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#幼なじみ
湊総合病院の脳神経外科に医師として赴任した優人は、翌日から患者を受け持つことになった。
ここへ来る前の半年間は大学病院を休職していたため、外科医としてメスを握るのは久しぶりだった。
外科医という職は、日々の経験と鍛錬がものを言う。
そのため、難易度の高い手術に挑む気力はまだ戻っていなかったが、比較的安全な手術であればリハビリにはちょうどいい。
野中の助言もあり、まずは初歩的なカテーテル治療や神経内視鏡手術などを担当することにする。
どれも若い頃に何度も手掛けた手術であり、今の優人にとっては“お手のもの”と言えるものばかりだった。
この日優人は、来週神経内視鏡手術を控えた六十代の患者の病室を訪れた。
「広田さん、初めまして。手術を担当することになった尾崎です」
声をかけると、横になっていた患者が起き上がり、にこやかに答えた。
「あ! 先生ですか! 東京の有名な病院から来た名医っていうのは?」
思いがけない言葉に、優人は目を見開いた。
「誰がそんなことを?」
「ははっ、もうとっくに噂になってますよ。先生は有名な政治家の手術をしたお医者さんでしょう?」
優人はたしかに以前、取材中に急な体調不良で倒れた政治家の緊急手術を執刀したことがある。
その際、大学病院の院長とともに記者会見にも出席したため、顔を覚えている人がいたのかもしれない。
「バレてましたか」
「そうですよ。そんな偉い先生に手術をしてもらえるなんて、夢みたいです。病気が分かってから不安がっていた女房も、今じゃすっかり安心しちゃって、毎日来てた面会も一日おきになっちゃいましたからねー、困ったもんですよ」
その言葉に、優人の隣にいた看護師長・小山内薫子が笑いながら言った。
「あらあら、広田さん寂しがっちゃって。今度奥さんに言っておきますからね」
すると広田は慌てて手を振った。
「ああ、余計なこと言わないでください。うちの奴、おふくろの世話で手一杯なんですから」
「そうなんですか?」
優人が聞き返すと、小山内が説明する。
「広田さんの奥様、本当にお優しい方なんですよ。お姑さんのことをそれはもう献身的にお世話されていて……“嫁の鏡”って言われてるくらいなんですから」
妻を褒められた広田は、照れくさそうに頭を掻いた。
「素敵な奥様ですね。じゃあ、その奥様のためにも、しっかり治療して元気にならないとですね」
「ええ。先生、よろしくお願いします」
「安心してください。しっかり治しますから」
優人は軽く会釈をし、病室を後にした。
後ろからついてきた小山内が、声のトーンを落として優人に話しかける。
「聞きました。先生の奥様……まだお若いのに……大変でしたね」
優人は足を止めた。
「なぜ、それを?」
「先生がいらした大学病院に、私の同期がいるんです。この業界は狭いでしょう? だから、自然と伝わってきて……」
「そうでしたか……」
「すみません、黙っていられなくて。教授のお嬢様だったんですよね? 同期が何度かお話ししたことがあるそうで、“天使みたいに素敵な方”だって言っていました」
「はい。いつも笑顔を絶やさない、優しい妻でした」
優人の少し寂しげな表情を見て、小山内は急に明るい声を出した。
「大丈夫ですよ! この街は人も優しいし、海も近いですから。きっと先生の心も癒されます」
小山内の励ましに、優人は驚いたように目を瞬かせてから微笑んだ。
「ありがとうございます。僕も、そうなれたらいいと思ってます」
二人は目を合わせてふっと笑い合い、再び廊下を歩き始めた。
その頃、七星は病室で同僚の新井百花とベッドメイキングをしていた。
四人部屋の一人が今朝退院したため、次の入院患者を迎える準備をしているところだった。
「でさぁ、七星聞いてよ。彼ったらひどいんだよ」
「だから、そんなお金にだらしのない男なんて、捨てちゃえばいいじゃん」
「そうはいかないの! 高校のときから付き合ってるんだよ?」
「期間なんて関係ないよ。不満があるなら切ればいいのに」
「ひどーい、そんな簡単にはいかないってばぁ」
二人の会話に、男性患者たちが口を挟んだ。
「七星ちゃんは、相変わらずクールだねぇ」
「うん。でも、筋が通ってて、きっぱりしてるから気持ちがいいよ」
年配の二人が感心したように言うと、もう一人の若い入院患者が口を挟んだ。
「いや、クールすぎるのもどうかと思いますけどね~」
その瞬間、七星がギロッと睨む。
「……っ、な、なんでもありませんっ! すみません!」
慌てふためく若い患者を見て、年配の患者たちが笑いながら言った。
「あはは、七星ちゃんの睨みには敵わないなぁ」
「怒らせると怖いからねぇ。言葉は選ばないと」
そのとき、百花が若い患者に同情するように言った。
「七星っていっつもこうなんだよ、きついの」
すると年配の二人がさらに笑った。
「七星ちゃん、そんなんじゃいつまで経っても彼氏できないぞ」
「そうだそうだ。女ってのは可愛げがないと男が寄り付かないぞ」
七星は肩をすくめ、うんざりしたように言い返す。
「はいはい、そのお説教、もう聞き飽きました~。それに“男がいないとダメ”みたいな風潮、もう古いですよ?」
その返しに、年配の一人が苦笑した。
「ありゃりゃ、こりゃ何を言ってもダメだな」
「そうです! それに、今の男ってなんか頼りなくて魅力ないし、別に男に頼らなくたっていい時代なんですから」
「なるほど……それも一理あるなぁ」
年配の患者が妙に納得し始めるのを見て、百花が慌てて声を上げた。
「ちょっとちょっと、同意するのやめて! 私は真剣に悩んでるんだからぁ~!」
「ああ、悪かった悪かった」
「七星ちゃんと百花ちゃんは別問題だよな?」
「そうです!」
百花がムッとして言い返すと、病室には明るい笑い声が響いた。
ナースステーションに入ってきた優人は、すぐ近くの病室から聞こえてくる賑やかな笑い声に思わず足を止めた。
重い症状の患者が多いこの病棟には似つかわしくない、温かい空気が漂っていたからだ。
すると、看護師の一人がぼそりと呟いた。
「まーた、看護助手のくせにおしゃべりばっかりしてる」
「ほんとほんと、口ばっかり動かしてないで、手も動かしてほしいもんだわ」
「私たちの指示はムッとして聞くくせに、患者には妙に愛想がいいんだから」
陰口のような言葉に、優人は複雑な表情を浮かべた。
(この病院にも、職種ごとの派閥みたいなものがあるのか?)
大学病院でも似たような光景を見てきたため、優人はそう感じた。
そのとき、賑やかな病室から七星と百花が姿を現した。
二人とも汚れたシーツや備品を両手いっぱいに抱え、楽しそうに笑っている。
(あの子か……)
この病院に来て、彼女を見るのは二度目だった。
優人がじっと見つめていることには気づかず、七星は百花とともにリネンシュートのある部屋へと入っていった。
コメント
10件
七星ちゃんと百花ちゃんの掛け合いを聞いて患者さん達は病気の事一時でも忘れているのでしょうね 重苦しい入院生活の中で七星ちゃん達はオアシスの様な存在なのね 看護師さん達もそんな七星ちゃん達を認めて欲しいな そして優人さんの心も七星ちゃんの言動を見ているうちに少しづつ辛い事を忘れて心が軽くなっていくといいね
患者さん達と仲良く話してるだけなのに看護師の吐き捨てるような物言いにびっくり!! 患者さん達の方が見抜いてると思うなぁ🤔 優人先生の事情知られちゃったね。😓
患者さんに人気があるのは、きっと心を込めて対応しているから。相手にはそれが伝わりますよね😊 これからどんなふうに言葉を交わすのかな〜? 楽しみです🤗