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翌朝、三台の比較用誘蛾灯の下には、夜の結果がそのまま残っていた。
ムエイルが捕獲皿を机へ並べる。
「通常灯、害虫百四十二。銀翅蛾二十一」
次の皿を指す。
「浄化波を半分にした灯、害虫百三十七。銀翅蛾十二」
最後の皿には、小さな羽虫がまばらに入っていた。
「点滅周期を変えた灯。害虫百二十九。銀翅蛾、四」
ディーヴオンが眉を上げた。
「害虫は一割も減っていないのに、銀翅蛾だけかなり逃げたのか」
「それだけじゃない」
アキムは銀色の帽子を被った。
通常灯の周囲では、土の銀粒は相変わらず種類が少ない。浄化波を半分にした灯の下では、昨日より細かな銀粒が戻り始めている。
一方、点滅周期だけを変えた灯の下では土の銀粒に大きな差はないが、銀翅蛾の捕殺数だけが大きく減っていた。
「別々の変更で、別々の効果が出てる」
アキムが言うと、ミルヴァは胸の前で腕を組んだ。
「なら、一台にまとめる。光量は維持。点滅は三番。浄化波は切る。病斑が出た場所だけ、別に限定浄化して発酵液を使う」
「切って問題ない根拠は?」
ムエイルがすぐ聞いた。
「ない。今から作る」
「いい答えです」
「褒めてないで測って」
時間はなかった。
一斉焼却は明日の夜明け。
アキムたちは午前中いっぱい使い、改造灯と発酵液を組み合わせた小区画試験を続けた。
昼過ぎ、病斑の縁を測っていたムエイルが顔を上げる。
「対照区、昨夜から平均一・八指幅拡大。改造灯のみ、一・一。発酵液のみ、〇・九」
一度、紙へ視線を落とす。
「併用区、〇・四です」
ミルヴァは最終仕様の灯をもう一度開き、浄化波用の輪状石だけを外しても、誘引光の強さと点滅周期が変わらないことを測定針で確かめた。害虫への誘引条件は昨夜の三番灯と同じまま、銀翅蛾を避ける点滅だけを残せる。
アキムが帽子越しに小区画を見ると、改造灯区と併用区では、通常灯区より土と水の淡い銀粒が戻り始めていた。
アキムの胸が跳ねた。
「もう一回」
「併用区、〇・四」
思わず拳を握った。
「……よし」
小さく出したつもりが、声は思った以上に大きかった。
ミルヴァが笑う。
「顔、すごいよ」
「今はいいだろ」
「いい。成功した顔だから」
だが喜んでいられる時間は短かった。
午後、教会前の広場には農民と兵、それに焼却執行のため派遣された聖職者たちが集まった。
中央には、昨夜届いた本部命令が掲げられている。
監督官が言った。
「不浄を育て、灯の浄化を弱めるなど認められない。明朝、予定どおり感染田を焼く」
「その前に見てください」
ムエイルが大板を立てた。
浄化回数と再発率。誘蛾灯の配置と白枯れ密集地。通常灯と点滅変更灯の害虫捕獲数。銀翅蛾の捕殺数。病斑の拡大幅。
数字が一列ずつ並ぶ。
「これは一日の結果ではありません。過去三十日の記録とも一致しています」
監督官は渋い顔をした。
「数字で清浄を定義するつもりか」
「いいえ」
答えたのはアンだった。
広場が静まる。
アンは教会の紋章を胸に下げたまま、古い帳面を抱えて前へ出た。
「私は清浄を疑っていません」
監督官の表情が少し緩む。
だがアンは続けた。
「だからこそ問います」
彼女は帳面を開いた。
「かつて銀翅蛾は『稲守り』と記されていました。誘蛾灯が広がった翌年から、白枯れの大流行が記録されています」
「偶然だ」
「かもしれません」
アンは否定しなかった。
「ですが、命を守る働きまで消すことが、本当に清浄なのでしょうか」
農民たちがざわめく。
「不浄を残せと言うのか!」
監督官の声が響く。
「違います」
アンは一歩も引かなかった。
「害を見分けず、存在するものをすべて消すことを、私は清浄と呼んできました。けれど神が命に秩序を与えたのなら、その秩序を壊してまで空っぽにすることが正しいとは思えません」
アキムは彼女の横顔を見た。
信仰を捨てた顔ではなかった。
むしろ、以前より強く信じているように見えた。
監督官は長い沈黙の後、ムエイルの板へ目を戻した。
「焼却を止めれば、年貢が不足する可能性がある」
「焼けば確実に不足します」
ムエイルが即答した。
「現状の生存株、病斑拡大率、残りの生育日数から計算すれば、改造灯と発酵液を広げた方が期待収量は高いです」
「期待、か」
「だから記録を続けます」
ディーヴオンも前へ出た。
「実施の責任は俺が持つ。兵を出し、灯の改造と散布を監督する」
監督官は四人を順番に見た。
最後にアンを見る。
「お前まで責任を負うのか」
「はい」
迷いのない返事だった。
やがて監督官は命令書を外した。
「全焼却は保留する」
広場に息を呑む音が広がる。
「ただし十日以内に、年貢米の最低量を確保できる見込みを数字で示せ。できなければ焼却命令を復活させる」
ムエイルはすでに書き始めていた。
「十日。十分、議論できます」
「作業もしろ」
ディーヴオンが言う。
笑いが起きた。
その瞬間だった。
遠くで雷が鳴った。
アキムが空を見る。
山の方角だけ、昼とは思えないほど黒い。
間もなく一人の兵が泥だらけで広場へ駆け込んできた。
「隊長!」
息を切らし、膝へ手をつく。
「上流で豪雨です。山地の水路があふれ始めています!」
ディーヴオンの顔から笑みが消えた。
「感染田は?」
「上流側に三枚。水が畦を越えれば、濁水が主水路へ入ります」
アキムは広場の外へ目を向けた。
さっきまで遠かった雨の匂いが、もう風に混じっていた。
焼かれるまでの時間は稼いだ。
だが今度は、病気そのものが水に乗って領全体へ流れようとしていた。
コメント
1件
みぅです🤍🥀 第8話、読み終わりました。 実験の結果が数字で出て、それぞれの違いがはっきり見えてきたところ、すごく好きです。アンが「清浄」を疑わずに、それでも「命を守る働きまで消すことが本当に清浄か」と問いかけた場面、胸にきました。信仰を手放さず、もっと深く信じようとしてるんだなって。 それなのに最後の雷と濁水…また試練が来るんですね。頑張って掴んだ猶予が、一瞬で危うくなる感じ、苦しいけど続きが気になります。