それに今ではもう私、あなたのことはなんとも思っていないの。だから私のことはもう忘れてください。電話もメッセージも、二度とよこさないで」
『瑞月!そう言わずに……』
「さようなら」
これ以上話すことはない。私は彼の言葉を皆まで聞かずに電話を切った。これだけ冷たく突き放したのだ。さすがに諦めてくれるだろうと思いたかった。
営業職の将司は外出していることの方が多いし、所属する部署が違う今は、社内で会うこともさほど多くはない。仕事の都合上、やむを得ず会ってしまうこともあるだろうが、顔を合わせる機会が減れば減る程、私とのことは彼の記憶の中から薄れていくに違いない。後は時の流れに任せるしかないと祈るような思いでいた。
私の祈りが届いたのか、あるいは私の意思の固さをようやく知ったからか、その日以降、彼からの電話がぱたりとやんだ。これで将司とのことは終わったようだと、ほっと胸を撫で下ろした。
ところが、それからひと月も経たないうちに、彼の中ではまだ、私との関係に幕引きができていなかったことを知る。
その日残業となった私は、急ぎ足でマンションに向かっていた。諒からメッセージが入っていたのだ。帰り際に気づいたそこには、「迎えに行くから外食しよう」とあった。
急な誘いに慌てはしたが、何しろ諒に対する想いを自覚しつつあった私だ。断る理由はもちろんなく、嬉しさに口元は自然と綻び、気持ちが急いていつの間にか駆け足になっていた。マンションに到着した時には、軽く息が弾んでいた。
呼吸を整えようとしながら、建物の階段に足をかけようとした時、突然名前を呼ばれた。
「瑞月」
聞き覚えのある声にどきりとして、恐る恐る首を回した。数メートル先の植え込みの傍に、将司が立っていた。私はじりっと後退する。
「どうしてここに……」
「話をしたくて待ってた」
言いながら将司はゆっくりと近づいてきた。
彼が歩を進めたと同じ分だけ、私は後ろに下がる。
「だからって、待ち伏せするだなんて……」
「仕方ないじゃないか。君と話をしたくても、取りつく島がなかったんだから。なぁ、頼む。少しでいいから時間をくれ。部屋に入れてくれとは言わない。ここでいいから、話を聞いてくれないか」
「あなたと話すことなんかないわ」
私はくるりと背を向けて階段に足をかけた。そのまま一気にエントランスに駆け込もうとしたが、将司に捕まってしまう。
「離して!」
私は抵抗した。
しかし彼はぐいぐいと私を引っ張って植え込みの傍まで移動していった。