その二日後、葉月が休憩室でお昼の弁当を食べていると、同僚の大崎が来て言った。
「今日行って来たぞ」
「あ、大崎さん、お帰りなさい。行って来たってどこに?」
「この前の土手の当て逃げの案件」
「ああ、あのフリーランスの人ね。どうだった?」
「車の損害は思ったよりも大した事なかったな」
「サンドクルーザーって頑丈だもんね」
「うん。でもさぁ、被保険者に会ってびっくりしたよー」
「え? 何が?」
「聞いた事がある名前だなーって思ってたら、なんと著名なカメラマンだった」
「へぇーカメラマンだったんだぁ。あ、だから職業欄がフリーランスだったんだね」
「そう。芹沢ちゃんは知らねーよな? 桐生賢太郎ってカメラマン」
「私、知り合いに有名な山岳写真家がいるんだけど、その人以外全然知らない」
「おっ? 有名人の知り合いがいるの? なんて人?」
「佐伯岳大って知ってる?」
「おー知ってる知ってる。鉄道会社や旅行会社なんかのポスター写真を撮ってる人だよなぁ? 写真展とかもよくやってるし、この前賞かなんか取ってなかったっけ?」
「そうそうその人!」
「そんな知り合いがいるなんてすげぇな。でも今日会った桐生さんは少しレアな分野の写真を撮ってるから、多分女性に言ってもわかんねーだろうなー」
「うん、多分聞いてもわかんないよ。で、会った印象はどんな感じだったの?」
「それがよぉ、ソース顔の超イケメンでさぁ、話し方はソフトだしなんか知性みたいなのも漂ってるし、ヤバいくらいにいい男だったわー」
「へぇー、そうなんだー。イケメンでカメラマンだったらモテるだろうねー」
「だと思うよ。自宅も超ハイセンスな高級マンションでびっくりよ。なんか俺らとは住む世界が違うんだろうなー」
「ふーん、そんなに凄いんだ」
「うん。あんな人は俺達凡人がどうあがいたってかないっこねーわ。ちっくしょー」
「フフッ、まあそうふてくされなさんな」
「ハハッ、ま、そうだな。じゃ、俺タバコ吸ってくるわ」
「行ってらっしゃい」
大崎が立ち去ると、葉月は再び弁当を食べ始める。
(カメラマン……か。え? カメラマンってそんなに儲かるの? 売れっ子カメラマンなら高級車がポーンと買えちゃうわけ? うーん、儲かりそうなカメラマンって言ったらファッション系とかかな? それとも芸能人の写真集を撮るような人?)
気になった葉月はすぐに携帯で調べようとする。
その時、タイミングよく携帯のバイブ音がブーッブーッと鳴った。
(あ、千尋(ちひろ)からだ)
メッセージを送って来たのは、葉月の高校時代の同級生・塚本千尋(つかもとちひろ)だった。
千尋も葉月と同じバツイチで、今は大船に住んでいる。
葉月より先に離婚した千尋は、葉月が離婚する際色々と相談に乗ってくれた。
千尋は子供がいないので、今は藤沢にある建築設計事務所でインテリアコーディネーターとしてバリバリ働いている。
【明日って航ちゃん部活で遅い日だよね? だったら帰りにお茶しない? ちょうど仕事でそっちの方に行くからさ】
千尋とは休日にランチをする事が多いが、平日の仕事帰りにも時間が合えば時々お茶もする。
二人とも職場が近いので、その辺は割と融通が利いた。
それに千尋が外回りに出る時はいつもマイカーなので、帰りは必ず葉月を家まで送ってくれる。
(やった、ラッキー! 最近やたらと江ノ電が混んでるから助かる~)
葉月はすぐにOKの返事を送った。
その後仕事を終えた葉月は家に帰った。
葉月が家に入ると、息子の航太郎が二階からすごい勢いで降りて来た。
「さっき流星からメッセージが来て、7月の夏休みに長野に遊びにおいでって。ねぇ、行ってもいい?」
「うーん、でも夏休みは数学の成績を取り戻すんじゃなかったの? お友達はみんな夏期講習に行くんでしょう?」
「夏休み前に取り戻すよ。期末テスト頑張るから! ね、お願い!」
頼み事をする時だけ甘えた顏をする息子を見て、葉月は思わず頬が緩む。
その顔は赤ちゃんの時の面影そのままだった。
「本当に大丈夫? 今成績落ちると受験に響くよ。三年生になってから取り戻すのは大変だからねー」
「大丈夫! 死ぬ気で頑張るから! ね、いいでしょ? お願いっ!」
「うーん、どうしようかなー?」
「5日間おいでって言ってくれたんだよ? 5日間って凄くない? おまけにおじさんが大糸線の撮影スポットに連れて行ってくれるんだって。だからお願いっ! 頼みますっ! あっ、それに僕がいない5日間は、ママ……じゃなかった、母ちゃんはずーっとのんびりダラダラ過ごせるんだよ? 前に言ってたじゃん。家事をしないで一日中ダラダラしたいーって! その夢が叶うんだよ?」
ついうっかり母親の事を『ママ』と言ってしまった息子が可愛くて、葉月は思わず吹き出してしまう。
それと同時に息子のプレゼンテーションの上手さに妙に感心してしまう。
「なんだよー、笑う事ないじゃんかー」
「だって可笑しいんだもん、ハハハッ」
「ねっ? お願いっ! 頼みますっ! なんでも言う事聞くからっ!」
「おー、今何でも言う事聞くって言ったね―?」
「一回だけだよ。一回限りの限定サービス!」
あまりにも必死な息子を見て、葉月はまたプッと噴き出す。
「わかったわ。でも5日間もお世話になって本当にいいのかしら?」
「うん、だって向こうが言ってくれたんだもん。なんかね、山でテントを張ったりハンゴーとかいうのでご飯を炊く方法も教えてくれるんだって」
「へぇー、佐伯さんアウトドアも教えてくれるんだ。それはいい経験かもね。ああいうのは覚えておくと絶対役に立つから」
「役に立つって?」
「ほら、災害の時とか?」
「あ、そっか。じゃあ俺がご飯炊けるようになったら、帰って来て母ちゃんに炊いてあげるからね」
『炊いてあげる』と自慢気に言う息子を見て、葉月は微笑む。
「はいはい、わかったから。明日にでも優羽ちゃんに電話しておくわ」
「やった! 母ちゃんありがとうっ! あとさ、俺一人だけ楽しんじゃっても悪いから、母ちゃんも俺がいない間楽しんでいいからね。たまには合コンとか行ったら?」
突然息子が突拍子もない事を言ったので、葉月は驚く。
「ハッ? あんた何冗談言ってんの?」
「冗談なんかじゃないよ。俺、流星君のお父さんみたいなイケオジだったら、母ちゃんと結婚してもいいってマジで思ってるから。そんで俺の父ちゃんにしてやってもいいかなぁって。まあ真剣に考えてみてよっ」
そして航太郎は嬉しそうにニコニコしながら階段をドタドタと駆け上がって行った。
(ハッ? 何今の? あの子一体どうしちゃったの?)
葉月は狐につままれたような顏でしばらく立ち尽くす。
「中2病の反抗期だと思ってたのに、母親に合コン勧めて父親候補を見つけろだなんて、マジで何言ってんの?」
葉月は全く理解出来ないといった表情でブツブツ呟きながらキッチンへ向かった。
コメント
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佐伯さん イケオジだよね お父さんになって貰いたいよね 航太郎君にも素敵なイケメンがパパになってくれると👍パパではなくてとうちゃんかな?
出ましたね。佐伯さん。できたらご家族みんなお願いします。
賢太郎さんはソース顔のイケメンさんなのね。34歳にとーちゃんは可哀想かな?でも航太郎君良い子だわ。案外航太郎君が2人の縁結びの天使だったりして🤔🤔🤔