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甘すぎる夜を諒と過ごしてから一週間。彼の部屋で一緒に生活するようになってからは、二週間ほどがたっていたが、彼の部屋には私の物がずいぶんと増えていた。
キッチンを使うのが今ではほぼ私ということで、私の使いやすいように物の配置を変え、不足していた料理道具や食器を買い足した。
諒はそれらを見て、もう結婚生活が始まっているみたいだな、などと言って笑った。
そんな彼の言葉もあって、「結婚」の現実味が一段と増してきていたある日の夜、母から電話がかかって来た。
ちょうどその時、諒は入浴中で部屋にいなかったが、私はバスルームから最も遠い寝室に急いで移動し、そこで電話に出た。気の回しすぎかもしれないが、万が一電話中に諒が戻って来て、彼と同棲している気配が電話を通じて伝わってしまうのはまずいと思ったのだ。婚約者同士であっても、また、それが暫定の期間であっても、私の両親は結婚前の男女の同棲を許すことはないだろうから。
「もしもし」
『ごめんね、忙しかった?』
「大丈夫だよ。すぐに手が離せなかっただけ」
ひと通り簡単に近況を報告し合った後、母は私に訊ねる。
『それで、お式のこととか、話は進めてるの?』
「えぇと、これからかな」
『まぁ、そうなのね。お正月は二人一緒に帰って来られるのかしら?その時にでもそういう話ができたらいいんだけど、って、真希子さんと話していたのよ。諒ちゃんはやっぱり忙しくて無理かしらねぇ』
「諒ちゃんの予定、聞いておくよ」
『えぇ、そうしてちょうだい。ところで、瑞月。お父さんと話したんだけどね。もう、諒ちゃんと一緒に住んだらどうかしら』
「えっ!」
私は驚いた。母の言葉があまりにも予想外だったためだ。
『だってあなたたち、結婚するんでしょ?お母さん、あなたが諒ちゃんと一緒にいてくれた方が安心だわ』
「お母さんって、そういうのは反対だと思ってた」
『そうだったんだけど、この前あんなことがあったでしょ?それに、お相手が私たちもよく知っている諒ちゃんだし、だったらそうしても構わないんじゃないかしらって思ったわけ。お父さんもね、やっぱりその方が安心だよな、って言ってたわ。最初は反対してたんだけどね』
母の口ぶりだと、すでに諒と一緒に住んでいることを正直に話したとしても、あまり問題はなさそうだ。しかし、打ち明けるのは諒と相談してからにしようと考えて、曖昧に答えておく。
「じゃあ、そのことも諒ちゃんと考えてみようかな」
『ぜひ考えてみて。そろそろ電話を切るわ。諒ちゃんにもよろしくね』
「うん。一緒に住んだら、って、お母さんが言ってたことも伝えておくね」
念を押す意味もあって、私はあえて母の言葉を繰り返し、それから電話を切った。さてリビングに戻ろうと開けたドアの向こうから、私を呼ぶ諒の声が聞こえてきた。私は廊下に出てぱたぱたと諒の元へ急ぐ。
「姿が見えないから、どうしたのかと思ったよ」
「さっきお母さんから電話があってね。一緒に住んでることがバレないようにと思って、寝室で話してたの」
諒は私の肩を抱きながらリビングへ足を向ける。
「やっぱり、おばさんたちにバレたらまずいよな」
不安気に眉根を寄せる彼に、私は早速母との電話の内容を伝える。
「実は、今の電話でお母さんに言われたの。諒ちゃんと一緒に住んだら、って」
「えっ?」
諒は私以上に驚いたらしく、目を丸くした。
「この前あんなことがあったでしょ?だから、もう諒ちゃんと一緒に住んでくれていた方が安心できる、って」
「それで、今俺たちが、一緒に住んでることは話したのか?」
「まだよ。念のため諒ちゃんに確認してからの方がいいかな、と思って。私が勝手に話して、お母さんの方から諒ちゃんのお家に話が伝わるのは、どうなんだろうって思ったから。私の家の方で良くても、諒ちゃんのお家の方ではだめだって言うかもしれないでしょ?」
「うちの親たちは反対なんかしないよ。早く瑞月をもう一人の娘にしたがってるんだから。しかし、あのおばさんがねぇ……。とにかくそういうことなら、早く引っ越しの段取りを組んでしまおう」
ソファに腰を下ろした諒はスマホを手に取り、自分のスケジュールを確認し始めた。
「いつがいいかな。俺の休みは、っと……」
彼の横顔はうきうきして見えた。その様子を眺めているうちにあることが思い出されてきて、私はからかうような目で彼を見る。
「本当にもう、ずっと一緒に住んでもいいの?諒ちゃん、前に言ってなかった?もうしばらくは恋人としての時間を過ごしたいって。だったら、まだ別々の所に住んでいた方が、諒ちゃんが言う『恋人気分』っていうのを満喫できるんじゃないの?」
諒はスマホをテーブルの上に置き、私に向き直る。
「確かに言ったよ。でも、一緒に住んでいても『恋人気分』は十二分に味わえてる。それよりなにより、俺はもう、一人の生活には戻れない。手の届く場所に瑞月がいるこの毎日が、今では当たり前のことになっているんだ」
諒の言葉が嬉しくて、私の目も頬も口元も緩む。
「それは私も同じだよ。それじゃあ、早速明日にでも業者さんに連絡しなきゃ。これからだと、年明けになるね」
「そうだな。色々と忙しくなるな」
彼もまた満面に笑みを浮かべて私の背に腕を回し、ところで、と話し出す。
「年末年始に、交代で何日か休みをもらえる予定なんだ。その時実家に帰って、今後のことを父さんと話してくるつもりでいる。この前瑞月と向こうに行った時は未定だったけど、あの後何回か父さんと連絡を取り合ってね。時期は未定だけど、父さんのクリニックを手伝う話になったんだ。タイミングによっては、当面の新婚生活はこの部屋で送ることになるかもしれないんだけど、それでもいいか?」
「もちろんよ」
私は笑顔で頷いたが、ある不安が不意に頭をよぎった。私たちの新生活に影を落とされたくないと思う。
「そう言えば、あれ、もう終わったのかな」
「あれか……」
諒はふっと考え込むような顔をして宙を見つめる。
「瑞月がここに来てからは、特におかしなことは起きていないよな。二、三日おきに、お前のマンションに様子を見に行ってるけど、郵便受けに怪しい手紙は入っていなかった。ドアポストは見てないから分からないんだけど……」
「一週間くらい前に部屋に寄ったでしょ。少なくともあの時に確認したドアポストの方も、問題なかった。諒ちゃんの方はどう?病院で変わったことはなかった?」
「特には何も」
ほんの一瞬、彼の瞳が揺れたように見えた。私は彼に念を押すように問いかける。
「本当に何もなかった?」
「あぁ、何もないよ。俺のことは心配いらない」
諒はにっと笑って私にキスをした。
何かをごまかすためのキスだったような気がした。けれど、私に心配をかけまいとしてのことかもしれないと思い、それ以上訊ねることはやめる。
「もう少し様子を見て、それで何もなければ終わったと思っていいよね」
「そうだな」
曖昧な彼の言い方に不安を覚えた。けれど、きっともう終わるはずだ、引っ越してしまえばその不安が私を追ってくることもないはずだと、私は自分に言い聞かせた。