テラーノベル
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振り向くと、そこには十年前と変わらない、けれど少しだけ老いたゼフ先生が立っていた。
「ゼフ先生……!」
「お久しぶりです、トオル君。少し見ない間に、随分と大きくなって。……でも、その金髪。あまり似合っていませんね」
「うるせぇよ……。先生だって、シワが増えたんじゃねぇか」
「ふふふ、お互い様ですね」
俺が毒づいても、先生はただ穏やかに微笑むだけだ。その変わらない優しさに、俺の尖った反抗心が少しずつ中和されていく。
「……さっきの、『合格』って何がだよ」
「あなたの選んだ、『選択』ですよ」
「あんなの、俺が痛い思いをしない選択をすればよかったんだ。損しただけだろ」
「いいえ。ワタシは、あなたの選択は正しいと思います」
先生は俺の隣に座り、遠くで家に帰る少年の背中を見つめた。
「あなたが庇わなかったら、あの少年は心に深い傷を負い、自分と似たような状況を見ても、誰かを助けることはできなかったでしょう。しかし、あなたが彼を守ったことで、彼はこれから先の人生、誰かに手を差し伸べるという『選択』をするかもしれない」
「……そんなの、ただの綺麗事だろ」
俺が俯きながら吐き捨てると、先生は優しく、けれど揺るぎない確信を持って答えた。
「綺麗事でいいんです。この残酷な世界……幸せな人の方が少ない。誰もが不自由な運命の中で、自由を求めて足掻いている。……その姿は、ワタシにはとても美しく見えるんです。一人の勇気が十人、百人と広がり、いつかこの世界を優しく覆う。ワタシは、それを信じたい」
「デケェな、世界って」
俺の小さな反抗心なんて、先生の見ている景色に比べれば、砂粒みたいなもんだ。
「ワタシは、この世界が大好きなんです。守りたい。……それが、ワタシの人生の『夢』ですから」
「そっか……。先生の夢は、偉大だな」
俺は初めて、誰かのために生きるという『格』の違いを目の当たりにした。すると先生は、少しだけ照れくさそうに微笑んで、俺の頭を乱暴に撫でた。
「ふふ。ワタシ、嬉しかったですよ。あの戦火の中で、あなたを庇った選択は、間違いじゃなかった。……今のあなたを見て、そう確信できました」
「……ありがとな、先生」
俺の目元が熱くなる。ゴミだと言われ、親に捨てられた俺の命。それを「間違いじゃなかった」と言ってくれた人がいる。
「トオル君。夢は、ありますか?」
「……ないな。分からないよ、そんなの」
「なら、一緒にワタシの夢を追いかけてみませんか? あと――一緒にお酒も飲みたいですね」
先生の唐突な誘いに、俺は少しだけ照れくさそうに視線を逸らした。
「分かったよ……。酒は、ちゃんと飲める歳になった後でな」
「ふふ、真面目でよろしい」
俺は嬉しかった。この人みたいになりたい。この人が愛する世界を、俺もこの目で見続けたいと思った。
その後、俺は先生と別れ、孤児院へと帰った。今まで反抗してきた先生たちに頭を下げて謝り、悪い連中との腐れ縁も切った。
「なぁ、おばちゃん。俺、夢ができたんだ」
夕食の後、皿を洗う孤児院の先生の背中に、俺は初めて自分の意志を伝えた。
「ゼフ先生と一緒に、この世界を優しさで包むんだ。……馬鹿みたいな、綺麗事だけどさ」
振り返ったおばちゃんは、濡れた手のまま涙ぐんでいた。
「……そう。大きくなったね、トオル」
「何泣いてんだよ……。笑ってくれよ」
「笑うもんですか! トオルの夢は立派よ。あなたは優しい子だもの。大丈夫。きっと大丈夫よ」
おばちゃんのその言葉が、俺の過去をすべて上書きしてくれるような気がした。
「……そっか。ありがとな」
照れくさくて視線を逸らしたけれど、胸の奥はこれまでにないほど温かな鼓動で満たされていた。
それから、一年。俺はゼフ先生の助手として働くため、孤児院の部屋で荷物を整理していた。カレンダーには、先生と酒を飲むはずの『三年後の解禁日』に、小さく印がつけてある。
その時だった。テレビから流れてきたニュースが、俺のすべての未来を消去した。
『――速報です。戦地の野戦病院にて、医師のゼフ氏が……』
あの時と同じだ。先生はまた、戦火の中へ飛び込んでいた。搬送されてきた兵士を治療中、敵軍の奇襲を受け――先生は、動けない兵士を庇い、その身を盾にして命を落としたという。画面に映る、瓦礫の山。俺はテレビの前で、崩れ落ちるように膝をついた。
「なんで……。夢は? 酒は? 約束しただろ……っ、先生!」
叫んでも、網膜に焼き付いたニュースのテロップは消えない。
だが、皮肉なことに、先生の死の直後に停戦が合意され、戦争は終わった。この戦争での市民の犠牲者は、驚くほど少なかった。
……あぁ。先生、あんたが戦争を止めたんだな。あんたの『選択』が正しかったなんて、死んでも思いたくない。約束を破ってまで死ぬのが正解だなんて、認めたくない。……それでも。あんたの勇気のおかげで、死ぬはずだった兵士も、市民も、未来を救われた。
やっぱり、最高にカッコいいよ。俺がゴミ溜めでアンタに命を拾われたあの日から、俺はずっと、アンタに憧れていたんだ。
テレビから流れる停戦のニュースを、ワタシは涙で歪む視界で見つめていた。もう、ここにはいないヒーローへ向けて、喉の奥から絞り出すように言葉を出す。
「ゼフ先生……ありがとうございました。これからは、俺……いえ、ワタシが、あなたの夢を継ぎます」
ワタシの声は震えていた。ワタシの力は小さい。あなたのように、すべてを救うことはできないかもしれない。世界を優しさで包むことなんて、到底無理かもしれない。
けれど――あなたに少しでも恩返しができるなら。あなたが愛したこの世界を、幸せで溢れさせるために。
「ワタシもあなたのように選択をしていきます。」
それからワタシは、先生と同じ医師を目指し、ボランティア活動にも積極的に参加するようになった。
だが、数ヶ月後のことだ。深夜、眠りに就いていたワタシの脳に、あまりに理不尽な情報の蹂躙が映し出された。
これから起きる――『災厄』。そして、その災厄に至るまでの、無数に枝分かれした『絶望的な選択肢』の奔流。
「な、なんだ……これは……っ」
冷や汗を流して飛び起きたワタシの網膜には、まだノイズ混じりの未来が焼き付いていた。
もし、この災厄が本当に起きるのだとしたら。ワタシが見た映像の通りに世界が燃え落ちるのだとしたら、この世界は……。
(……そんなこと、させるものか)
震える拳を握りしめ、ワタシは窓の外の暗闇を睨みつけた。ゼフ先生が命を懸けて守り、愛した、この残酷な世界。
それを消させるわけにはいかない。
「ワタシが守る……。たとえ死ぬ選択肢があったとしても」
コメント
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第28話、読み終わりました…。もう、胸が熱くなってしまって。ゼフ先生の「綺麗事でいいんです」っていう言葉、すごく響きました。トオルが先生の夢を継ぐと決めたあのシーン、涙が止まらなかったです。それだけに、最後の未来予知みたいな展開にゾッとしました…。この世界を守るって決めたトオルの覚悟、しっかり受け止めました。続きが気になります!
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