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空乃 美晴
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雨晒しの原稿用紙
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日曜日の午後、地域の児童館の一室を借りて、小さな試用会が開かれた。
壁には折り紙の飾りが揺れ、窓から差す光が床の木目をやわらかく照らしている。会場の端には、月椿堂臨時開発室の面々が並んでいた。
「緊張してる?」
ペトロニオに聞かれ、クリストルンは即答した。
「してる」
「だろうね。顔が、笑ってるようで笑ってない」
「便利な観察眼やめてください」
最初に来た子どもたちは、知らない大人と見慣れないぬいぐるみに少し身構えていた。親たちも遠慮がちだ。クリストルンはしゃがみ込み、なるべくやわらかい声で説明した。
「この子はね、声を預かるのが得意なんだよ」
それでも最初の数分は静かだった。
ぬいぐるみを抱きたがる子もいれば、親の足に隠れる子もいる。録音する大人のほうが、よほど緊張しているようにも見えた。
だが、一人の男の子がぬいぐるみを受け取って、おそるおそるボタンを押した瞬間、空気が変わる。
『おやつ、帰ったら一緒に食べようね』
母親の声が流れた。
男の子の目が丸くなる。
次の瞬間、ぱっと笑った。
「おかあさん入ってる!」
その声に、部屋のあちこちで笑いが広がった。
別の子も試したがり、親たちも次々に録音ブース代わりの机へ向かう。さっきまでの緊張が、少しずつほどけていく。
ヒューバートは壁際で腕を組み、満足そうにうなずいていた。
「やっぱり、心が先に抱きついた」
「詩人みたいな言い方しないで」
クリストルンは笑いながらも、目の奥が熱い。
ある女の子は、ぬいぐるみを胸にぎゅっと抱えたまま離さなかった。
「返したくない」
「今日は試してもらう日だから」
「やだ」
真剣すぎる拒否に、部屋中が吹き出す。
ディトは表情を変えないまま、子どもたちの抱き方やボタンの押し方を観察していた。
「落下は問題なし。角も当たりにくい」
「感想が技術者」
「おまえが感動担当だろ」
親たちの顔も変わっていた。
ただ便利な機能を見る顔ではない。自分の声が、子どもの表情をほどく瞬間を見つめる顔だ。
試用会の終わり、ペトロニオがぽつりと言った。
「これ、広報いらずだな」
「それ、広報の人が言っちゃうんですか」
「言っちゃう。だって、見た人の顔がもう広告だから」
クリストルンは児童館の真ん中に立ち、子どもたちの笑い声を聞いていた。
小さな発表会だった。
けれど、ここで確かに、届く手応えが生まれていた。