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休み時間。
教室の空気は、妙に湿っていた。
外の梅雨のせいじゃない。──誰もが知っている。
今日の“標的”は、もう決まっている。
「ねぇ、それ本気なの?」
突然、女子のひとりが遥に声をかけた。
机を囲むようにして数人の女子が立っている。
そのうちの誰かが、遥の机に置かれた文具ポーチを、指でつつく。
「蓮司くんと付き合ってるとか、さ。……そういう“設定”、いつまでやるつもり?」
遥は視線を上げなかった。
答えるかわりに、ノートの端を丁寧に折る。
さも、興味がないように。
けれど、その無視が、彼女たちの苛立ちを煽った。
「さ、昨日も手ぇつないで登校? 必死すぎて、逆に哀れ」
「ねぇ、あんたさ……身体で釣ってるとか、じゃないよね?」
どっと、くすくす笑いが広がる。
そこへ──蓮司が現れた。
悠々と教室に入り、遥の肩に、わざとらしく手を置く。
「なに、騒いでんの? うちの可愛い彼氏が、いじめられてる?」
“うちの”という言葉に、教室の温度が下がる。
女子たちは顔をひきつらせながらも、蓮司の笑みには逆らえない。
「……ほんとに付き合ってんの?」
「それとも、“ごっこ”?」
蓮司は笑った。
「さあ? 遥はどう思ってんの?」
遥は、顔を上げた。
その瞳は、どこか濁っていた。
けれど、笑った。
「……俺は、ちゃんと付き合ってると思ってる」
「毎晩、……ちゃんと、恋人みたいなこともしてるし」
女子たちの笑いが、止まる。
一瞬の沈黙のあと、「キモ……」という吐き捨てるような声が誰かから漏れた。
蓮司は、そんな空気にまったく動じず、遥の頭をぽん、と叩いた。
「言い方がエロすぎ。──ま、事実だけどね」
遥は俯いたまま、笑った。
机の上の手が、微かに震えていた。
だけど、その手を、誰も見ていなかった。
日下部だけが、教室の隅から、ずっと見ていた。
誰とも喋らず、ただ、見ていた。
その視線が、遥の首筋に焼きついて離れなかった。
(見てんじゃねえよ……だったら、何か言えよ)
心の中で呟く。
でも、言えない。
演技を壊したら、すべてが崩れる。
蓮司が低く囁くように言う。
「言っとくけどさ──オレ、遥のこと、ほんとに“愛してる”とか、思ってないからね?」
遥はうなずいた。
「わかってる。俺も……別に、そんなの望んでないし」
「そ。じゃ、今日もよろしく、“俺の可愛い恋人”」
蓮司は笑いながら、去っていった。
女子たちはまだその場にいて、何も言わずに遥を睨んでいた。
教室の空気は、じっとりと重たく沈んでいた。
遥は、ぼそりと呟く。
「……俺の方が、キモいって言ってんのに」
誰にも届かない独り言だった。