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#バトル
319
空詩
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ライエンの振り下ろした短剣が、柊也の頭上へと勢いよく落ちていく。 その瞬間、当事者である二人は共に確信していた。
柊也は、もう助からない。
ライエンは満足気な笑みを浮かべ、柊也は想い人の事を考える事で、迫る死の恐怖から意識を逸らした。 三、二、一……などと数える暇すらなく、 振り下ろされる短剣を、柊也には避ける術もなかった。覚悟を決め、固く身を強張らせる。 ——だが、その状況は男の低い声をきっかけに一変した。
「……——流石に、この辺にしておきましょうね」
突如聞こえる、地を這う様なくぐもった声。 少し聞き取り辛く、どこか現実味が無い。だが確かに聞こえたその声に、柊也は恐る恐る目を開け、ライエンの方を見上げた。
すると彼は、黒い塊に後ろから首を締め付けられ、動けなくなっていた。 カランッ——と鈍い音を立て、短剣が石造りの床へ落ちる。
「かはっ……。な、何……も……」
柊也と同じく状況を理解出来ていないライエンが、自身の首や頭へまとわりつく黒い腕の様なモノを掴み、必死に剥がそうとする。だが、まるで力が入らない。 焦りからか額には汗が滲み、顔色も真っ青だった。
「お前が何を思い、何を考えてこの様な行動をしたのか知りたくて様子を見ていましたが……もう、ここまでですよ」
ライエンへまとわりついているモノは、どうやら彼自身の影の様だった。 本来なら床へ落ちているはずの影が、意思を持って動いている様に見える。
だが、その輪郭はライエンとは違っていた。
長い髪を後ろで一つに束ね、彼より少し背が高い。頭には尖った耳があり、腰の辺りからは大きな尻尾の様な塊も見えていた。
「……ルナール?」
「はい、トウヤ様」
柊也の問い掛けに、影はそう答えた。
聞き慣れぬ声だった。だが、馴染み深いその返事を聞いた瞬間、柊也は胸に抱えていた衣類を床へ落とし、前のめりになって叫ぶ。
「……ル?な、何故だ!お前はさっき消えたはずじゃ——!」
腕の拘束から逃れようと、ライエンは必死にもがく。だが、振り解けない。
「瑣末事に構っている場合ですか? 私があと少しでも腕に力を入れれば、頸動脈が絞まりますよ」
「……ワタシは、この国の王子だぞ?そ、その様な者を、本気で殺す事など……出来るはずが——がはぁっ!」
ルナールが少しだけ腕に力を入れた途端、ライエンが苦し気な声を漏らした。 彼の顔色がさらに悪くなる。
「はぁ……。実に残念です。私はもっと、『兄弟』という存在に夢を持っていたのに。モユクとヨモノの爪の垢を飲ませてやりたいですよ、全く」
「モユ……?な、何の話だ……」
喉を潰された様な濁った声だったが、ルナールはまるで聞いていない。
「ですが、貴方の民へ向けられた愛情は実に素晴らしいものでした。でも、独占欲が強過ぎるのは考えものですね。その為にトウヤ様を始末しようとした考えも、認める事は出来ません」
再び腕に力が入ったのか、ライエンが目を見開いた。 喉が締まり、声も出せず、開いた口の端から涎が落ちる。
柊也が大声で制止する。
正直、その気持ちは理解出来る。だが、流石にやり過ぎだ。 もし本当にルナールを失ったままだったなら、止めなかったかもしれない。だが柊也は、『王族に手を出すべきでは無い』という理性を優先した。
「私も同感です。その者を殺されては困るなぁ。うん、実に良くない」
また別の声がホールへ響き、三人は一斉にそちらを向いた。 視線を一身に浴びた人物は、ラモーナ王妃の愛用品である椅子へ腰掛け、足を組みながら頬杖をついていた。
床まで届く真っ黒な長髪。 頭から生えた大きな巻き角。 燃える様に紅い瞳。 黒い服、真っ白な肌、鋭い爪、口元から覗く八重歯。 吸血鬼を連想させる容姿だったが、全身から漂う雰囲気によって、柊也は直感する。
——この人は悪魔だ、と。
「た、助けてくれ……アザトースッ」
ライエンが必死に手を伸ばす。 だがアザトースはそれを無視し、ルナールへ視線を向けた。
「今は……『ルナール』というんだったね。お前は、その者をどうしたいんだい?」
紅い瞳の奥には、不思議な温かさがあった。 まるで、誰かを懐かしんでいる様な色。 だが、それに気付く者は此処にはいない。
「……もう、殺す気は無いです。それがトウヤ様の御意志ですから」
「そっ?ならオッケー。さぁ、あとは好きにどうぞ」
あまりにも軽い口調だった。
ライエンの焦りが加速し、『彼は味方では無いのか?』と柊也も驚く。 ルナールは少し気持ちが落ち着いたのか、首へ回していた腕の力を緩めた。 その瞬間、ライエンが慌てて叫ぶ。
「た、助けてはくれないのか⁈ワタシに召喚された身なら、助けるものじゃないのか!」
「貴方は『債務者』で、私はそれを『取り立てる為だけに召喚陣を利用した』と言ったはずですが?」
「『債務者』だと言うなら、尚の事ワタシを助けたらどうだ!召喚の代償を取り立てられなくなるんだぞ!」
怒鳴る声は酒灼けした様に潰れており、聞き取り辛い。
「殺されはしないらしいですよ?なら良いではないですか。私は『愛し子』の意思を優先したいのでね」
ニッと笑ったアザトースの顔に、柊也は背筋が冷える様な寒気を覚えた。
「……愛し子?誰のこ——」
ライエンの言葉を遮る様に、アザトースがルナールへ問い掛ける。
「ルナール。お前は『コレ』をどうする?殺す気は無いとは言っても、このまま解放する気など……もちろん無いのであろう?」
煽る様な言葉だった。 柊也は慌ててルナールの元へ駆け寄ろうとする。だが、声が出ない。 体も動かない。 まるで金縛りにあった様に、指一本動かせなかった。
もちろん、アザトースの仕業である。
「……そうですね。『呪い』の恐怖を、身を持って味わって頂こうかと思います。『人間化』しか知らぬ身な為か、随分と巫山戯た事をぬかしていましたからね」
表情の無い影であるはずなのに、不思議と怒りだけは伝わってくる。
ルナールが左手をライエンから離す。 するとその手がゆっくりと巨大化し、五本の爪が長く伸びた。 まるで凶器だ。 全てを呑み込みそうな漆黒の手が、ライエンの顔へ近付いていく。
影が落ちる。 その瞬間、ライエンは本能的に理解した。
——死ぬ。
柊也は、本当にルナールに殺意が無いのか疑いたくなった。 だが動けない。 止める事も出来ない。 視線だけをアザトースへ向けるが、彼は楽しそうに二人を眺めているだけだった。
「お前は随分と『人間』が、特に……『トウヤ様』がお嫌いの様だ。『兄』に対する感情も考え方も、実に身勝手極まりない。なのでお前には、『トウヤ様と兄を敬愛対象として行動する呪い』をかけてあげましょう」
ルナールの声は静かだった。
「本心はそのままに、表へ出る行動だけは、愛すべき対象へ向けるものしか出来なくなる『呪い』です」
「……は⁈な、なんだソレは!気持ち悪い!それが『呪い』か⁈ただひたすらに気味が悪いだけだろうが!意味がわからん!——や、やめろぉぉぉぉ!」
ライエンが必死にもがく。 だが、巨大化した黒い影は真正面から彼を追い詰め、そのまま全身を抱き潰す様に握り込んだ。
恐怖と嫌悪感に、端正な顔が醜く歪む。 巨大な手の中で光が生まれ、紅い楔形文字に似た紋様が浮かび上がった。 その紋様がゆっくり角度を変え、楔の様にライエンの体へ突き刺さる。 ——次の瞬間、それは吸い込まれる様に消えた。
「あ……あぁ……」
呆然とした声。 ルナールが腕を離すと、ライエンはそのまま気を失った。
崩れ落ちそうになった体を、アザトースが即座に受け止める。 まるで荷物でも持つ様に、軽々と抱え上げた。
「さて、これで満足したかな?この子は私が引き取ろう。なーに、心配はいらないよ。ちょっと痛い思いをするだけで、後でちゃんとレーニア達へ返しておこう」
そう言うアザトースの目は、完全に肉食獣のものだった。 彼の言う『ちょっと』が、決して軽い意味では無い事など簡単に理解出来る。
「……今更ですが、貴方は一体?」
ルナールが訊ねる。 柊也も『本当に今更だ』と思った。
「私かい? あぁ、そうか。言わないとわからないよな。私の名前は『アザトース』。獣人達には『魔王』と呼ばれている男だ」
アザトースは笑う。
「だが実態は、この国で言う処の『黄泉』の様な国で魔物達をまとめている、ただの管理人さ。今回はレーニアと意見が一致したので姿を表したが、普段は引き篭もりつつ絶賛婚活中のオッサンでしか無いので、警戒はいらないよ。だから そう怯えるな。私はただ、『愛し子』である『一人息子』の『愛の行く末』を、少し近くで見てみたかっただけさ」
「お、怯えてなど!」
ルナールが強がる。 だが今の彼では、もしアザトースが本気になれば柊也を護りきれない。 それを見抜かれているのだ。
そんなルナールへ、アザトースが父親を思わせる穏やかな笑みを向けた。
「私は今、とても満足しているよ。この『結果』にね。だから暇つぶしついでとはいえ、そこにいるお前の『花嫁』へ手出しはしないさ」
愉しげに細められた紅い瞳。
「遊び心で絡んだ『債務者』でしかなかったこの子を、面白いやり方で『蜜のかかったご馳走』にまで昇華させたその手腕は見事だった。見た目では兄を慕い、純なる子を敬いながら、心は悲鳴をあげ続ける……実に素晴らしい」
恍惚とした声だった。
「元々持っていた強過ぎる自己愛や執着心も好みだったが、最後の仕上げをしたのが『お前』で、私は本当に嬉しいよ。傷付く人々の苦しみや悲しみは、甘美なワインの様だからね。だから『コレ』は、私が『嫁』として美味しく頂いておこう」
そう言って、アザトースはルナールの頬へ軽く口付けた。 挨拶程度の軽いものだ。 だがルナールは驚きで硬直し、その場で固まってしまう。
離れたアザトースが満足気に微笑んだ。 一瞬だけ愛情に満ちた目をしたが、すぐにニタリとした笑みに変わる。 ルナールから一歩離れると、アザトースの足元へ真っ黒な染みが現れた。 ライエンを抱えたまま、彼の体がゆっくり沈んでいく。
「こんな形で『婚活』が終わるとは、たまには獣人達へ関わってみるものだねぇ」
くすくす笑うアザトースへ、ルナールが声を掛けた。
「本当に、ライエンを母達へ返す気はあるのですか?」
「あぁ、あるよ。美味しく頂いて、式を済ませた後にね。……っと、普通は逆だったね。あはは!」
やれやれ、と言いたげにルナールが頭を抱える。
「……お別れをしないと、お前のその体も、もう消えちゃうよ?いいのかい?」
沈み続けながら、アザトースがそう言った。 同時に、柊也へかけられていた拘束が解ける。 自由になった彼は、一直線にルナールへ抱きついた。
子供の様に泣き叫びながら、必死に縋り付く。 一度失ったと思ったルナールが再び現れ、助けてくれたというのに、また失うなど耐えられない。
どんな姿でも良かった。
傍に居て欲しかった。
その一心で、柊也は強く影へしがみつく。
「……トウヤ様。お願いです、ユランの元へ行って下さい」
「嫌だ!ルナールの傍に居たい!君が好きなんだ!ルナールが傍に居てくれないと……僕は、この世界に居る意味が無いじゃないか……」
涙が次々と零れ落ちる。
「……『彼』を、『彼等』の『魂』を救って下さい、トウヤ様。これはもう、貴方にしか出来ませんから」
『彼等』
それが『ユラン王子』と『ニャルラトホテプ』を指しているのだと、柊也は気付いた。 だが、彼は瞼を強く閉じ、激しく首を横へ振る。
「無理だよ……。今の僕じゃ無理だ。君が居ないと……」
——そして、 次に柊也が目を開けた時には、もう目の前にルナールの姿は無かった。