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試作品第一号が形になったのは、雨上がりの夕方だった。
薄い生成り色の布に、落ち着いた椿色のリボン。耳は少しだけ下がり、抱くとやわらかいのに、中に芯のある重みが残る。お腹の内側には小さな録音部品が収まり、指先で押しやすいよう、小指の先ほどの丸いボタンが縫い込まれていた。
「……かわいい」
クリストルンが思わずつぶやく。
「ようやく言ったな」
ディトが腕を組む。
「ずっと自分で言ってよかったんですよ?」
「言う前に壊れたら腹が立つ」
ペトロニオは試作品を抱き上げ、わざと真顔になった。
「失礼します。この子、かなり仕事ができる顔してます」
「ぬいぐるみに対する評価が独特なんだよ」
クリストルンは笑った。
そこへ、店の常連客たちがぞろぞろと顔を出した。
質預かりに来たのか、噂を聞いてのぞきに来たのかは分からない。けれど、試作品が畳の上に置かれると、みんな自然と輪になった。
「触ってもいいですか?」
若い母親が遠慮がちに聞く。
「もちろん」
抱き上げた瞬間、その人の顔がふっとゆるんだ。
「軽すぎないのがいい」
「耳の形、なんか安心しますね」
「押したら声が出るの?」
「まだ仮だけど、出せます」
クリストルンが録音した短いテスト音声を流す。
『おかえり』
それだけだったのに、その場が妙に静かになった。
常連の男性が、照れくさそうに鼻をこする。
「……こんなアイテムあったらいいなって、昔思ったことあるな」
「私も」
別の女性が続く。
「子どもが小さいとき、仕事で帰れなくて。声だけでも置いていけたらって」
一人が言うと、次々に同じ声が重なっていく。
「やっぱり欲しいね」
「こういうの」
「派手じゃないのがいい」
「見た目がやさしい」
空想の域を出なかったものが、目の前で、誰かの現実の願いへ変わっていく。
クリストルンは試作品を見つめた。
独りよがりかもしれない、と何度も不安になった。泣けるだけの玩具になってしまうのではと、迷いもした。
けれど今、目の前の人たちは、それぞれの暮らしの中から必要だと言ってくれている。
ルチノが横で低く言った。
「これはもう、君だけの願いじゃない」
「うん」
クリストルンは強くうなずく。
「みんなの願いになってきた」
店先の椿の葉から、ぽたりと雨粒が落ちた。
小さな玩具は、まだ名前も決まりきっていないのに、すでに誰かの帰る場所になりかけていた。
空乃 美晴
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雨晒しの原稿用紙