そしていよいよ土曜日がやって来た。
この日凪子は紘一の事務所で良輔と会う事になっていた。
凪子は起きるとすぐにシャワーを浴びて身支度を始めた。
きっちりと隙のないメイクを施し髪も優雅に整える。
そしてお気に入りのスーツを着た。
右手の薬指には自分で買ったルビーの指輪をはめる。きっとこのルビーが凪子を守ってくれるはずだ。
事務所へ着くと、まだ良輔は来ていなかった。
凪子は先に応接室へ通され、事務の女性が持って来てくれたお茶をいただく。
その後すぐに紘一が書類を抱えて応接室へ来た。
「心の準備はいい?」
「はい。大丈夫です」
「何か納得できない事があれば、逐一僕に言うんだよ」
「わかりました」
凪子がそう答えた時、ノックの音が響いた。
そして扉が開くと事務の女性が良輔が来た事を紘一に伝えた。
「入っていただいて」
事務の女性は「こちらへ」と言って良輔を部屋に案内した。
部屋に入って来た良輔の風貌は、げっそりとやつれていた。
営業の第一線でにいた時のイメージはすっかり消え失せ、ヨレたスーツを身にまとい表情には覇気がない。
元夫の情けない姿を目の当たりにした凪子の心中は複雑だ。
しかし今日は『情け』は一切封印すると決めていたので、凪子は背筋を伸ばして座り直すと目の前のテーブルへ視線を落とした。
しかし良輔が部屋に入った後、後ろにまだ誰かがいる事に気付く。
なんと良輔の後ろには良輔の両親が立っていた。つまり凪子の義理の両親が一緒に来ていたのだ。
事務の女性は困惑した顔を紘一に向ける。もちろん紘一も驚いていた。
しかし来てしまったものはしょうがないと、とりあえずソファーへ座ってもらう事にした。
凪子はびっくりしていた。まさか、大の大人が離婚の話し合いに親を連れてくるとは思ってもいなかったからだ。
凪子は半ば呆れ顔で良輔を見る。
しかし良輔は凪子と視線を合わせようとはしなかった。
それから事務の女性が後から来た三人へお茶を持って来た後、いよいよ離婚の話し合いがスタートした。
「えーでは、今日は朝倉さんのご両親もご一緒という事で、お話しを進めさせていただきます。
紘一は粛々と、
凪子が離婚の申し立てをした理由、
良輔の不貞に関する証拠を複数入手している事、
二人が結婚する際、夫がもし不貞を働いたら即離婚をする旨を妻側から伝えてあった事、
今回の夫の不貞で妻は不倫相手から嫌がらせをされ精神的に大きな苦痛を被った事等を説明した。
そして最後に慰謝料の金額を提示した。
慰謝料の額は400万円から500万円に増額されていた。
この件についても説明を加える。
そして紘一は、証拠写真をテーブルの上に並べ始めた。
それを見た良輔の両親はギョッとした顔をして力なくうつむいた。
一通り説明を終えた紘一は、
「先日朝倉さんは私との電話で、妻である凪子さんと直接話が出来れば離婚には素直に応じると仰って下さいました。ですから、本日は具体的に離婚へ向けた話し合いという事でよろしくお願いします」
そこでずっと黙っていた良輔が口を開いた。
「いや、離婚に同意するとは言っていません。ちょっと凪子と話をさせて下さい」
「朝倉さん、それは困ります。あなたは凪子さんと会って話が出来れば離婚には素直に応じると私に仰いましたよね? その時の会話は録音されているので残っています。ですから、あくまでも今日は離婚を前提とした話し合いという事でお願いします」
凪子は紘一の言葉にうんうんと頷く。凪子は今更良輔と話す事なんて何もない。
しかし良輔は引き下がらなかった。
「いや、きちんと話せば誤解は解けるんです。私は今でも凪子を愛しているので離婚するつもりはありません」
そのあまりの勝手な言い分に凪子の怒りが爆発した。
「何が誤解なの? 説明してもらおうじゃないの!」
凪子はそう言って腕を組んだ。
「だから誤解なんだ。あれはアノ女が俺を誘惑してきたせいでもらい事故みたいなもんなんだ。俺はアノ女の事はこれっぽっちも愛してなんかいない。俺が本当に愛しているのは凪子、お前だけだ」
その説明を聞き、凪子は思わず声を出して笑った。
「誘惑されても普通妻がいたら誘いには乗らないんじゃない? なのに簡単に乗ったんでしょう? そんな言い訳が通用するとでも思っているの?」
「だから向こうが結婚していてもいいから、誰にも言わないからって言ったんだよ。そう言われたら男なんだからつい魔が差す事だってあるだろう? 俺は家庭を壊すつもりはなかったし、凪子と別れるなんてこれっぽっちも考えてはいなかったんだ」
そこで見かねた紘一が言った。
「朝倉さん、誘惑をされたとかそういう事は一切関係ないんですよ。あなたが『婚姻関係にある妻以外の女性と男女の関係になった事』が問題なんです。そこのところをすり替えないで下さい」
「わかっています。だから心から反省しているし、凪子の気が済むまで何度でも謝るって言ってるんです。もう二度と浮気はしません。誓います」
紘一と凪子は、呆れたようにため息をついた。
そこで今までじっと聞いていた良輔の母親が口を挟んだ。
「良輔っ! さっき言っていた事と違うじゃない! あなた子供が出来たんでしょう? だったらあの子と結婚してあげないと!」
その言葉に凪子と紘一がギョッとする。
そして呆気にとられている凪子に変わって、紘一が確認をした。
「あの子っていうのは、もしかして塩崎絵里奈さんの事ですか? 彼女は妊娠されたのですか?」
そこで突然良輔が罰の悪そうな顔をした。
「ええ…オホホ…こんな事になってしまい、凪子さんには本当に申し訳なく思っていますのよ。でもね、うちにも漸く孫が出来たみたいなんです。だから私共は凪子さんのご希望通り、二人が離婚をするのが一番いいんじゃないかと思っていますのよ」
すると良輔の父親も微笑んで言った。
「父親になったんですから良輔には男としての責任をきっちり取らせます。ですからどうか離婚の話を進めていただければと。ただその際に少しお願いがありまして、良輔もこれから子供が生まれるとなると色々と入用がございまして、で、我儘を言って本当に申し訳ないのですが、慰謝料の方を少し減額していただければと思い今日は私共も伺った訳なんです」
それを聞いた紘一は呆れた顔をしていた。
しかし、凪子は義理の両親の性格を知っていたのであまり驚きはしなかった。
そこで良輔が言った。
「父さんも母さんも勝手に話を進めるなよ! 俺は凪子とは別れないからなっ!」
そこで突然良輔の父親が怒鳴った。
「何を馬鹿な事を言ってるんだっ! 仕事にかまけて孫を作ろうともしない嫁なんかより、お前の子を産んでくれようとしている若いお嬢さんを大切にしないと罰が当たるぞっ! 俺は許さんからなっ! 大体お前がいつまでもフラフラしているからこんな事になるんだっ! お前ももうすぐ40だろう? いい加減腹をくくってちゃんと責任を取れっ!」
凪子はカチンときたが、それ以上に良輔の方がショックを受けているようだった。
おそらく良輔は初めて父親に怒鳴られたのだろう。それでかなりショックを受けている様子だった。
そしてそれをオロオロと心配そうに見つめる母親の姿があまりにも滑稽で凪子は笑い出しそうになる。
それと同時に、一刻も早くこんな一家とは縁を切らなくてはと思っていた。
その時、凪子の脳裏にある事が閃いた。そして凪子はすぐに義理の父へこんな提案をした。
「慰謝料は当初400万円でしたが、良輔さんが私の帰宅時にストーカーまがいの事をしたので100万上乗せして500万円になっています。
でも、もし今この場で離婚届にサインをいただけるのでしたら、上乗せした分の100万円はいただかなくても結構です」
凪子は勝負に出た。
金にケチで欲強いこの父親なら、100万円減額という餌はかなり効果があるのではないだろうか?
そう思った凪子は咄嗟に仕掛けた。
すると案の定、良輔の父親が乗ってきた。
「もちろんそれで構いません。愚息には今ここで離婚届にサインをさせます」
隣りの母親も、
「よろしくお願いします」
と頭を下げている。
そんな両親の姿を、良輔は放心状態で見つめていた。
おそらく自分はもうどうやってもこの現実からは逃れられないと悟ったのだろう。
そこで紘一が離婚届を取り出して良輔の前に置いた。
「朝倉さん、ではこちらへサインをお願いします」
良輔は呆然として、ただその用紙をじっと見つめていた。
しかし、横にいた良輔の両親が、
「ほらっ、早くしないかっ!」
「良輔っ、孫の為よっ! 早く書きなさいっ!」
と急かす様に言う。
「早く書けっ! 書かないと勘当するぞっ! 勘当したらもう実家へ来る事は許さないからなっ!」
その言葉に良輔はビクッとする。
そして、置かれたペンを仕方なく握ると、のろのろと名前を記入し始めた。
横からは母親が印鑑を差し出す。ご丁寧に朱肉までつけてあげていた。
良輔はそれを受け取ると離婚届に押印した。
いい歳をしてどこまで甘えた息子なのだろうか。
凪子は自分が結婚していた男はこんなマザコン男だったのかと改めて驚愕した。
「ありがとうございます。では保証人欄はこちら側で記載し、速やかに役所へ提出させていただきます。おそらく本日付で受理されると思いますのでどうぞご了承下さい」
紘一はそう言うと、ドアを開けてスタッフを呼び離婚届を渡した。
これは、気が変わった良輔が離婚届けを破るのを防ぐ為でもあった。
「次に慰謝料の支払いに関してですが、一括では無理というのであれば分割でも可能です….その際……」
紘一は慰謝料の支払いに関する説明を始めた。
コメント
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良輔もほんとーに往生際が悪くて胸焼けがする💢 自分が結婚する時に浮気をしないといったのは棚に上げて全て絵里奈のせいにするのも腹が立って仕方がない💢😡怒 どっちもどっちです‼️ 絵里奈に子供ができて良輔の親は大喜びで早く別れろ‼️みたいに言うし、ケチな親は減額で離婚届に✍️させてはい終わり、みたいだけど、ここまで親離れ子離れしてないのを見ると吐き気がするわ🤢🤢 だけど絵里奈の子供の本当の父親は誰⁉️