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#成り上がり
#死に戻り
#ハッピーエンド
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資料室の午後は、いつも紙の匂いが濃い。
グルナラが積み直した箱の横で、ロヴィーサは古い封筒をぱん、と机に置いた。舞い上がった埃が窓の光をゆっくり横切る。
「見つけた」
その声に、サベリオは反射で顔を上げた。
机の上には、町外の消印が押された封筒と、折り目だらけの書類が何枚か並んでいる。差出人欄に印字されていたのは、聞いたことのない音響学校の名だった。
「これ」
ロヴィーサが紙の一枚を指で叩く。
「デシアが出そうとしてる特待生選考の関係書類。提出要件の説明が入ってる」
サベリオは書類へ目を落とした。細かい字が並んでいて、ところどころに赤い丸がついている。舞台映像、事前確認書、面談候補日。
「事前確認……」
「そう。しかもこっち」
ロヴィーサは別のメモを出した。短い走り書きだが、日時と橋の名前が見える。
「夜の橋で会う予定、ってある」
サベリオの胸がどくりと鳴った。第六話の夜に見たあの背中が、急に現実の形を持つ。
「相手、誰だかわかる?」
「たぶん学校の関係者。あるいは、選考の窓口になってる人」
ロヴィーサは肩をすくめた。
「密会っていうより、交渉じゃないかな」
その時、資料室の戸口で靴音が止まった。振り向くと、当のデシアが立っていた。グルナラに返すはずの本を抱えている。
机の上の書類を見て、彼女の目がわずかに見開かれた。
「……見つかったんだ」
声はあきらめ半分、苦笑い半分だった。
サベリオは立ち上がった。
「夜の橋にいた相手、学校の人?」
デシアは少し黙ってから、ゆっくりうなずいた。
資料室の空気が静まる。遠くで誰かが廊下を走る音だけが、一瞬ここから切り離されたみたいに軽かった。
「正式には、選考の事前相談を受ける担当の人」
デシアは本を机に置いた。
「本当はもっと早く、派手な構成案を出してほしいって言われてた。橋の上だけで完結する目立つ演出とか、一人の才能がわかりやすく見える形とか」
「でも、断ったのか」
「うん」
彼女はまっすぐサベリオを見た。
「私は町の音だけでやりたい。ここで鳴ってる音を、よそ行きの顔にしたくなかった」
その声に迷いはあった。けれど、逃げたい迷いではなく、押し返されながらも手放したくないものを抱えている時の迷いだった。
「じゃあ、あの夜は」
サベリオが言いかけると、デシアは口元を少し上げる。
「あなた、すごく怪しい想像してたでしょ」
「してないとは言えない」
「顔に書いてあった」
ロヴィーサが吹き出しそうになって咳払いでごまかす。サベリオは耳のあたりが熱くなった。
デシアは書類の端を押さえた。
「私は行きたいよ。ちゃんと勉強したいし、外の音も知りたい。でも、町の音を捨てる条件なら嫌だった」
「それで夜に?」
「昼だと、誰かの目が気になるから。あと、橋の音をその人に聞かせたかった」
橋の音。夜風、木のきしみ、手すりを伝う湿り気。サベリオはその言葉だけで、あの場所の空気が胸へ戻ってくるのを感じた。
「無茶してる」
思わず言うと、デシアは軽く目を細める。
「あなたに言われたくない」
それは本当にその通りで、サベリオは黙るしかなかった。
夢を取りたい気持ちと、町を置いていけない気持ち。その両方に引っ張られているのは、自分だけではない。
密会だと思っていたものの正体は、秘密の恋でも裏切りでもなく、彼女なりの正面勝負だった。
サベリオは書類の赤い丸を見つめた。自分が守ろうとしている相手は、ただ守られるだけの人ではない。悩みながらも、自分のやり方で未来へ手を伸ばしている。
その事実が、なぜか少しうれしかった。