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夜のスタジオは、昼間の喧騒が嘘のように静かだった。
照明は半分だけ落とされ、床に伸びる影がやけに長い。
泉はその影の中に立ったまま、柳瀬を見ていた。
視線を合わせれば、また揺れる。それが分かっているから、今日は逃げずに言うと決めていた。
「……俺」
声が掠れる。
柳瀬は何も言わない。ただ待つ。その沈黙が、いちばん残酷だった。
「俺、あなたに利用されてるだけですよね」
言葉にした瞬間、胸の奥がひりついた。
否定してほしいわけじゃない。
ただ、壊れるなら真実で壊れたかった。
柳瀬は間を置かず答えた。
「その通りだ」
一歩、近づいてくる。
距離はある。触れてはいない。なのに泉の呼吸は浅くなった。
「……でも」
低い声が続く。
「お前も俺を使ってるだろ」
泉の喉が詰まる。
反論の言葉は浮かばなかった。
自分が“見られること”を欲しがっていたこと。
柳瀬の視線で、感情が輪郭を持ってしまうこと。
それら全部が、否定しようのない事実だった。
「……それは」
「利用だ。依存も混じってる」
柳瀬は淡々と言う。
責めるようでも、慰めるようでもない。
「嫌なら、もう終わりだ」
その言葉に、泉の胸が強く鳴った。
終わり――それを想像した途端、足元が崩れそうになる。
「……嫌、です」
絞り出すように言う。
情けないほど正直な声だった。
柳瀬は一瞬だけ目を伏せ、また泉を見る。
「なら、覚悟しろ」
その夜、二人は触れなかった。
それでも、感情は一度きりの衝突で、はっきりと形を持ってしまった。
同じスタジオ。
初めて二人きりで向き合った、あの夜と同じ場所。
泉は中央に立っていた。
もう逃げないと決めた目で。
柳瀬が近づく。
迷いなく、まっすぐに。
指が、泉の首筋に触れる。
指先ではなく、掌の側面で――逃げ場を残さない触れ方だった。
泉の息が微かに跳ねる。
「……続けるか」
耳元で、低く。
「終わるか。選べ」
選択肢は二つ。
でも答えは、もう一つしかなかった。
泉はそっと頷く。
「……続き、教えてください」
柳瀬の指が首筋をなぞり、顎にかかる。
顔を上げさせる動作は、静かで、確定的だった。
「これは契約だ」
「はい」
「感情は混ざる。だが、愛じゃない」
「……分かってます」
嘘ではなかった。
愛ではない。けれど、それ以上に深い場所で結ばれている感覚があった。
柳瀬の額が、泉の額に触れるほど近づく。
呼吸が重なり、体温が交じる。
触れ合う距離なのに、キスはしない。
その曖昧さが、二人の関係そのものだった。
「使えなくなったら捨てる」
「……それでもいいです」
泉の声は震えていなかった。
選ばれた不安より、選び続けることを選んだ声だった。
柳瀬は何も言わず、ただ一度だけ泉の首筋に口づける ―― 触れるか触れないか、その境界で。
そして、静かに離れる。
「行くぞ」
その背中を、泉は追った。
契約は終わらない。
愛ではない関係は、これからも続いていく。
――それを、二人とも理解したまま。