テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
64
21
翌朝。
遥は教室に入って、自分の席を見る。
いつも通りだった。
机も。
椅子も。
鞄を置く場所も。
何も変わっていない。
それなのに、足が一瞬だけ止まった。
理由は分からない。
遥はそのまま席に座る。
鞄を机の横に掛ける。
教科書を出す。
一冊。
二冊。
必要なものだけ。
「おはよう」
声がした。
顔を上げる。
日下部だった。
「……おはよう」
それだけ言って、遥は教科書に目を戻す。
日下部は自分の席へ向かう。
以前なら、それで終わっていた。
けれど最近は違う。
遥は無意識に、日下部が席に着いたことを確認してからページを開いた。
自分でも気づいていない。
日下部も、気づいている。
けれど、何も言わない。
それが今は一番いいと思っていた。
チャイムが鳴る。
先生が入ってくる。
授業が始まる。
黒板に文字が増えていく。
遥はノートを取る。
いつも通り。
途中で手が止まる。
ほんの数秒。
後ろから椅子の音がした。
日下部が姿勢を変えただけだった。
遥はまた書き始める。
その様子を、教室の後ろから蓮司が見ていた。
授業中だから、声はかけない。
ただ見ている。
遥。
日下部。
二人の間にある距離。
近すぎない。
遠すぎない。
昨日までと同じようで、少しだけ違う。
蓮司は頬杖をつく。
「……」
先生の声が続く。
窓の外では風が吹いている。
遥がページをめくる。
日下部がそれを見る。
遥は見られていることに気づく。
目が合う。
日下部が少しだけ眉を上げる。
遥は何も言わずに視線を戻す。
その一連の動きを見て、蓮司は目を細めた。
「変わったな」
小さな声だった。
隣の席の男子が振り返る。
「何が?」
「別に」
蓮司は前を向く。
昼休み。
遥は教室を出た。
一人で廊下を歩く。
目的はない。
人の少ない場所を探していただけだった。
階段を上がる。
踊り場で足を止める。
窓の向こうを見る。
空は明るい。
しばらくして、後ろから足音がした。
「遥」
振り返らない。
誰かは分かっている。
「何」
「昼、食べた?」
「まだ」
「食べろよ」
「……分かってる」
「ならいい」
日下部はそれ以上近づかなかった。
遥は少しだけ眉を寄せる。
「何で来たの」
「探した」
「何で」
「いなかったから」
「……」
その答えが、妙に引っかかった。
「別に、いなくてもいいだろ」
「うん」
「じゃあ」
「でも探した」
遥は黙った。
日下部も黙る。
押しつけるつもりはない。
連れて帰るつもりもない。
ただ、見つけた。
それだけ。
「……戻る?」
日下部が聞く。
遥は窓の外を見たまま答える。
「先に戻っていい」
「分かった」
日下部は本当に戻ろうとする。
数歩。
遥はその背中を見る。
「……日下部」
足が止まる。
「ん?」
遥は何を言うつもりだったのか、自分でも分からなくなる。
だから、
「……何でもない」
とだけ言った。
「そ」
日下部は振り返らない。
そのまま階段を下りていく。
遥は一人になる。
胸の奥に、言葉にならない何かが残った。
けれど、それを考える前に昼休み終了の予鈴が鳴った。
放課後。
蓮司は教室に残っていた。
誰もいなくなりかけた教室で、窓の外を見る。
遥が校門へ向かっている。
少し離れて、日下部もいる。
一緒に歩いているわけではない。
ただ、同じ方向へ向かっている。
蓮司はスマホを取り出す。
画面を開く。
一つの名前を見る。
少しだけ指を止める。
そして閉じた。
「まだ早いか」
誰に聞かせるでもなく呟く。
教室のドアが開く。
「蓮司」
沙耶香だった。
「何してるの」
「帰ろうとしてた」
「まだ?」
「うん」
沙耶香は窓を見る。
「遥?」
「うん」
「日下部もいるね」
「いる」
「最近、よく一緒にいる」
「そうだね」
沙耶香はしばらく外を見ていた。
「日下部、変わったね」
「変わった?」
「前より遥を見るようになった」
蓮司は笑う。
「前から見てたよ」
「じゃあ、見る意味が変わった」
蓮司は答えない。
沙耶香が振り返る。
「何考えてるの?」
「別に」
「嘘」
「嘘じゃないよ」
「じゃあ教えて」
蓮司は窓の外を見る。
二人の姿はもう見えない。
「盤面が動いたなって」
「盤面?」
「うん」
「誰が駒?」
「さあ」
「遥?」
「かもしれない」
「日下部?」
「かもしれない」
沙耶香は少し考える。
「蓮司は?」
蓮司が笑う。
「俺?」
「うん」
「俺は見てる側」
「本当に?」
「たぶん」
沙耶香はそれ以上聞かなかった。
蓮司も、それ以上言わなかった。
静かな教室に、夕方の光だけが残っている。
やがて沙耶香がドアへ向かう。
「帰ろ」
「うん」
蓮司も歩き出す。
教室を出る直前。
一度だけ、後ろを見る。
誰もいない。
それを確認してから、ドアを閉めた。
コメント
1件
お疲れさまです、第64話読み終えました🌸 今回はもう、静かな動きの一つ一つが心に残りました。特に、日下部が遥を「探した」と言うところ。「別にいなくてもいいだろ」に対して「でも探した」——この返しが、彼の変化を何より雄弁に物語っていて。遥も、自分から呼び止めておいて何も言えなくなるシーン、本当に彼女らしいもどかしさでした。 蓮司が「盤面が動いた」と呟く場面も、彼なりの距離感が見えて好きです。誰かの変化をこんなに丁寧に見つめる作品、続きが待ち遠しいです☺️