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空乃 美晴
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雨晒しの原稿用紙
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翌朝、クリストルンは通知書を鞄の底に押し込み、いつもより早く出社した。
誰もいない会議室の窓はまだ薄い灰色で、机の上には昨夜のままの資料が残っている。自分の企画書の端に付いた小さな折れ目まで見つけた瞬間、胸の奥で何かが熱くなった。
九時。関係者を集めた短い打ち合わせが始まる。
「発案の経緯について、確認したいことがあります」
クリストルンは立った。
ルチノがわずかに眉を寄せる。止めるためではなく、覚悟を確かめるような顔だった。
「この案は、私が最初に新人歓迎会議で口にした内容が土台です。倉庫の返品記録、モニター調査、試作メモ、全部残っています」
「残っているなら、提出してください」
エドワインは淡々と返した。
「ただし、“個人の着想”と“会社の業務として形にした案”は別です」
冷たい言い方だった。怒鳴られたほうがまだ楽なくらい、線を引く声だった。
「でも、名前まで差し替える必要はありません」
「必要はあります。組織は個人の感情で動きません」
会議室が静まる。
クリストルンは拳を握った。負けたくない。けれど、今ここで泣いたら、本当に“感情だけの新人”で終わってしまう。
「私は、感情で言ってるんじゃありません」
「そうかしら」
エドワインは資料を閉じた。
「会議室では、感情は嫌われるの。覚えておくといいわ」
その一言で、話は切られた。
散会後、クリストルンは廊下に出た途端、壁に背を預けた。息が浅い。喉が熱い。
「悔しいのは分かる」
エマヌエラが紙コップの水を差し出した。
「でも、悔しいだけでは何も残らない」
クリストルンは唇をかんだまま受け取る。
「怒りを記録に変えなさい」
エマヌエラはまっすぐ言った。
「誰が、いつ、どこで、何を言ったか。泣くのはその後でいい」
クリストルンはしばらく黙っていたが、やがて鞄から小さなノートを取り出した。
開いた最初の空白に、震える字で書く。
午前九時三分。会議室三。発案の確認を申し出る。証拠提出を求められる。『会議室では、感情は嫌われる』。
書き終えた瞬間、不思議と呼吸が少しだけ整った。
戦い方を、覚えなくてはいけない。
泣くためではなく、取り戻すために。