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噂は、人の足より速い。
昼を過ぎる頃には、商店街の端から端まで話が回っていた。空き店舗の前を通る人の視線が、明らかに昨日までと違う。
シェルターへ集まった面々は、その視線を持ち込んだまま黙っていた。
ホレは連絡ノートを開いたままページをめくらない。ヌバーは普段なら最初に何か言うのに、今日は入口近くでうろうろするだけだ。ミゲロは床板の釘を打ち直しているが、金槌の音がいつもより少しだけ荒い。
サベリオが入ってきた時、全員の視線が一度だけ上がって、それからすぐ逸れた。
その反応だけで、何が起きたか分かった。
「見たの?」
モルリが最初に口を開く。
サベリオはうなずいた。朝、コンビニへ寄った時、入口横の掲示板で見てしまっていた。
切り取られた写真。勝手につけられた文句。
見た瞬間、笑い飛ばして終われるほど軽くはなかった。
「だからって、すぐ信じるのやめようよ」
モルリは誰へともなく言う。自分に言い聞かせてもいる顔だ。
ヌバーが腕を組む。
「信じるっていうか、見たら気になるでしょ」
「気になるのと、決めつけるのは違う」
「違うけどさ」
言い返しながら、ヌバーも弱い。
サベリオは工具袋を床へ置いた。
「本人に聞けばいい」
「聞ける空気じゃなかったから、みんな黙ってんの」
ホレの声は静かだった。
その通りだと思った瞬間、腹が立った。自分にか、デシアにか、噂にか、分からない。
「じゃあ今聞く」
そう言って入口へ向かったが、そこへデシアが入ってきた。
室内の空気がぴたりと止まる。
彼女はいつも通り資料室帰りの鞄を持っている。けれど、目の下の色は濃かった。たぶん、彼女も見たのだ。
モルリが駆け寄る。
「大丈夫?」
デシアは小さくうなずく。
「大丈夫じゃないけど、大丈夫って言うしかない感じ」
無理に笑おうとしたせいで、その言葉は余計につらく聞こえた。
サベリオは口を開いた。
聞くなら今だと思った。
――昨日、何を話してた。
そう言えば済む。短い。簡単なはずだ。
だが実際に出たのは、違う言葉だった。
「……稽古、するのか」
自分でも情けないと思うくらい、弱い問いだった。
デシアは一瞬だけ彼を見た。その一瞬に、言ってほしいことと言えないことが両方詰まっているように見える。
「する」
それだけ返して、彼女は机へ向かった。
誰もそれ以上聞けなかった。
稽古は始まったが、台詞は言葉として空中に浮くだけで、誰の胸にも落ちてこない。ジャスパートが試しに流した雨音まで、今日はよそよそしかった。
途中でサベリオは立ち上がった。
「悪い。ちょっと外」
モルリが止めようとしたが、間に合わない。
外へ出ると、まだ日が高いのに風だけが冷たかった。橋の下の湿った空気を吸い込んでも、胸のざわつきは散らない。
写真一枚くらいで揺らぐな。
そう自分へ言い聞かせるほど、揺らいでいることが分かる。
サベリオはそのまま稽古場へ戻らなかった。