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朝食の後片付けをしてからソファーでうたた寝をしていると杏樹のスマホが鳴った。

電話は母親からだった。


「もしもしお母さん?」

「杏樹、おはよう、起きてた?」

「うん……もう9時だもの」


杏樹はふいに嘘をつく。


「昨日兄さん…光弘伯父さんから電話が来てね、杏樹の銀行の近くのマンションが空いたんだって」

「えっ?」

「杏樹が住みたいって言ってたマンションよ。兄さんわざわざ電話をくれたの、どうする? 借りる?」


杏樹の伯父の樋口光弘(ひぐちみつひろ)は母の兄で本業の会社経営の傍ら投資家としても成功していた。光弘は今では都内に数えきれないほどのビルやマンションを所有している。

伯父夫婦には子供がいないので杏樹の事を実の娘のように可愛がってくれていた。

そして伯父は杏樹の職場に近い場所にもマンションを所有していた。杏樹が以前からその部屋に住みたがっていたのを知っていた伯父は空きが出たタイミングで杏樹の母に連絡をくれたようだ。


「光弘伯父さんはお家賃いくらって言ってた?」

「杏樹ならタダでいいって言ってたわよ」

「いくら伯父さんだからってそれは甘え過ぎでしょう?」

「杏樹はきっとそう言うだろうって兄さんも言ってたわ。フフッ見事に当たったわね。もしどうしても払うって言うなら3万でいいって」

「えっ? 3万? だってあそこタワマンだしあの立地だったら家賃はその10倍くらいはするんじゃないの?」

「うん、でもそれでいいんだって。セキュリティがしっかりしているから杏樹にあそこに住んで欲しいのよ。ほら、近頃物騒な事件も多いでしょう?」

「伯父さん優しい! じゃあ遠慮なく借りるわ」

「良かった。じゃあ兄さんに伝えておくわね。リフォームは終わってるからもういつでも住めるって」

「わかった。すぐに引っ越しの手配をするわ」

「手伝いが必要だったら言いなさいよ」

「うん、ありがとう。でも荷物は少ないから大丈夫よ。じゃあね」


そこで杏樹は電話を切った。


今杏樹が住んでいるマンションはオートロック式ではない誰でも中に入れる普通のマンションだ。おまけに職場からかなり遠い。なるべく綺麗なマンションに住みたくて新築を探していたらつい遠くなってしまった。

そして杏樹が今一番憂鬱な事は2駅先に正輝のマンションがある事だ。つまり通勤の際には会う可能性が高い。だから杏樹は今すぐにでも引っ越したかった。


「伯父さんタイミング良過ぎ!」


憂鬱な要素が一つ減りホッとした杏樹はすぐに引越し業者を探し始めた。


そして引越し業者が決まるとその日のうちに担当者が見積もりに来て段ボールを置いていってくれた。

ちょうど引越し業者が暇な時期だったのでとんとん拍子で進む。

こういう流れには素直に乗った方がいいと思った杏樹は早速夜から荷造りを始めた。



翌朝、職場へ向かう杏樹の足取りは重かった。社内恋愛なんてするもんじゃないとつくづく思う。

杏樹は正輝が乗る時間帯の電車を避けいつもよりも早い電車で職場へ向かった。


銀行の通用口から中へ入りロッカールームへ行くと2期先輩の山村美奈子(やまむらみなこ)が既に来ていた。

美奈子は杏樹が入行した時の指導員で今は二人並んで窓口に出ている。


「杏樹おはよう、今日は早いねー」

「美奈子先輩おはようございます」

「どうしたの? なんか暗い顔をして」

「ちょっと色々ありまして…」

「色々? 何それ気になるー、頼りになる先輩に全てを話してスッキリしちゃおうか?」

「スッキリしたいんですがちょっとここでは…」

「そういう事か! よしっ、じゃあ今日帰りに居酒屋寄るよー」

「月曜のしょっぱなからですかー?」

「月曜は店が空いてるからいいでしょ?」

「まあそうですけど…」

「じゃあ決まり! 帰りに話聞くから勤務時間中はスマイルスマイル!」


美奈子は両手で杏樹のほっぺたを引っ張る。

変な顔にされたまま杏樹は思わずフフフと笑った。


「ほらー杏樹は笑った方が可愛いよ。じゃあ先に行ってるねー」


美奈子は笑顔で手を振りながらロッカールームを後にした。

杏樹は優しい先輩の気遣いに心がほっこりする。


「よしっ、頑張りますかっ!」


気合を入れた杏樹は着替えを始めた。



その日の勤務は何事もなく穏やかに過ぎていった。


正輝は銀行の得意先係なので日中は外回りをしていてあまり顔を合わせる事はない。行内にいたとしても2階にいるので杏樹がいるフロアにはたまにしか来ない。

だから杏樹はいつものようにリラックスしてテラー業務に徹していた。


この支店の窓口は通常預金や支払いなどを扱う普通窓口が4つと定期預金や投資信託等の相談窓口が2つ、そして一番奥には融資の窓口が3つある。

普通窓口4つのうち2つは杏樹と美奈子、残りは新人テラーの宮川真帆(みやがわまほ)とパートの主婦2人が交互に出勤してくる。

昨今窓口のテラー業務はパートや派遣に任せている銀行が多いが、杏樹の銀行は昔と変わらずに社員を配置している店が多い。

それは『銀行は信用が第一』という会社の方針で今もその規律が守られていた。


普通窓口では預金の出し入れや公共料金・税金の支払い、住所変更や口座振替等の手続きが多い。

それ以外にも地元商店街の店主たちが毎日のように売上金を持ってやって来る。

だから杏樹達の窓口に来る客は顔馴染みが多い。


『ピコン 5番の番号札をお持ちの方は2番カウンターまでお越し下さい』


番号札発券機のアナウンスが流れると商店街にある三村生花店の店主が杏樹の窓口までやって来た。


「杏樹ちゃんおはよー、これお願いねー」


店主の三村は土日の売上金を杏樹に渡した。


「三村様おはようございます。お預かりします」

「あら? 杏樹ちゃんなんか今日お肌がスベスベしてる? もしかして化粧品変えた?」

「え? そうですか? 特に変えてはいませんが……」

「そうお? なんかすっごく綺麗よ?」

「三村さんたら―、褒めたって何も出ませんよー、でも嬉しいです、ありがとうございます」


杏樹はクスクス笑いながら続けた。


「ではおかけになって少々お待ち下さい」

「はーい、よろしくー」


三村はニコニコしながら椅子に座った。


杏樹が預かった現金を現金計数機へ投入すると機械が音を立てて数え始める。

その間に当座預金の通帳を端末にセットしオペレーションを始めた。


(正輝さんと付き合っている時にはそんな風に言われた事ないのに変なの! もしかして最高のセックスは肌を綺麗にする効果があるのかな?)


杏樹はぼんやりとそんな事を考える。そして通帳の印字が終わると通帳を返す前にもう一度印字された数字をチェックする。

杏樹は間違いがない事を確認してから声を張り上げた。


「三村生花店様ー」

「はーい」

「入金額はこちらでお間違いないでしょうか?」

「オッケーよ、ありがとう。じゃあ両替してから帰るわね、また明日ー!」


三村は手を振りながら笑顔で言うと両替機へ向かった。


「ありがとうございました」


その時隣の席にいた美奈子が杏樹に言った。


「私も思った、杏樹ちゃん今日肌が綺麗だなーって」


すると反対側にいた後輩の真帆も言う。


「私も思いました! 杏樹先輩お肌ツヤツヤだなーって」


杏樹は二人に同じ事を言われたので驚く。


「あれー? な、なんでだろう? 化粧品は変えてないですよ?」

「不思議よねぇ、愚痴りたいほどストレスがたまっているのに肌は綺麗って。普通ストレスがあったら肌荒れになるんじゃない? なんか矛盾してない?」

「えーっ、先輩愚痴りたいってなんかあったんですかー?」


真帆が興味津々で聞く。


「な、なんでもないわ、あ、真帆ちゃんお客さんお客さん」


処理しかけの伝票を手にした真帆に気付き杏樹が声をかけると真帆はハッとしてから処理に戻る。

その間に杏樹は美奈子に小声で言った。


「美奈子先輩以外には話せない内容なのでどうか内密に……」

「ごめんごめんそうだよね、悪かったわ」


その時新たな客が店に入って来たので、


「「いらっしゃいませー」」


と同時に声をかけてから二人は業務に戻った。

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