テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
満月の鐘まつりの当日、朝のラゴーナにはまだ晴れ間があった。橋の欄干には提灯が吊られ、しずくシェルターの前には屋台の煙が細く上がる。子どもたちが走り回り、ヌバーは朝からもう誰かを誘っていた。
「夜になったら、ちゃんと声出してよ。誘ってるんですけど」
「朝からうるさい」
笑い声が返る。祭りらしい空気だった。
サベリオは朝からずっと動き続けていた。床板の最終確認、橋脚の見回り、機材の固定、濡れた場所への砂まき。デシアはシェルターと橋を行き来しながら、最後の録音を重ねている。彼女が通るたび、サベリオの目は無意識にその背を追った。
夕方、町の明かりが灯り始める頃までは、何事もなく進んだ。橋の上では風音が鳴り、シェルターでは雨だれの試し音がやわらかく響く。デシアの音語りが始まると、人々は笑い声を少しずつ鎮め、耳を澄ませた。
うまくいくかもしれない。
そう思ったのは、ほんの一瞬だった。
夜半、山の向こうから黒い雲が一気に流れこんだ。最初の雨粒は大きく、次の瞬間にはもう音の壁みたいな豪雨になっていた。提灯が激しく揺れ、橋板を打つ雨が足元を白く煙らせる。
「照明、押さえろ!」
誰かの叫び。ジャスパートが機材へ駆け、トゥランが観客の誘導を始める。シェルターへ戻す声、走る足音、転びそうになる子どもの泣き声。橋の上の空気は一気に崩れた。
その時、一本の照明器具が傾いた。
金具が鳴る。視界の端で、デシアが振り向く。彼女の頭上へ落ちる、と理解した瞬間、サベリオの体はもう走っていた。
「デシア!」
ぶつかる。肩で突き飛ばす。細い体が欄干の内側へ転がる。そのかわり、自分の足元から床の感触が消えた。
世界が裏返る。
雨の冷たさが一気に全身へ刺さり、次に川の水が肺へ入り込んだ。息ができない。上も下もわからない。濁った水の向こう、揺れる灯りだけが遠い。
必死で顔を上げた一瞬、橋の上にデシアが見えた。
彼女は欄干に身を乗り出し、何か叫んでいた。雨に消されて言葉は聞こえない。ただ、頬を伝う涙だけが、はっきり見えた。雨と混ざっているのに、それだけはなぜかわかった。
助かった。
そう思った。彼女は生きている。
それだけでよかったはずなのに、胸の奥に強い悔しさが残った。もっと早く気づけたら。もっと前に危ない場所を潰せていたら。もっと、ちゃんと――。
遠くで、満月の鐘が鳴った。
低く、長く、夜を割る音だった。
次の瞬間、川の冷たさが消えた。
サベリオは息を呑み、跳ね起きた。目の前には見慣れたシェルターの天井。朝の白い光。どこかでモルリの笑い声がして、地下のほうから、あの深い低音が響いてくる。
祭りの七日前の朝だった。
#成り上がり
#死に戻り
#ハッピーエンド
114