テラーノベル
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翌日、美宇は鼻歌を口ずさみながら工房で教室の準備をしていた。
そこへ朔也がやってきた。
「おはよう」
「おはようございます」
「なんだか今日はご機嫌だね」
鼻歌を聞かれたかもしれないと思った美宇は、顔を赤くして答えた。
「昨日、ホエールウォッチングに行ったんです」
「へぇ、行ってきたんだ。で、クジラは見えた?」
「はい。クジラだけじゃなくて、イルカとシャチにも会えました」
「それはラッキーだったね。僕も一度だけ行ったことがあるけど、シャチしか見られなかったよ」
「そうなんですか?」
「うん。でも、うちの二階のリビングからは、クジラが見えるけどね」
「え? ここから見えるんですか?」
「うん。望遠レンズ越しにね」
「わあ、羨ましい! 家からクジラが見られるなんて……」
美宇は心から羨ましそうに言った。
「私も望遠レンズ付きのカメラを買おうかな……」
「わざわざ買わなくても、使いたいときは貸すよ。ところで、昨日はウトロから船に乗ったの?」
「いえ、羅臼からです。その方がクジラに会える確率が高いって聞いたので」
「へぇ……車で?」
「はい。アパートの隣人がツアー会社をやっているので、乗せてくれました」
「それはラッキーだったね。その人は男性? 女性?」
「女性です」
「そっか……」
隣人の性別を聞かれた美宇は、一瞬驚いた。
なぜそんなことを聞くのか、不思議に思った。
一方、朔也も、自分が美宇の同行者の性別を気にしていることに驚いていた。
こんな気持ちになるのは、彼にとって初めてだった。
(どうしてこんな気持ちになるんだ……)
朔也は戸惑いを隠せなかった。
その日の午後、陶芸教室で賑やかな時間を過ごした美宇は、生徒たちが帰ってから、後片付けをしていた。
そこへ朔也がコーヒーを持ってきてくれた。
「コーヒーをどうぞ」
「ありがとうございます」
美宇はテーブルを拭き終えると、椅子に腰かけ、淹れたてのコーヒーを一口飲んだ。
生徒たちとのお喋りで乾いていた喉に、コーヒーが心地よく染み渡った。
「美味しい」
「この前話してた星空ツアーだけど、明日の夜はどうかな? 天気は晴れの予報だし、新月で月明かりもないから、綺麗な星空が見られそうだよ」
突然の誘いに、美宇は一瞬ドキッとした。
「大丈夫です」
「じゃあ、工房の仕事が終わったら一度アパートに戻ってもらって、夜八時に迎えに行くよ」
「分かりました」
「寒いから、あったかい格好してきてね」
「はい」
ドキドキしながらも、美宇は平静を装って返事をした。
翌日、仕事を終えた美宇はアパートへ戻った。
今夜はいよいよ星空ツアーだ。
ホエールウォッチングの興奮がまだ冷めやらぬうちに、今度は満天の星空ツアーだ。
この地に移住してからというもの、刺激的な日々が続いている。
夕食を済ませ、出かける準備をしていると、突然携帯が鳴った。
画面には、前の職場の同僚で大学の同期でもある松本麻友の名前が表示されていた。
「もしもし?麻友?」
「美宇? 今、大丈夫?」
「うん、大丈夫。今、家に戻ったところ」
「グッドタイミング! あ、クジラの写真ありがとうね。すごいね、あんな近くで見られるなんて。私もそっちに遊びに行ったら絶対見たい!」
「案内するから、ぜひ来て!」
「冬は寒そうだから無理だけど、来年の春か夏には行きたいな~」
「おいでよ! 待ってる! で、今日はどうしたの?」
「あ、そうだった……実は、美宇に伝えておきたいことがあってさ」
「何?」
「うん……それがね、沢渡先生のことなんだけど……話しても大丈夫?」
突然、元恋人・圭の話題が出てきて、美宇は驚いた。
「う、うん、大丈夫だよ。どうしたの?」
「それがね、美宇が北海道に行ったってこと、誰かから聞いたみたいなの」
「え?」
「あ、でも心配しないで。『北海道』ってだけで、住所までは知らないから。住所を知ってるのは私だけだし。でも今日ね、『七瀬さんの住所知ってる?』って聞かれちゃったんだ」
「…………」
「ごめんね、せっかくそっちで心機一転頑張ってるのに……。でもなんか嫌な予感がして、一応伝えておこうって思って」
「ううん、教えてくれてありがとう。でも、今さら何なんだろう……」
「婚約者とうまくいってないのかも。なんか、そんな噂が流れてきたから」
「え? そうなの?」
「うん。だって、あのユリアって女、超わがままじゃん!」
「前からそんな噂はあったけど……でも婚約してるんだから……」
「きっと、婚約して安心した途端に本性を出したんじゃない? いずれにせよ、美宇が巻き込まれたら困るから、伝えておきたかったの」
「ありがとう、助かるよ。でも、もしまた聞かれても、住所は絶対に教えないでね」
「もちろん、言わないよ。でも、元気そうな声で安心した。まあ、そりゃ元気にもなるよね~……だって、イルカやクジラに気軽に会えて癒してもらえるんだもん」
「ふふっ、麻友は水族館好きだったもんね」
「そうそう。それより、青野朔也って人はどうだった? どんな人?」
「う、うん……思ったより若かった」
「若いって、どのくらい?」
「40くらいかな?」
「マジ? 独身なの?」
「たぶん……」
「顔は? イケメン? それとも残念な感じ?」
「わりとイケメン……かな?」
その答えに、電話の向こうで麻友がニヤリと笑った気がした。
「ふーん、そっかあ……美宇、分かっちゃったよ」
「分かったって何を?」
「一目惚れしたでしょ?」
「し、してないしてない……なんでそんなこと言うの?」
「言ったでしょ。私は勘がいいって」
「ち、違うから、そんなんじゃないから……」
「ふーん、まあいいわ。でも、美宇が楽しんでるみたいで安心したよ。環境を変えたのは正解だったね」
その穏やかな口調に、美宇はハッとした。
(麻友は、ずっと心配してくれてたんだ……)
ここまで気にかけてくれていた友人の存在に、美宇は胸がいっぱいになった。
「うん、そうかも。麻友、いろいろ心配かけてごめんね。私はもう大丈夫だから」
「その言葉が聞けてホッとしたよ。じゃあ、またかけるね」
「うん、ありがとう」
美宇はそこで電話を切った。
心の中が、何かあたたかなもので満たされていくのを感じた。
次の瞬間、時計を見た美宇は「あっ!」と声を上げた。
「そろそろ支度しないと」
そして美宇は、星空ツアーの準備を始めた。
コメント
33件
もう意識してますね☺️ 星空ツアーも楽しみです⭐️ 素晴らしい自然に触れて気持ちも穏やかになりますね やはり北海道に来て良かったのかも❣️
朔也さん、美宇ちゃんと同行した人の性別気にしてしまうなんて、これはもう好きでしょ💕星空ツアー⭐️ドキドキ 進展期待!楽しみです🩵 元カレ今更💢北海道まで来そうで嫌😨
星空ツアーってロマンティック😆💕💕 クジラ🐳の次は満天の星を眺めて北海道にいる時間を満喫してね。2人の仲も縮まる予感٩(*´˘`*)۶ あらあら…元カレってお呼びじゃないわよ!!北海道まで離れたんだから美宇ちゃんを追いかけて来ないでね(ෆ`꒳´ෆ)