朔也は美宇の左肩越しの壁に手をついた。
彼女の右側には棚があり、逃げ場はない。
朔也は顔を近づけ、彼女の目をじっと見つめた。
追い詰められた美宇は、何か答えなくてはと、必死に言葉を探す。
「あ……あの……」
しかし、言葉が続かない。
(どうしよう……何て言えばいいの?)
美宇は、絶体絶命のピンチに追い込まれていた。
そのとき、朔也が声を上げて笑った。
「あはは……冗談だよ。からかってごめん。コーヒー、もう一杯淹れてくるよ」
朔也はそう言って美宇から離れると、コーヒーを淹れにキッチンへ向かった。
朔也がいなくなると、美宇は急に力が抜けて壁に寄りかかった。
(ああ……びっくりした……)
彼女の心臓はドクドクと高鳴っていた。
(今のは一体何だったの……?)
そう思いながら、美宇はのろのろとテーブルへ向かい、椅子に腰を下ろした。
やがて、コーヒーの香りがふわりと漂い、朔也がカップを二つ持ってきて、その一つを美宇の前に置いた。
「どうぞ」
「あ……ありがとうございます」
朔也は頷き、美宇の向かいに座ると、淹れたてのコーヒーを一口飲んだ。
「高梨さんは、来年札幌でやる個展の責任者なんだ。初めて会ったのは、去年だったかな。君も来てくれた、あの個展で声をかけられたんだ」
朔也が彼女と知り合ってまだ日が浅いと知り、美宇はなぜか安心した。
「そうでしたか」
「打ち合わせは来月だって言ってたのに、急に来たから驚いたよ。まだ作品も完成してないから、見せるものなんて何もないのにね」
「そうですよね」
そう答えながら、美宇は心の中でつぶやいた。
(彼女は、作品を見たいんじゃなくて、青野さんに会いに来たんじゃないの?)
しかし、そんな気配にはまったく気づいていない朔也を見て、美宇は思わず微笑んだ。
(もしかして、青野さんは恋愛に興味がないのかも。あんな綺麗な人にアプローチされても平気なんだもの。それとも、去って行った恋人のことがまだ忘れられないのかな?)
そう考えながら、美宇はコーヒーを一口飲んだ。
そのとき、朔也が言った。
「彼女、今日はホテルに一泊するんだって。明日、帰る前に観光したいって言われてさ、参ったよ」
「え? 観光ですか? でも、明日はお休みだから、丸一日作陶に集中するって……」
「うん……仕方ないけど予定変更かな。まあ、そんなに時間は取られないと思うから、彼女が帰ってから集中するよ」
美宇は複雑な気持ちになった。
(二人きりで観光? どこへ行くんだろう……)
もやもやした気持ちを落ち着けようと、美宇はもう一口コーヒーを飲んだ。
少し落ち着いたところで、美宇は朔也に尋ねた。
「札幌の個展には、私も同行した方がいいですか?」
「もちろん。そのつもりでホテルも予約してあるよ」
「ありがとうございます」
「いや、これも業務の一環だから。アシスタント業務、よろしくね」
「承知しました。ちなみに、具体的にどんなことをすれば?」
「そうだな……まずは、展示物のチェック、来客対応や受付、それにお客様への作品の説明……あ、お茶出しなんかも頼んでもいいかな?」
「もちろんです」
「それと、取材も来ると思うから、スケジュールの管理と調整もお願いできれば」
「分かりました」
「まあ、近くなったらまたちゃんと打ち合わせをするから。じゃあ、コーヒーを飲み終えたら作業を始めようか」
「はい」
美宇はコーヒーを飲み干し、カップを片付けてから再び作陶に集中した。
その日、アパートに戻った美宇は、朔也とのやり取りを思い出していた。
(あんなに素敵な人なのに浮いた噂が全然ないってことは、やっぱり、前の彼女のことが忘れられないのかな?)
先ほどと同じ思いが頭をよぎる。
そのとき、美宇の携帯が鳴った。
携帯の画面には、隣人・関谷絵美の名前が表示されていた。
「もしもし?」
「あ~、いたいた。今、帰ってきた音がしたから、いるかなって思ってかけてみたの。明日、仕事お休みでしょう? よかったら、今夜飲みに行かない?」
このもやもやをどうにかしたかった美宇は、すぐに返事をした。
「行きますっ!」
「ど、どうしたの? なんか勢いすごいよ?」
「関谷さんに聞いてほしいことがあって……アドバイスもらえたらなって……」
その言葉に絵美は一瞬黙ったが、すぐにピンときてこう言った。
「もしや、恋の悩み?」
「ま、まあ……そんな感じです」
「オッケー。じゃあ、行きはバスで行こうか」
「分かりました」
「じゃあ、10分後にアパートの前で」
「はい。では、後で」
電話を切った美宇は、ほっと息を吐いた。
このどうしようもない思いを絵美に話せると思うと、少し気持ちが軽くなったような気がした。
(このままもやもやを抱えていたら、いつか爆発しちゃう。今日は飲みながら全部ぶちまけよう!)
そう決めた美宇は、鼻歌まじりに出かける準備を始めた。
コメント
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壁ドン どうなる〜😍とドキドキ期待してたのにー🤭冗談にしちゃったけど、ホントは本気だったのかな💕 高梨さんと2人で観光💦勘違いさせないように気をつけて朔也さん‼️
きっと本当は本気で壁ドンでしたよね〜 さすがにちょっと早いと思ったかな? しかし嫌いなタイプの高梨さんはやっぱり自分勝手でダメですね。 朔也さんも上手にあしらっておかないと後で大変かも!!
女豹、腕組んで豊満であろう🥧🥧ぐいぐいくっつけるんじゃなぁい? この人さ、高梨画廊の企画部ってことは、ここの娘さん?そうだとしたらユリアみたいなもんだね。美宇ちゃんはこの手のタイプのおじょーさまに絡まれるねぇ(。•́︿•̀) とにかく、朔也さんほどほどのところストップ🫷かけないと、それこそめんどくさいことになっちゃうと思いますよぉ〜! 来月の個展お流れになったっていいじゃないですか! 私は…鈍感ぶってると思った〜っ!!!