テラーノベル
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栞は自室に戻り、椅子に座ると深く息を吐いた。
父と二人暮らしだった頃は、近くに住む父方の祖母が頻繁に家事を手伝いに来てくれた。
祖母が作る手料理は、家庭的でとても美味しかった。
祖母も義理の母・弘子と同じく、裕福な家の出身だった。
祖父が会社の社長をしていたので、社長夫人でもあった。
しかし、祖母は弘子とは正反対で、家事や料理が得意だった。
当時、父は仕事から帰ると、祖母が作った料理を美味しそうに食べていた。
あの頃は、誰に気兼ねをすることもなく、楽しく穏やかな日々を過ごしていた。
母がいないことは淋しかったが、父と祖母がたっぷりと愛情を注いでくれたおかげで、栞はいつも温かい気持ちに包まれていた。
義理の母・弘子は、悪気はなく、精一杯やっているのかもしれない。
その証拠に、栞に対して冷たい態度をとったり、意地悪をするようなことは一切なかった。
ただ、少し他人行儀なだけだ。
弘子は血の繋がらない娘にどう接していいのか分からないのかもしれない___栞はあえてそう思うようにしていたが、最近、それは違うのではないかと思い始めていた。
なぜなら、栞だけがよそ者扱いされ、この家にまったく居場所がなかったからだ。
(この家は、もともと父と母の家だったのに……)
虚しい気持ちのまま、栞はのろのろと立ち上がり、制服を脱いでジーンズに着替えた。
そのあと、ふと思い立ち鞄の中からクリニックでもらった本を取り出す。
椅子に腰かけると、栞はページをめくり始めた。
気づけば、夢中で本を読み進めていた。
途中、弘子が「風呂に入りなさい」と声をかけてきたため、読書をいったん中断したが、風呂から上がるとすぐに続きを読み始めた。
ページを進めるうちに、栞の心の中で何かが少しずつ変わっていくのを感じた。
本に書かれていた内容は衝撃的で、これまでの栞の常識を覆すものだった。
栞は、その本を通じてある事実に気づいてしまう。
『自分は搾取されている』
その事実に、栞は愕然とした。
そして、本には次のようなことが書かれていた。
『自分の意志を持たない人間は、ズルい人間に利用される。相手の意見を無条件に受け入れているうちに、常になめられる存在になる。弱い人間がズルい人間に搾取され続けると、さまざまなものを奪われ、人生を滅茶苦茶にされてしまう。その結果、搾取された側は疲弊し、無気力に支配され、最後は精神を病んでしまうことも多い』
栞がさらに衝撃を受けたのは、次の言葉だった。
『世の中には、あえて他人を利用しようとして近づいてくる悪い種類の人間が存在する。弱い人間は、困ったときに近づいてくる人間を優しい人だと勘違いしてしまう。そして、気づかないうちにどんどん搾取される』
その時栞は、これまでの自分を振り返った。
たしかに栞は、トラブルになることを恐れて、常に自分の意見を押し殺し、波風を立てないように生きてきた。
その結果、住み心地の良かった家は、後から来た人たちによって無茶苦茶にされてしまった。
亡き母が揃えたものはすべて買い換えられ、思い出が詰まった物も全て処分されてしまった。
そして、最も悔しかったのは志望校の変更だ。
本来なら受験できるはずの大学を、諦めるよう強要された。それも、どうでもいいような身勝手な理由で。
それは、まさにズルい人たちによる搾取であり、本の中で書かれていた内容そのものだった。
栞はこのとき、自分の中にある隠れた怒りに気づいた。
本当は叫びたいほどの不満がたくさんあるのに、それを心の中に押しとどめ我慢し続けた結果、ついに身体が悲鳴をあげた。
それが、今日の発作だ。
栞は、彼女たちに搾取され続けていた事実に、今ようやく気付いた。
いや、それは栞だけでなく、父も同じかもしれない。
その衝撃の事実に愕然としながら、不思議と腑に落ちる部分もあった。
栞は、いつまで経っても弘子と華子に心を開けずにいた。
二人を信頼するどころか、むしろ不信感を抱いていたため、これまでよそよそしい関係しか築けなかった。
その時、栞はなぜか笑いがこみ上げてきた。
新しい家族や姉妹____そんなものに幻想を抱いていた自分が、馬鹿らしく思えた。
今まで自分の気持ちを抑え、二人の顔色をうかがいながら迎合してきた自分が情けなくなってくる。
こんなことは、もう続けるべきではない。
栞は一度深呼吸をすると、本に視線を戻し、著者のプロフィールを確認した。
『kai』という著者は、現役の精神科医で、臨床データや多くのカウンセラーからの調査をもとに、この理論を構築したようだ。また、データの出典元も詳細に記載され、その内容は非常に信頼できるものだった。
これまで栞は心理学や自己啓発に関する本を何冊も読んできた。しかし、この本ほど核心を的確に突いたものには出会ったことがなかった。
著者は、日本における自殺やいじめの多さにも言及している。
それは、『搾取する側の人間』が、『搾取される側』の人間を追い詰めた結果であると断言している。
栞は、日本の自殺者数が世界でも上位に位置することを知っていた。
そして、いじめが減らない現状に対して、ずっと疑問を抱いていた。
世界の中で、日本は豊かで平和な国のはずだ。それなのに、自殺やいじめが多いというのは矛盾している。
それは、著者の言う通り、『搾取する側』の人間が存在するからかもしれない。
さらにページをめくると、最後の章には『ズルい人』への対処法が記されていた。
ズルい人への対処法は、基本的に『スルーする』ことです。
話しを聞かず、距離を取り、約束をしない____これが重要です。
それでも、ズルい人は搾取するために優しい人のふりをして近づいてきます。
そして、お説教をしたりマウントを取りながら、こちらを追い詰めようとすることがあるでしょう。
そんな時には、次のように行動してください。
●相手に自分の意見をはっきり伝える。
●時には、相手にマウントをやり返せ。
●それでもしつこく絡んでくる場合には、早急にその場から全力で逃げる。
著者からのアドバイスは、以上のようなものだった。
栞はそれを読んで、思わず声を出して笑った。
「フフッ、こんなアドバイス、他の本では見たことないわ」
最後の章を読み終えた栞は、一番最後のページに目を通した。
そこには、こう書かれていた。
『あなたが自分自身を大切にしてあげなくてどうする? この本を読み終えたら、すぐに自分を大切にすることに意識を集中してください。そして、ズルい人たちに決して屈しないでください。なぜなら、あなたの命はかけがえのないものだから。あなたには幸せになる権利があるのだから……~kai~』
最後のページを読み終えた栞の瞳からは、涙がポタポタとこぼれ落ちてきた。
栞はしばらくの間、声を押し殺して泣き続けた。
どのくらい泣き続けていただろうか?
泣き疲れた栞が顔を上げふと窓の外を見ると、夜の闇に包まれていた東の空が、白み始めていた。
栞は空が明けていく様子をじっと見つめながら、本をギュッと胸に抱きしめる。
(私はこの本に救われた……絶対に合格して、自由を勝ち取ってみせる! そして、誰にも搾取されない人生を、自分の力で歩んでみせる!)
栞は、そう強く心に誓った。
コメント
21件
夜明けと栞ちゃんの覚醒❣️明けない夜はない‼️と思わせてくれる描写が素晴らしいです 直也先生の本 栞ちゃんにダイレクトに響いてますね
直也先生と この本との出会いが、栞ちゃんを明るく希望を持った 強い人間に変えてくれそうだね‼️💪
無自覚な義母かも知れないけどそんな義母や義姉に忖度はやめて本来の栞ちゃんらしく生きて行けば良い。それにしてもkaiさんの本の内容為になるわ🫰