テラーノベル
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出社後、自分のデスクについた葉月は、隣の大崎に挨拶をした。
「おはよう、大崎さん。あれ? 今日はまだいるんだ?」
「お、芹沢ちゃん、おはよう! 今日はスケジュールが緩くて、午前は一件だけなんだ」
「そっか。夏休み前の『嵐の前の静けさ』ね」
「そう。今のうちに、羽伸ばさないとな―」
大崎はそう言って、パソコン作業の手を止めると、葉月の方を見て言った。
「ん? なんか、いつもと雰囲気違う? 昨日、美容院でも行った?」
「行ってないわよ。昨日も仕事だもん」
「そっか。じゃあ気のせいか?」
大崎は、不思議そうに首をひねっている。
(もしかして、エッチしたのがバレた?)
葉月が動揺していると、大崎は課長に用があると言って席を立ったので、葉月はホッとした。
しかし、今度は大崎と入れ替わるように、同僚の女性が葉月の傍へ来た。
「芹沢さん、おはよう!」
「おはようございます」
「悪いんだけどさぁ、この案件、また電話が来るかもしれないから、来たら私に回して」
「わかりました」
「あれ? 芹沢さん、なんか今日雰囲気違う?」
「そ、そうですか?」
「なんか肌が艶々してるー。化粧品、変えた?」
葉月は面倒なので、適当に話を合わせこう答えた。
「そうなんです。今話題のアレですよ」
「あー、アレ、早速使ってみたんだー。いいわねぇ、私も試してみようかな?」
「ぜひぜひ」
「ツルンツルンで良さそうだもんねぇ。わー、私も帰りにお店に寄ってみようっと! じゃ、よろしくね!」
同僚の女性はにこやかに言うと、上機嫌で自分の席へ戻っていった。
そこで葉月は、もう一度ため息をついた。
(まさか一晩セックスしただけで、こんなにいろいろ言われるなんて、びっくり……)
葉月は心の中でそう呟くと、その日の仕事を開始した。
そして、その日はトラブルもなく、穏やかに過ぎていった。
少し早めに帰れそうだったので、葉月は帰り支度をしながら賢太郎へメッセージを送った。
【少し早めに終わったから、電車で帰ります】
メッセージを送信すると、すぐに返事が来たので葉月は驚く。
【もう会社の裏にいるよ】
それを見た葉月は、嬉しくてついニヤニヤしてしまう。
その顔を、前の席にいた同僚に見られた。
「あらあら、まるでこれからデートみたいな顔しちゃって! 彼からメール?」
「ち、違いますっ! 息子からですっ!」
「あ、そうか。息子ちゃん、今、長野だっけ?」
「そうなんです。向こうで楽しんでいるみたいで」
「そっかぁ。じゃあ芹沢さんも、しばらくは自由の身かぁ。せっかくだから、楽しまないとね!」
「はい。もう目一杯だらだらさせてもらいます。じゃ、お先に失礼しまーす」
「お疲れ様ー!」
なんとかうまくやり過ごした葉月は、軽い足取りでオフィスビルを出た。
裏通りへ行くと、朝降ろしてもらった場所に、賢太郎の車が停まっていた。
葉月は駆け足で近づき、すぐに助手席に乗り込む。
「お疲れさん」
「迎えに来てくれてありがとう」
「うん。夕食の準備はほとんど済んでるから、少し海辺を散歩しない?」
「いいわね」
「よし、じゃあ行くか」
賢太郎は笑顔でアクセルを踏み込み、車をスタートさせた。
海沿いの道をしばらく走ったあと、海に面した駐車場に車を停める。
平日の夕暮れ時の駐車場には、サーファーたちの車がいくつも並んでいた。
これから海へ入るサーファーが、車のリアゲートを開け放ち、サーフボードにワックスを塗っていた。
車を降りた二人は、砂浜へ向かった。
夕日を眺めようと、浜辺には何組かのカップルや、犬を連れた人々が集まっていた。
波打ち際へ向かって歩く途中、賢太郎が言った。
「海で夕日を眺めるなんて、久しぶりだなぁ」
「千葉では? サーフィンしてたんでしょう?」
「高校の時だから、もうずいぶん前だよ」
「若いわねー。その頃は、彼女いたの?」
葉月が何気なくした質問に、賢太郎は笑顔で言った。
「内緒!」
「あ、ずるーい」
「だって、正直に言ったら、葉月怒るから」
「……ってことは、いたんだ」
「どうかなぁ?」
「はぐらかしてるー」
「じゃあ葉月は? 高校時代は彼氏いた?」
「うーん、秘密」
「葉月だってずるいじゃん」
「おあいこでしょ?」
そこで二人は声を出して笑った。
波打ち際まで辿り着いた葉月は、波に揺れる白い小さな貝殻を見つけた。
貝殻が波にさらわれないうちに、慌ててそれを拾い上げる。
「それは、なんていう貝?」
「たぶん『ハイガイ』かな? 綺麗だから使えるわ」
「もしかして、アクセサリーにするの?」
賢太郎は気づいていた。葉月はオフの日、必ず貝のアクセサリーを身に着けていることを。
「え? 気づいてたの?」
「当たり前でしょ。葉月のことは、ちゃんと見てるからね」
『ちゃんと見てるからね』
その言葉に、葉月は胸を打たれた。
別れた元夫の啓介は、葉月が貝殻のアクセサリーを作っていることも、それを身に着けていることも、まったく気づいていなかった。
それなのに、出逢ったばかりの賢太郎はそれに気づいていたので、葉月は嬉しくなる。
「気づいてくれてたんだ。アクセサリー作りは趣味なの」
「趣味? 趣味の域を超えてない?」
「ふふっ、ありがとう。実は、たまに近所の雑貨屋さんに置かせてもらってるの。湘南の貝を使った一点物だから、買ってくれる人がいるみたい」
「すごいよ。葉月はセンスがいいんだな。どうせだったら、もっと本格的に作ればいいのに」
「本格的に?」
「そう。それを本業にするくらいの気持ちでさ」
「本業?」
「好きなんだろう? アクセサリーを作るの」
「うん、大好きよ」
「だったら、アクセサリー作家でも目指してみたら?」
賢太郎の言葉は、葉月の心に深く響いた。
(そういえば、私はもともと、こういうことをやりたかったんだわ)
そこで葉月は思い出す。
大学を卒業したら、親戚が経営する宝飾店へ就職する予定だったことを。
本当は、そこで働きながら、ジュエリーの勉強をするつもりだった。
しかし、予期せぬ妊娠により、葉月は啓介と結婚することになった。
そして葉月は、賢太郎の言葉をもう一度思い返す。
もちろん、アクセサリー作りが仕事になれば、こんな嬉しいことはない。
しかし、これから航太郎の学費やアパートの修繕費など、いろいろとお金が必要になってくる。
だから、葉月は趣味を仕事にしている余裕などないのだ。
「そりゃ、アクセサリー作家には憧れるけど、現実的には無理よ」
「どうして? 葉月のセンスを趣味で終わらせるのはもったいないよ」
「ふふっ、ありがとう。でも無理よ。これからまだまだお金が必要だから」
「航太郎の学費?」
「うん。学費もだし、アパートの方もいろいろとね。養育費はもらってるけど、それだけじゃ不十分だし、やっぱりまだまだ私が頑張らないと!」
それを覚悟の上で離婚したのだから、葉月には弱音を吐いている暇などない。
すると、賢太郎が言った。
「俺の奥さんになる? そうすれば、葉月はアクセサリー作りに専念できるだろう?」
葉月は、一瞬自分の耳を疑った。
「え? 今、なんて言ったの?」
キョトンとしている葉月を見つめながら、賢太郎はとびきりの優しい笑顔を浮かべて言った。
「葉月! 俺と結婚して!」
その瞬間、賢太郎の背後から、眩しいほどの太陽の光が差し込んできた。
そのあまりの眩しさに、葉月は思わず目を細める。
湘南の海は、いよいよ夕日のクライマックスを迎えようとしていた。
コメント
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葉月ちゃんのことも、そして航太郎くんのことも よく見ていて、気遣い 労う賢さま....✨ ストレートで男らしいプロポーズにキュンキュンさせられます🥺💖 きっとよき夫、よき父親になってくれることと思います🍀 湘南の美しい海と 真っ赤な夕日も、二人の背中を押してくれそうですね....🌇🌊✨
とりあえず葉月さんと賢太郎さんと航太郎くんが、再婚に向けgo出たら他の人の意見なんていらないよね〜!頑張って幸せになって😀
運命の賢太郎様と愛し合って葉月ちゃんは自信を取り戻し昔の夢を思い出して夕陽を受けながらのプロポーズ❤️夕陽はクライマックスを迎えたと言う所はまるでその時の情景を写真で見せていただいているようでした 賢太郎様の 葉月結婚して と言う素直な言葉もキュンとするほど素敵でした💓