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空乃 美晴
89
雨晒しの原稿用紙
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試作が進むにつれ、クリストルンは店番の時間を前より大切にするようになった。
質屋に来る人たちは、品物だけを置いていくわけではない。
迷い、後悔、言えなかった言葉まで、一緒に預けていく。
その日、最初に来たのはくたびれたスーツ姿の母親だった。小さなヘアピンを箱ごと差し出しながら、笑おうとして笑えない顔をしている。
「来月には取りに来ます」
「急がなくても大丈夫ですよ」
クリストルンが言うと、母親は首を振った。
「急ぎたいんです。娘の入学式までには」
次に来たのは、単身赴任中だという父親だった。古い腕時計を預けながら、スマートフォンの録音画面を何度も開いては閉じる。
「何か録るんですか?」
つい聞くと、男は照れくさそうに笑った。
「いや。息子に、ちゃんとしたこと言おうと思って」
「ちゃんとしたこと?」
「頑張れ、とか。父さんが見てる、とか」
そこで彼は困ったように頭をかいた。
「でも、そういうのって、急に言えないんだよな」
クリストルンはその横顔を見つめる。
言いたいのに言えない。言うきっかけが見つからない。
それはきっと、親だけじゃない。
夕方には、祖母に連れられた小さな女の子が来た。売るのは壊れたオルゴール。女の子はずっと黙っていたが、帰り際、クリストルンの袖をそっと引いた。
「おかあさんの声、わすれたくないの」
細い声だった。
胸の奥がぎゅっと縮む。
「忘れないよ」
クリストルンはしゃがみ、目線を合わせる。
「思い出すきっかけがあれば、ちゃんと戻ってくる」
女の子は信じるような、まだ信じきれないような目でうなずいた。
その夜、奥座敷でクリストルンはノートに書きつけた。
仕事帰りの母。離れて暮らす父。祖母と帰る子。
みんな、たった一言を渡したいのに、それが難しい。
忙しいからでも、不器用だからでも、愛情が足りないからでもない。ただ、近すぎる相手ほど、言葉はうまく出てこないのだ。
「どうだった、店」
ルチノに聞かれ、クリストルンはノートを見せる。
「みんな、同じことで困ってた」
「同じ?」
「言いたいのに、言えないって」
ルチノはしばらく黙ってから、紙に書かれた走り書きを見た。
「市場調査より、よほど重いな」
「質屋は、たぶんそういう場所だから」
品物には値段がつく。
でも、そこに残る記憶には、きっと別の重さがある。
クリストルンは、預かった声にならない声を、玩具の形へ少しずつ移していった。