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教室の後ろで椅子が引きずられる音がした。硬質な床の上を、無遠慮に金属の脚が鳴らしていく。誰も注意しない。むしろ、それがこの時間の合図であるかのように、生徒たちは一瞬だけ顔を上げ、また何事もなかったように視線を戻した。
遥はノートの上に伏せるようにして座っていた。頭を上げなかった。上げたところで、何が起きるかは知っている。何度も繰り返された、“今日”のはじまりだった。
「火曜四限担当、忘れてねぇよな?」
声が落ちてくる。教師はいない。別室に呼ばれており、教室はほぼ無法地帯となっていた。
「昨日、鳴かせ損ねたって話だしな。今日こそってさ」 「どこだったっけ? 腹、あと肘の裏」 「反応薄かったって言ってた。声も小さかったし」
もう一人がメモ帳を取り出す。几帳面に折り目のついた紙に、びっしりと文字が並んでいた。遥の身体の各部位と、反応の度合い、発した声の語彙、持続時間、泣き声の質。
「今日は試したいことがあるんだ。唇の端。あと、首の付け根」 「いいね、映えそう」
笑い声はなかった。ただ、作業的な声だけが飛び交う。
遥の席の前に、机がひとつ引かれる。強引に足を広げさせられ、身体を固定される。腕は椅子の背に回され、片方の手で押さえつけられた。
「喋れよ」
そう言って、誰かが頬に触れる。感情はない。命令だけがある。
遥は声を出さなかった。喋れば何かが変わるとは思えなかった。だが、喋らなければ「また評価が下がる」のだと、もう知ってしまっている。
「……なにが、したいんだよ」
掠れた、吐き捨てるような声だった。
「それそれ。いいじゃん、今日は調子いいな」 「記録開始」
スマートフォンが机に置かれ、録音が始まる。誰かがネクタイをほどき、手首に巻いてきつく縛る。冗談ではない、儀式のような動きだった。
「“今日の課題”、壊れ方の新規開拓ってことで」 「どっちが泣かせるか、勝負な」
冗談のように言って、実際に彼らは遥の制服の胸元を乱暴に引いた。中に着ていたカットソーが裂ける音。誰かの指が、肌のきわをなぞる。
「もう、終わらせろよ……」
震えた声で、遥が言った。
「それも録っとく?」 「うん、でもまだ泣いてないし、点数つかないな」
そのときだった。ドアが軋む音がして、教室の空気が一瞬だけ張り詰めた。
だが、誰も入ってこなかった。
誰も来ないことを、彼らは知っていた。だからこそ安心して、残酷になれた。
遥の視界がかすむ。けれど泣いてはいない。どこまでなら耐えられるか、どこからが“壊れるふり”なのか──もう自分でもわからなかった。
「声、出させたいな」 「じゃ、次はいつもと違うやつで」
そう言って、彼らの手がまた別の道具を取り出した。
太い輪ゴムではなかった。今度は、細い金属の棒。理科室から持ち出したのか、先端が少しだけ鈍く加工されていた。
「これ、どんな声出るかな」
遥の目が見開かれた。反射的に身体が逃げようとしたが、もう手足は固められていた。
「やめろ……やめろって、言ってんだろ……ッ」
その声は、録音されていた。
この教室のどこにも、助けてくれる人はいない。だが──その声は、確かに出ていた。