テラーノベル
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「俺が十二年前に家を出たのは、そいつからお前を逃がすためだった」
父はそう言った。
玄関のドアには、
包丁が刺さっている。
三枚目の死亡通知に書かれた死因。
刺殺。
私は父を見た。
「私を逃がすため?」
「ああ」
「でも逃げたのは父さんでしょ」
父の顔が止まった。
「私はここに残った」
「……」
「母と二人で」
十二年前。
二十歳だった私。
朝起きたら父はいなかった。
服も、
通帳も、
車も。
母は何も説明しなかった。
ただ、
あの人はもう帰ってこない。
そう言った。
その日から、
家の中から父の物が一つずつ消えていった。
写真。
歯ブラシ。
靴。
父が使っていた茶碗。
まるで最初から、
三人家族ではなかったように。
「それのどこが私を逃がしたことになるの」
父は答えない。
「十二年間、一度も連絡しなかった」
「できなかった」
「誕生日も」
「……」
「成人式も」
「澪」
「母が死んだときだって来なかった!」
声が震えた。
私は父に会いたかったわけじゃない。
そう思っていた。
でも違った。
会いたくないと思うためには、
一度、
来てほしかったのだ。
「父さんは家族を捨てた」
私は言った。
「それだけは変えないで」
父は目を伏せた。
「ああ」
意外なほど、
簡単に認めた。
「捨てた」
私は黙った。
「どんな理由をつけても、それは事実だ」
父は続けた。
「千佳とお前を置いて出た」
「じゃあ、さっきの話は何」
「お前から離れた方が、お前が安全になると思った」
「誰から?」
父は死亡通知を見る。
「これを作った人間から」
「名前は?」
「知らない」
「十二年前も知らなかった?」
「知らなかった」
「なのに逃げたの?」
「あの子が教えたんだ」
あの子。
相原奈緒の娘。
「奈緒さんの娘?」
父が頷いた。
「十二年前、突然俺のところへ来た」
「何歳?」
「十歳」
十五年前に七歳。
計算が合う。
「どこから?」
「千佳が隠していた家から」
「母が育ててた子?」
「ああ」
「その子が何て?」
父は少し迷った。
「次は澪が死ぬって」
背中が冷たくなった。
「死亡通知が来たの?」
「見せられた」
「誰宛て?」
「俺だ」
私は父を見る。
「父さんに?」
「ああ」
「何て書いてあったの」
父は目を閉じた。
「選択しろ、と」
また。
「誰を」
「千佳か、澪か」
息が止まった。
「どちらか一人を選べば、もう一人は助ける」
「父さんは?」
「選ばなかった」
「それで?」
「あの子が言った」
父は私を見る。
「選ばなければ、二人とも死ぬって」
「どうしてその子がルールを知ってるの?」
「分からなかった」
「今は?」
「分からない」
「じゃあ、なぜその子を信じたの」
父の表情が変わった。
「通知に、お前の写真が入ってた」
「写真?」
「大学へ通ってるところ。バイト先。友達と歩いてるところ」
誰かが、
私を監視していた。
二十歳の私を。
何も知らずに生活していた私を。
「警察には?」
「行った」
「本当に?」
「ああ」
「通知も見せた?」
「その前になくなった」
「また消えた?」
「家に置いて、一時間後に戻ったら消えてた」
今と同じ。
鍵をかけた家から消える死亡通知。
「その夜、電話が来た」
「誰から?」
「声を変えた人間」
「何て?」
父の声が低くなる。
「家族でいる限り、水城澪は死ぬ」
私は何も言えなかった。
「だから父さんが出ていった?」
「それだけじゃない」
やっぱり。
「あの子も連れていった」
相原奈緒の娘。
十二年前。
父は、
その少女と一緒に消えた。
「どうして?」
「狙われていたからだ」
「私じゃなくて?」
「二人とも」
「なら、どうして私を連れていかなかったの!」
父が黙る。
その沈黙で分かった。
「選んだんだ」
「澪」
「父さんも選んだんだ」
死亡通知に書く名前ではない。
でも、
現実の選択。
私と、
奈緒の娘。
「私を母のところに残して、あの子を連れていった」
父は否定しなかった。
胸が痛んだ。
「どうして」
「千佳なら、お前を守れると思った」
「じゃあ、あの子は?」
「守る人間がいなかった」
「母がいたじゃない」
「千佳はもう、あの子を守れなかった」
「どういう意味?」
父は拳を握った。
「二人の関係が壊れてた」
「母と、その子?」
「ああ」
「何があったの」
「俺も全部は知らない」
「でも、その子は母から逃げた」
「そうだ」
「父さんのところへ」
「そうだ」
私は写真を思い出す。
赤いランドセル。
水城という名字。
母が金を使って育てた少女。
なのに十歳で、
母から逃げた。
「その子は、母を怖がってた?」
父は答えなかった。
「父さん」
「ああ」
「どうして?」
長い沈黙。
「千佳が、人を殺したところを見たと言った」
世界が止まった。
「……誰を?」
「分からない」
「その子は言わなかったの?」
「言えないと言った」
「なのに父さんは信じた?」
「あの子の服に血がついていた」
私の記憶と重なる。
十五年前。
血のついた服で帰ってきた母。
「母が殺した?」
「俺はそうは思ってない」
「でも、その子はそう言った」
「ああ」
父は続けた。
「千佳も認めなかった。ただ、あの子を俺から遠ざけようとした」
「なぜ」
「『あの子の言うことを信じるな』って」
母と少女。
どちらかが嘘をついている。
あるいは、
二人とも違うものを見ていた。
「それで父さんは、その子を連れて逃げた」
「ああ」
「どこへ?」
「最初は県外」
「何年一緒に?」
「九年」
「九年……」
私が知らない九年間。
父には、
別の娘のような少女がいた。
「その間、一度も私に連絡しなかった?」
「しなかった」
「母には?」
父が黙った。
私は気づいた。
「してたんだ」
「……何度か」
「母とは連絡してたのに、私には?」
「お前に繋がれば場所が知られると思った」
「誰に」
「分からない」
「そればっかり」
私は笑った。
「分からない誰かから守るために、十二年も娘を捨てたんだ」
父は何も言わなかった。
怒りより、
急に疲れた。
「その子は今どこ?」
「三年前に消えた」
「父さんのところから?」
「ああ」
「それが榊原さんに電話した時?」
父が驚いた。
「知ってるのか」
「榊原さんから聞いた」
「そうか」
「どうして消えたの」
「置き手紙だけ残してた」
「何て?」
父は財布から古い紙を取り出した。
ずっと持っていたらしい。
折り目だらけだった。
真壁が手袋をつけ、
受け取る。
若い女性の字。
雅彦さんへ。
これ以上、一緒にいたら澪さんが死にます。
私は息を止めた。
私は自分の名前を取り戻します。
千佳さんが消した名前を。
そして最後。
探さないでください。
署名はない。
「自分の名前を取り戻す……」
私は呟いた。
十五年前、
皆が私の名前を消したでしょう。
電話の女が言っていた。
やはり同一人物だ。
「三年前から、その子が死亡通知を送っていると思う?」
私は父に訊いた。
「分からない」
「でも可能性はある」
「ある」
「母を恨んでた?」
父はゆっくり頷いた。
「誰よりも」
「殺したいほど?」
「それは分からない」
そのとき、
真壁が父を見た。
「一つ確認します」
「何です」
「十二年前、水城千佳さんと別れる際、正式に離婚しましたか」
父の顔が変わった。
私は眉を寄せる。
「何で今それを?」
真壁は死亡通知を見ていた。
氏名。
水城雅彦。
住所。
家族関係。
犯人は戸籍の情報まで知っている。
「確認です」
父は答えなかった。
「父さん?」
私は昔を思い出す。
母は一度も、
離婚した
とは言わなかった。
父が出ていった。
帰ってこない。
それだけ。
私は当然、
離婚したものだと思っていた。
「離婚したんでしょ?」
父は私を見た。
「いや」
「え?」
「してない」
私は意味を理解するのに時間がかかった。
「十二年前から?」
「ああ」
「ずっと?」
「今もだ」
母は死ぬまで、
水城雅彦の妻だった。
父も、
母の夫だった。
十二年間、
別々に暮らし、
別の少女を連れて逃げ、
一度も私に会わなかったのに。
法律の上では、
二人は最後まで夫婦だった。
私は父を見る。
「どうして離婚しなかったの」
父は答えようとした。
そのとき、
真壁のスマートフォンが鳴った。
画面を確認し、
表情が変わる。
「どうしました」
「水城千佳さんの戸籍を照会してもらっていました」
「それが?」
真壁は私と父を交互に見る。
「離婚していないのは間違いありません」
「だから今、父が――」
「問題はそこじゃない」
真壁が言った。
「水城千佳さんの戸籍には、十二年前に一件、届出の履歴があります」
私は黙る。
「何の届出ですか」
真壁が答えた。
「離婚届です」
「え?」
父が立ち上がった。
「そんなもの、出してない」
「でも記録があります」
「なら、どうして離婚してないんだ」
真壁は画面を見る。
そして、
低い声で言った。
「受理されなかったからです」
「理由は?」
「夫である水城雅彦さんの署名が――」
一度言葉を切る。
「死亡者の署名として処理されている」
父の顔から血の気が引いた。
私は父を見る。
目の前にいる。
生きている。
なのに十二年前、
母が提出した離婚届の上では、
父はすでに、
死んだ人間になっていた。
コメント
1件
わあ…第22話、一気に引き込まれました。父娘の対峙の描写がすごく生々しくて、澪の「来てほしかったのだ」という内面には胸が痛みました。それにしても、父が娘を守るために選んだ選択が、結果的に澪を置き去りにしていたというのが皮肉で…。選択の非情さに心が締め付けられます。そして最後の離婚届の真相 — 母が父を「死亡者」として届け出ていた? しかも十二年前から? もう色んな謎が重なって頭が追いつきません。これは続きが気になりすぎます…!
#女主人公
ワイだ!
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