「もうちょっとだけ時間を貰えるかな? えー、今杉田君が説明してくれたように、心無い噂話で誰かが一方的に損害を被るような状況を、我が社は決して許しません。数年前にも同じような問題が発生しましたが、その時噂を流した社員は即横浜の倉庫管理会社へ出向していただきました。ですので今回も調査の結果次第では、おそらく同じような結果になるでしょう。その事を充分認識しておいて下さい。いいか? 君達は日本の未来を背負っていく優秀な人材なんだ。だから誹謗中傷なんてしている暇はないんだぞ? そんなくだらない事に時間を使うより、もっと建設的な行動に君達の才能を発揮して下さい。そしてプライドを持って仕事に取り組んで下さい」
省吾の訴えかけるような口調は、社員全員の心を捉えていた。
「あと最後にもう一つ! 実は私と麻生さんは正式に交際をしています。これはプライベートに関する事なのでここで言うべき事ではないかもしれませんが、今回彼女が被害を受けてしまったのであえて公表する事にしました。もう一度言います。麻生さんは私の大切な人です。今後はその事を充分わきまえた上で行動するようにして下さい。以上!」
省吾の突然の交際宣言に、フロア内がシーンと静まり返る。
しかし誰かが指笛を吹いたのを機に、驚きの声と大きな拍手が沸き上がった。
「省吾さんにやっと彼女が???」
「マジでリア充かぁ~、ちっくしょう~」
「キャーッ! 本当に?」
「深山さん、やるぅ~!」
「深山さんのカノジョなら、もう誰も手出しは出来ないっすね」
社員達はいっきにどよめき大騒ぎだ。
しかし当事者の奈緒は突然の出来事に何が起きているのかわからず、ただ目をぱちくりさせている。
奈緒は驚いた顔のまま省吾を見上げると、省吾が奈緒にウインクをしたのでまた歓声が沸き上がる。
「CEOがウインクしたーーーっ!」
「省吾さーん、彼女が驚いてるじゃないっすかー」
「さてはサプライズで勝手に公表したなぁ~?」
若手の社員達から次々とヤジが飛んでくる。
そのヤジに対し、省吾は手を振ってニコニコと微笑んだ。
その時、笑みを浮かべながら群衆の中央にいた名取美沙の表情が、突然般若のような顔に変わる。
美沙は悔し気に両手を強く握りしめると、怒りをあらわにしながらその場を後にした。
一方、杉田は慌てて省吾からマイクを奪うと社員達に言った。
「朝礼は以上っ! 解散っ! では仕事に戻って下さーい」
「「ういーーーーっすっ!」」
若者達は返事をすると、ぞろぞろと部屋から出て行った。
一列に並んでいた役員達は、驚いた表情で省吾と奈緒の顔を見比べている。
その中でも公平が一番驚いているようだった。
「おい省吾! どういう事だ?」
「後でちゃんと説明するからちょっと待ってろ」
省吾はそう言って奈緒の腕を掴むと、フロアを出てすぐにひと気のない階段へ向かう。
奈緒は省吾に腕を掴まれたまま引っ張られるように連れて行かれた。
階段を下り始めると、漸く奈緒が口を開いた。
「えっと……これってどういう……?」
ついしどろもどろになる。
「驚かせてごめん。まあ簡潔に言うと、今日から俺達は恋人同士だ」
「えっ? ど、どうして? 何でですか?」
奈緒は驚きのあまり声が裏返ってしまった。
すると省吾は階段の踊り場で足を止め、奈緒の方を向いて言った。
「勝手にこんな事をしてすまない。でも君を守る為にはこうするしかなかったんだ。俺を信じてくれないか? 決して悪いようにはしないから」
そんな事を言われても、「はいそうですか」とすぐに納得する人はいないだろう。
奈緒は一度深呼吸をしてから、今起きた事を冷静に考えてみる。
奈緒は今日から省吾の恋人になる……今省吾はそう言った。
そしてそれを社員達の前で宣言したのだ。
(え? つまりこれって恋人同士のふりをする……っていう事?)
更に省吾は『奈緒を守る為』だと言った。
(私がCEOの恋人だとわかれば、誰も私に危害を加えられなくなるからそうしたって事?)
たしかに、奈緒が省吾の恋人になれば今後奈緒が酷い目にあう事はないだろう。
だからといって、それをそのまま受け入れるのもどうなのだろうか?
しかしその時の奈緒には別の思いも浮かんでくる。
もう二度と恋愛はしないと決めている奈緒にとって、これはまさに好都合ではないだろうか?
奈緒はこれからの人生、仕事に打ち込み一人で生きて行く術を身につけたいと思っていた。
だから恋愛事などもってのほかだ。
もし省吾の恋人のふりをすれば、今後一切そういった面倒な事からは解放される。
まさに奈緒にとって好都合だった。
そこで奈緒は省吾に質問をする。
「それってつまり、私は深山さんの恋人の『ふり』をすればいいんでしょうか?」
「そうだね。まあ俺は『ふり』じゃなくてもいいんだけどさ……」
省吾があまりにもさらっと言ったので、奈緒は言葉の後半を聞きもらす。
そして更に省吾に質問をした。
「恋人の『ふり』は社内だけでいいんでしょうか?」
「うーん、社内だけだと怪しまれそうだから、時には外でもかなぁ。まあその辺は臨機応変に! 正直、君が『契約恋人』になってくれると俺も色々と助かるんだよ」
「それってつまり、深山さんに恋人がいる事にすれば、女性関係の色々な面倒から逃げられるからでしょうか?」
奈緒は知っていた。
省吾宛てに時折若い女性から電話がかかってくる事を。それはどう見てもプライベートの電話だった。
しかし奈緒が電話を回そうとすると、省吾は必ず居留守を使う。
つまりそういう事なのだ。
奈緒の鋭い指摘に、省吾が参ったなという顔をして言った。
「さすが麻生さん、鋭いなぁ。まあそういう事です」
「やっぱり……」
「おっ、ところで『麻生さん』ていう呼び方は堅過ぎるよね? 悪いけど今日から『奈緒』って呼ばせてもらうよ」
「えっ? あ?」
驚いている奈緒をよそに省吾は続けた。
「俺の呼び方は、仕事中は今まで通り『深山さん』で。ただ会社の外では『省吾』か『省吾さん』でよろしく! じゃあ詳細はまた後日、ゆっくり食事でもしながら話しましょう」
そう言って省吾は階段を下り始める。
そして秘書室の前に着くと漸く奈緒の腕を離し、役員室へ戻って行った。
奈緒は呆然としたままその場に立ち尽くしていた。そこへさおりと恵子が戻って来る。
「奈緒ちゃん、大丈夫だった?」
「何ですかあれ? もうびっくりしましたよー! あらら、奈緒ちゃんが放心状態だわ」
二人は放心状態の奈緒を両脇から抱えるようにして秘書室へ入った。
すると今度は公平がものすごいスピードで廊下を真っ直ぐに進んで来た。
そしてCEO室まで行くと、ノックもせずにいきなり中へ入る。
「おいっ! 省吾! 一体どういう事なんだ? ちゃんと説明しろよ!」
公平はかなり興奮している。
いつもは冷静な公平がかなり取り乱しているのを見て、省吾は笑いをこらえながら言った。
「だから、言った通りさ」
「っていうかさ、お前ら付き合ってないだろう? なのになぜあんな嘘を? それにお前は彼女の同意なしに勝手に言ったんだろう? だったらあれは立派なパワハラだぞっ!!!」
「仕方ないだろう? 彼女を守る為にはああするしかなかったんだ。でもこれでもう誰も彼女に手を出せなくなる。俺にしてはいい案を思いついたと思わないか?」
「何呑気な事言ってんだっ! あんな強引な事をしたら彼女が辞めてしまう可能性だってあるんだぞ? 俺はそれを心配してるんだ」
公平は本当に心配していた。なぜなら、公平も奈緒に辞めてほしくないと思っていたからだ。
奈緒が秘書になってから、省吾は少しずつ良い方向へ変わっていた。
以前にも増して人間味が増し、とても穏やかになった。その影響が仕事にも表れ、省吾自身のやる気もみなぎっている。
だからこそ、公平は今奈緒に辞められては困ると思っていたのだ。
そんな思いを感じ取ったのか、省吾は公平を安心させるように笑みを浮かべて言った。
「大丈夫だよ。彼女に辞められて一番困るのはこの俺なんだ。だから絶対ヘマなんかしないよ」
「本当に大丈夫か~? 麻生さんを辞めさせたら俺がただじゃおかねぇからな」
その言葉に省吾がフフンと笑った。
「お前昔俺に言ったよな? 気になる女がいたら全力でアタックして強引なくらいに情熱を注げっ……てな。だから俺はお前の言う通りにしたまでだ」
そこで公平はハッとする。やっと意味がわかったようだ。
「なんだよぉ~そういう事かぁ~、だったら早く言えよ~。おかしいと思ったんだよ、お前が麻生さんを経理じゃなくて秘書にするって言い張った時からさぁ。そういう事はもっと早く教えてくれよ~」
「悪かったな。ま、そういう事だからよろしく」
「そういう事なら俺はもう何も言わないよ。だけど無茶な真似はするなよ。麻生さんに辞められたら、お前だけじゃなく会社にとっても大損害になんだからな」
「わかってるよ」
「本当かぁ? ったくしょーもねーなー」
そこで二人は声を出して笑った。
その時公平は、ビジネスパートナーとしてだけじゃなく昔からの親友でもある省吾が見せた嬉しそうな顔を見て、感無量の気持ちでいっぱいだった。
コメント
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凄い進展になりそうですねぇ2人に幸あれ‼️ (*´∀`)
思いもよらぬ恋人宣言にびっくり&ドキドキ(*ˊ艸ˋ)💕💕 誰もが口出しできない見事な牽制だったね。 省吾さんはいたって本気🫶 奈緒ちゃんは公私共に省吾さんに守られてね💛 これからの日々が楽しみで仕方ない(*ノ∀`)ノ"アヒャヒャ
ひゃぁ🩷省吾さぁん😆😆😆 その強引さ大好きです(*´艸`*)