テラーノベル
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喉元に触れた指が、ゆっくりと力を込めてくる。締め上げるというより、“鳴らす”ための加減を探るように。
「ちょっと、息止めてみ?」
囁くような声。目の前がじわりと暗くなり、耳の奥が詰まるような感覚が押し寄せる。
だが──遥は目を逸らさない。ただ、冷えた瞳で目の前の生徒を見つめていた。 それが彼を逆撫でしたのか、ぐっと力が強まる。
「ほら、“やってみろ”って言ったのお前だろ?」
声を漏らすか、意識を飛ばすか。 どちらかが出るまで止めない。それが、彼らの“ルール”だった。
「──って、あれ? 笑ってね、こいつ?」
誰かが笑った。驚き混じりの声。
「マジで? あー……ちょっとわかるかも、そういう顔。壊れかけのやつって、時々笑うよな」
指が離れた。空気が喉に流れ込み、遥の胸がかすかに上下する。 それでも、言葉はすぐに戻ってきた。
「……さっさと終わらせろよ。お前らが飽きるまでだろ」
その声音に、苛立ちが走ったのか、誰かが拳で腹を殴る。 吐き気がこみ上げた。だが、吐かない。倒れもしない。
「──じゃあ、証明しろよ。どこまでできるか」
携帯の録音が再び起動する。「喋れ」と促す視線。 “言わされた言葉”では、もう満足しない。
遥は静かに目を閉じた。そして──呟く。
「……お前らが笑ってるうちは、俺はまだ、死なない」
一瞬、沈黙が落ちた。すぐに、笑いが上塗りする。
「録れた? 今のも、ちょっとヤバくね?」
そのあとの何発かの打撃は、もはや反応を引き出すためというより、遥の“無反応”に対する苛立ちのようだった。
誰かが言った。
「今日は、ちょっと外れかもな」
誰かが鍵を外し、扉が開く。 誰も、手を貸さない。遥は、自分で立ち上がるしかなかった。
足元が震えていたが、制服の乱れを最小限に整え、彼は何事もなかったかのように歩き出した。
トイレの外には誰もいない。けれど──いた。 階段の下に、廊下の影に、教室の窓の向こうに。
「知っているのに、知らないふりをしている」生徒たちが。
教室に戻ると、ざわついていた空気が、彼の姿を見た途端にすっと引いた。
誰もが目を合わせない。だが、耳をそばだてている。口元を覆っている生徒もいれば、スマートフォンの画面を見せ合っている生徒もいる。
笑い声が、かすかに混ざる。
「──あれ、今日、着崩れてない?」 「てか、見た? あの表情」 「録ってるやつ、マジで天才」
机に戻って椅子に腰かけたとき、背筋が椅子に触れた瞬間に走った痛みで、遥は小さく息を呑んだ。
それに気づいた者がいたのだろう。すぐそばの席の女子生徒が、ノートを広げながら呟く。
「……次、誰が呼ぶ?」
その声に、近くの男子が笑う。
「交代制って、いいよな。疲れねーし」
遥は、前を向いたまま微動だにしない。 ノートの文字がにじんでいる。痛みで、ではない。言葉にならない何かが、身体の奥でせり上がっていた。
それでも、泣かない。 泣くことは、“評価される”ことだと、知っている。
だから──遥は、唇を閉じて、次の「放課後の時間割」を、ただ待った。
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