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夕方、朝風通りの裏手は、表の石畳よりひっそりしていた。
観光客の目が届かない細い通路には、古い木箱、使われなくなった看板、割れた鉢が壁際に寄せられている。その先に、灰色のトタン壁を背にした小さな建物があった。子どもの頃、ここに近づくと大人たちが声を低くした記憶がある。
祭具保管庫。
扉には錆びた南京錠ではなく、古い埋め込み式の鍵穴がついていた。上には消えかけた白文字で「M倉庫」とある。M-27。ハヤのポケットにある鍵と、たしかに同じ頭文字だった。
「本当に来たんですね」
「来るだろうと思ってた」
ノイシュタットは悪びれず笑った。
「来てません。連れてこられたんです」
「日本語は豊かだね。ほとんど同義だ」
腹立たしいが、言い返す暇はなかった。すでにマクスミリンが鍵穴の前にしゃがみ込んでいたからだ。修理屋兼鍵屋の彼は、町で一番、金属の機嫌を読む。無精ひげの下で口を結んだまま、懐中電灯の光を差し込む。
「無理に回すと折れる」
低い声が返ってきた。
「じゃあ開きませんか」
「そうは言ってない。手順を守れってことだ」
彼は小さな油差しを取り出し、鍵穴へ一滴だけ落とした。次に、ハヤの手を取るでもなく、鍵の持ち方だけを指で示す。
「押し込みすぎない。半分入れたら一度止める。呼吸を整えてから、右へ少し。重いところで焦るな」
「鍵にそんなに気を遣うんですか」
「長く放っておかれたものは、急に思い出させると機嫌を損ねる」
その言い方は、人にも当てはまりそうだった。
ハヤは言われた通りに鍵を差し込んだ。金属が擦れる鈍い音がする。半分。止める。息を整える。右へ少し。
扉の向こうで、何かが小さく外れる音がした。
「……開いた」
ノイシュタットが、芝居がかった拍手をしそうになって、オブラスに肘で止められる。
「静かに」
「分かっている。こういう瞬間は余韻が大事だ」
「そういうのがうるさい」
扉を引くと、長いあいだ閉ざされていた空気が、乾いた匂いと一緒に流れ出てきた。埃、紙、古布、木の湿り。忘れられていた時間の匂いだった。
中は狭いのに、思ったより奥行きがあった。壁際に折りたたみ机が積まれ、天井近くには提灯の骨組み、床には色褪せた布箱が並ぶ。ジョンナが息を呑んだ。
「……残ってる」
一番上の箱を開けると、丸めたポスターが出てきた。慎重に広げると、くすんだ紙の上に、勢いのある墨文字が浮かび上がる。
『第十六回 嘘の実話祭り』
その場の空気が、ふっと変わった。
ハヤはその文字を見つめた。昔、誰かが笑いながら書いたのだろうか。あるいは、必死で続けようとしていたのだろうか。紙の端は破れ、色は抜けているのに、妙な力だけが残っている。
さらに箱を開けると、司会台本、店ごとの回遊地図、店印の入った名札、手描きの案内板が次々に出てきた。祭りのためだけに作られたものとは思えないほど、細かく、実用的だ。
その奥に、灰色の布にくるまれた四角いものがあった。
ジョンナがそっと持ち上げる。
「これ……電子辞書じゃない?」
「保管庫に?」
「だから面白いんだよ」
と、ノイシュタットがすぐ言った。
面白がる声の向こうで、ハヤは扉の内側に目を留めた。木の板に、小さな紙片が一枚だけ貼ってある。ほとんど剥がれかけた字を読むと、
『終わらせるなら、名前から消える』
と書いてあった。
誰の字かは分からない。でも、ぞくりとした。
ハヤは思わず一歩下がり、扉の外の空気を吸った。夕方の風は冷たくないはずなのに、背中だけがひやりとした。
閉まっていた扉は開いた。
問題は、この先で何まで開いてしまうのかだった。