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内側から切り刻まれ、ズタボロの血袋のようになったうちの肉体はその場に乱暴に脱ぎ捨てられていた。そんなふうにぞんざいな扱いを受けている様を目の当たりにしても、うちは何の感慨もわかなかった。
あれは文字通り、うちの抜け殻。それ以上でも以下でもない。例えば蛇が脱ぎ捨てた自分の殻を見て悲しくなるだろうか? ――なるわけがない。
気がつけばうちは子供になっていた。うちの身体を引き裂いてこの世に現れ出た小さな神様に。
いや、それは正確じゃない。うちが神様になったわけじゃない。さっきまでアキミチ君や球状の怪異に散々痛めつけられ、ほぼ使い物にならなくなった古い肉体からうちの意識というか魂的なものが離れ、神様の中に取り込まれたのだ。
神様は六年前、お父さんと一緒に『御穴』の底で出会った時と全く同じ姿をしていた。
年ごろは、小学校の低学年ぐらい。男の子か女の子かよくわからない綺麗で中性的な顔立ちだけど、カガヒコというぐらいだから、きっと男の子だろう。
呪文のような奇妙な文字がビッシリ書き込まれた布で片目を覆い、純白の上衣と袴に身を包んでいる。長い黒髪は女のうちでも思わずウットリしてしまうほど艶やかで、両足には歯の長い下駄をはいている。
そして頭には小さな炎を噴き上げ、回転する独楽という奇妙な飾りが施された冠。
いわゆる稚児姿だ。稚児天狗と言う、その異名通り。お祭りで行列を作ったり、御神楽を舞ったりするあのお稚児さん。
「な、何なんだお前?」しゃがれた声でアキミチ君が呻いた。
「ずっと、あの女の中に宿っていたのか? どうして、そんな……」
ふと、稚児天狗の注意がアキミチ君から逸れた。当然だけど、稚児天狗と五感を共有しているうちの視界も変化。
頭上を――天井が消失した、体育館の上空をうちは稚児天狗の目を介して見ていた。
そこには巨大な球状の怪異が浮かんでいた。夕陽のような輝きを放つその怪異は、うちとユカリが逃げ惑う姿を文字通り、高みの見物を決め込んで見下ろしていたのだ。
そして今、余興は終わったとばかりにうちらの生命を吸い上げようとしている。
だけど、そんな巨大な怪異に対して今、うちとお稚児さんが感じているのは怒りでもなければ、恐怖でもない。もっと根源的で動物的な、本能とも呼べる感情。それは激しい飢餓感だった。
「うわぁああ……。美味しそう……」
頭上を見上げたまま、うちは呟き舌なめずりをする。
いや、違う。言葉を発したのも、舌なめずりしたのもうちじゃない。
稚児天狗だ。稚児天狗が頭上に浮かぶ怪異を目にしてアレを食べたい、とつぶやいたのだ。
ズキン、と左右の肩甲骨にナイフを突き立てられるような痛みが走った。その痛みと同時にお稚児さんの背中に大きく開かれたのは一対の翼だった。それは焦げ茶色の羽毛に覆われた、獰猛な猛禽類のそれ。
陸上競技の選手が走り出す前、そうするように上半身を低く下げ、下半身を傾ける稚児天狗。ドンと和太鼓を打ち鳴らすような、空気の幕を叩く音が聞こえた。
次の瞬間、稚児天狗は空中を舞っていた。うちがそれを理解するに至った時間は二秒か、三秒。その間に稚児天狗は、浮遊する巨大な球状の怪異の表面にピタッと密着していた。
その丸く幼い顔には輝くような可愛らしい微笑み。いけ好かないアキミチ君の笑顔とは似ても似つかない無邪気な笑顔だ。
そんな天使のような稚児天狗に取り付かれ、球状の怪異は絶叫していた。巨体を激しく震わせ、稚児天狗を何とか振り落とそうとする。その体積と比べれば何十分の一の大きさしかない相手に怪異は怯え、慄いていた。
怪異にしがみついたまま、稚児天狗がクワッと大きく口を開いた。そう思った次の瞬間――、稚児天狗の可愛い八重歯が虎のような厳めしい牙へと変化。勢いに任せてガブリと稚児天狗は球状の巨大な怪異に噛みついていた。
同時に大地を揺るがすような、何百人もの人が一斉に泣き叫ぶような絶叫が学校中に響き渡る。
稚児天狗はそれに全く気を取られる様子もなく、怪異を貪り続けていた。子どもが好物のステーキをムシャムシャ平らげるように。
ドロリとした甘さがうちの咥内にも広がってゆく感覚。稚児天狗と味覚を共有しているせいか、怪異の肉は美味だった。そう感じて、もっと食することを欲している自分に気がついてうちは吐き気を覚えた。いや、そうじゃない。本当は吐き気など覚えていない。うちの意識がありもしない肉体の感覚を再現しようとしているだけだ。
そうこうしている内にも――耳を塞ぎたくなるような怪異の絶叫は次第に弱々しくなってゆく。やがて、家ほども体積のあった球状の怪異は、風船のように萎み、稚児天狗の手のひらに収まるサイズに縮んでいた。
一切、躊躇する様子を見せず、稚児天狗はゴクリとそれを丸呑みにする。喉を、ありもしない喉を滑り落ちてゆく怪異の異物感にうちの意識は震える。
これが神様の所業ってやつか。