テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
夕焼けが沈みきる前の、薄橙が残る時間帯だった。蓮司の相談室の前で、小さくノックする音がした。軽く爪で机を叩いていた蓮司は、その音に気づくと面倒くさそうでもなく、興味深そうでもなく、ただいつもの調子で言った。
「開いてるぞ」
ドアがきしみを立てて開き、相談者の少年が顔を覗かせた。蓮司と同い年くらいで、どこか気安さがある。けれど今日は、明らかに表情が重かった。
「……来た」
「見りゃわかる」
少年は苦笑も作れず、鞄を置くと椅子に沈み込んだ。
いつもなら「今日もダルそうだな」なんて軽口を叩く蓮司も、今日は何も言わない。少年の肩が妙に硬く見えたからだ。
しばらく黙ったあと、少年がようやく口を開く。
「……なあ。俺さ、“頑張らない自分”が……どうしても許せない」
蓮司はペンを回しながら、ちらりと視線を向けるだけだった。促すわけでも、急かすわけでもなく。
「休むとさ、胸がざわざわすんだ。
怠けてるって思われてるんじゃないかって……自分で勝手に決めつけて、勝手にしんどくなって……」
少年は額を押さえ、俯く。
「止まりてぇのに、止まると苦しくなる。
なんでだよって思うのに……ずっとそんな感じ」
蓮司はため息もつかず、ただ椅子を少し傾けて背を預けた。
「……許す必要あるか?」
少年は顔を上げた。驚いたというより、意味が分からないという表情だった。
蓮司は足を組み替えて、静かに続ける。
「頑張った日は“頑張ったな”で終わっていいし、頑張れねぇ日は“今日は無理だな”で終わっていいだろ。
そこにいちいち裁判みたいに判決つけるから苦しくなんだよ」
少年は唇を噛む。
「でも……みんな頑張ってるのに、俺だけ休んだら……」
蓮司は軽く肩を揺らして笑う。馬鹿にした笑いじゃない、風の抜けるみたいな軽い笑い。
「“みんな”って便利だよな。安心も不安も勝手に運んでくれる」
少年は言葉を失い、ただ俯いた。
蓮司は机の端を指で軽く叩きながら、少しだけ声を落とした。
「お前が止まったら誰か困るのか?」
少年は考える仕草をしたが、すぐには答えられなかった。
蓮司は続ける。
「誰も困らねぇよ。ただ、お前自身が“自分を許すのが下手”だから苦しいだけだ。
頑張れない日はさ、サボりじゃなくて“人間として普通の日”だろ」
少年の指が小さく震えた。
「……そんな風に思えたら、楽なんだけどな」
蓮司は視線を窓へ流し、夕焼けの残光をぼんやり眺める。
「思えなくてもいい。馴染むまで時間かかるもんだろ。
ただ――止まった自分を、いちばん最初に責めるのが自分ってのだけは、ちょっと損だな」
その言葉は、強く刺さるでもなく、励ますでもない。
ただ、胸の奥にゆっくり沈んでいくような響きだった。
少年は小さく息を吐き、椅子にもたれた。
蓮司は特に締めの言葉を言うでもなく、ただ机の上のペンを手で転がした。
その静けさが、少年にはなぜか少しだけ呼吸しやすかった。