テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「……ふざけんな」
奥歯を噛みしめ、うちはアキミチ君を睨み直していた。
「何が死返しの呪文や。今さらあんたの言うことなんか誰が信じるか」
「えーいいのかなー? んなこと言って。本当に死んじゃっても知らないよ」
「やかましいわ! えから、そこどけ! 邪魔や!」
がんばって怒鳴ってみたが、最後のほうは声が裏返ってしまう。案の定、アキミチ君はピクリともしない。ますます顔をにやけさせている。
クソッ、舐め腐ってからに……!
投げ寄こされたスマホを片手ににぎりしめ、うちは思いっ切りに後ろに振りかぶっていた。せめてもの反抗にそれをアキミチ君の顔に思いっ切り叩きつけてやるつもりだった。
相手は真っ当な人間じゃない。いや、そもそも人間かどうかも怪しい。何の意味もないかもしれないけど、それでも――。
「あれ?」
自分でもびっくりするぐらい情けなく、間の抜けた声が漏れ出る。
悲壮な決意を固めた直後だったから余計に自分が間抜けに思える。振りかぶったスマホはスポッと手から引き抜かれていた。後ろに回った誰かの手によって。
ユカリ、だった。思わず顔をひきつらせ振り返ったうちを見返したのは。
ユカリは普段からは考えられないぐらい暗い目をしていた。あらゆる感情が喪失した、能面のような顔は蒼白で本当に息をしているのかと心配になるくらいだった。スッとユカリの視線がわずかに下を向き、うちから奪い取ったばかりのスマホの画面に合わせられる。
ユカリの柔らかそうな唇がかすかに動き――
心離不念念。起心従念念。音世観念暮。音世観念朝。浄我楽常。縁僧法仏。縁有仏与。因有仏与。仏無南。音世観。
「そ、それはあかんヤツやって……!」
声にならない声でうちは呻いていた。光の失せた目でジッとスマホを凝視しながらユカリは、そこに映し出された虫の群れを思わせる一連のテキスト群を読み上げ始めていた。
それがユカリの意思によるものではないことは一目でわかった。読み上げながらユカリは白目をむき、小ぶりだが形の良い鼻の穴からドロリと赤黒い体液をしたたらせていたから。
心離不念念。起心従念念。音世観念暮。音世観念朝。浄我楽常。縁僧法仏。縁有仏与。因有仏与。仏無南。音世観。
「アッ、ガッ……!」
右から左の脇腹にかけて目には見えない拳を撃ち込まれたような鈍痛が走る。
衝撃のあまり胃が破裂しそうになっているのを感じながら、ガクガクと膝を震わせ、糸の切られた人形のようにうちは無様に床に倒れ伏していた。続いて背中に押し乗って来る凄まじい重圧。
何が死返しや、背骨がミシミシ軋む音をききながらうちは思った。
やっぱり、ただの呪詛打ちやんか。
呪詛打ちとは唱えた者やそれを聞いた者を内側から蝕み衰弱させる、言わば霊的な猛毒を打ち込むための邪術だ。技術的にはそんなに難しいものでもなく、怨みや嫉妬、悪意を心が満たされてさえいればその辺の素人さんだって簡単にマスターできるようになるってお父さんは言ってたっけ。
床に倒れたまま、うちは息が狭まってゆくのを感じた。
鼓動が早鐘のように高まり、全身が燃えるように熱くなる。表面は熱いけど、芯の部分は冷たく凍てついてゆく。呪詛打ちの毒が全身にジワジワと広がっている証拠だ。
やがてそれが心臓に達した時――、うちは死ぬ。
ここ数年の間、うちは実に恵まれた環境で生活を送れていたと思う。毎日のように怪異に悩まされていたのは同じだけど、周りの人達は本当に優しくて、遅ればせながらもうちは自分の子供時代を取り返せたと思う。
だけど、その前は――いつも、こんなふうに死にかけていた。
心離不念念。起心従念念。音世観念暮。音世観念朝。浄我楽常。縁僧法仏。縁有仏与。因有仏与。仏無南。音世観。心離不念念。起心従念念。音世観念暮。音世観念朝。浄我楽常。縁僧法仏。縁有仏与。因有仏与。仏無南。音世観。
遠くでユカリの声が聞こえる。ユカリがまだ、呪文を唱え続けている。
早く止めないと……。うちはもう手遅れだかもだけど、ユカリだけは何としてでも……。
「あれれれ? まだ意識があるの?」
かすんだ視界の中、頭上からアキミチ君が覗き込んで来る。
「すごいよねぇ? こんなに抵抗力があるなんて、さすがは神社の子って感じかな? そっちの子なんてカンタンに中に入り込めたのにさ」
もはや悪意を隠すつもりもないらしい。アキミチ君の口元が三日月の形に歪んでいる。
「あんたなんか誰が信じるか、だっけ? ――正解だよ。最初から助けるつもりも逃がしてあげるつもりもありませ~ん。君たちはね、明日、この学校で発見されるんだ。……バラッバラッに切り刻まれた惨殺死体でね」
ちなみに、とアキミチ君は言葉を続ける。
「さっき教えた呪文はいわゆる、逆事ってやつだ。……キミカちゃんも完全なシロウトってわけじゃないなら聞いたことぐらいあるよね?」
知っている。それもお父さんが教えてくれた。この世には神様仏様がうちら俗衆のため残してくれたお経や真言、祝詞がたくさんあるけれど、悪意を持って逆さに唱えれば加護を得るどころか生命と魂を穢す呪詛になるって。
「僕が逆さ事にアレンジしたのは延命十句観音経と言うありがたーいお経で……。まあ、それはいいか。要は唱えたやつとそれを聞いたやつがオリジナルの経文の意図とは真反対で、唱えたやつが横難横死を遂げますように、って意味だ」
「……何で?」
自分のものとは思えないしわがれた声で、やっとうちは問いかける。
「うちらに何の恨みがあるん? お互い、初対面やろ? それやのに何でこんなこと」
するん、とうちが言い終わるよりも早く鋭く研ぎ澄まされた爪先が飛んで来てうちの肩に深々と突き刺さった。身体の内側でゴリッと骨の砕ける音が聞こえ、うちは悶絶する。激痛のあまり、泣き声すらあげることができない。
「何でだぁ? バーカ! 理由なんかねぇよ!」
ひひひひ、とアキミチ君が笑っていた。前歯をむき出しに威嚇をする猿のような、下卑た笑顔だった。
「ムカつくんだよ! お前らが! 毎日、毎日! ただダラダラ過ごしやがって! 生きやがって! この僕があんな目に遭ったのに!」
アキミチ君は激高していた。ブチ切れていた。大声でわめきながら足を大きく後ろに振り、倒れたうちに容赦なく爪先を蹴り込んで来る。
手首、二の腕、腹、太もも、膝と。アキミチ君の攻撃は執拗で、その一撃一撃が重かった。蹴り込まれるたび、うちは自分の身体が、骨が砕けていくのを感じた。
痛い。苦しい。辛い。もうやめて。許して。そんなことを訴えたって聞いてくれるような相手じゃないことは明白だ。だけど、せめて、顔は、顔だけはやめて欲しい。
もし、明日、ズタボロのサンドバックみたいになったうちが発見されるたら――、連絡を受け駆けつけたお父さんがまず目にするのはうちのボコボコに腫れ上がった顔やろうから……。
何の感覚もなくなった腕を何とか動かし、うちが頭をかばおうとした時だった。アキミチ君の蹴り出した爪先がうちの鼻先でピタリと静止する。
「――おっと、いっけない。やり過ぎるところだったよ」
歯の根が合わないほどガチガチ震えているうちを見下ろし、アキミチ君がベロリと長い舌を出す。
長い舌、というのは比喩的な表現じゃない。本当に長い。紫色に腫れ上がったその先が胸元に届くほどだ。アキミチ君の姿は一瞬にして変わっていた。
干からびた海藻のようにゴワゴワになった髪の毛。生気というものが一切感じられない、青白いを通り越して土気色の肌。眼窩らほとんど飛び出しそうになっている、左右二つの目玉は真っ赤に充血していた。
だけど、何より目を引いたのは——その腹部。アキミチ君の腹は縦横に幾重にも切り裂かれていて、まるで花が咲いたかのようになっていた。大きな、血で染まった肉の花が。そこから飛び出した中身、つまり臓器からまだ湯気が立っているのを見た時、ようやくうちは悟った。
アキミチ君だったんや。小学校で変質者に惨殺された■■■■くんっていうのは。
惨劇の舞台が小学校と最初にインプットされたせいで、被害者は勝手に児童と思い込んでいた。つまり、うちらは亡者の自分語りに付き合わされていたことになる。
さっき、うちとユカリを追いかけ回してたやつは分身みたいなもんか……。
「痛めつけすぎたら鮮度が落ちるもんね。危うく、また大目玉を喰らうところだった」
白濁した瞳でうちを見返しながら惨殺死体が、アキミチ君が低く笑う。だけどそれはあの他人を小馬鹿にしたようなものとは違う。自嘲するような笑い方だった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!