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日が沈むと、田の縁に青白い火が並んだ。
誘蛾灯だった。
背丈ほどの鉄柱の先に乳白色の石が吊られ、その周囲を細かな虫が渦巻いている。明滅するたび、虫の群れが吸い寄せられ、下の受け皿へ落ちた。
「効いてはいるんだな」
アキムは皿を覗き込んだ。
ウンカに似た小虫。細い甲虫。葉を食う幼虫の成虫らしい蛾。
数だけ見れば、農家が誘蛾灯を手放したがらない理由は分かる。
「去年、これを増やしてから食害は目に見えて減りました」
ムエイルが台帳を抱えたまま答えた。
「白枯れが増えたからって、全部悪者にしたら昨日までの私たちと同じね」
アンの言葉に、アキムは少し驚いて彼女を見た。
アンは視線に気づくと眉を寄せる。
「何ですか」
「いや。そうだと思っただけ」
「なら最初からそう言ってください」
強い口調なのに、どこか照れている。
アキムは小さく笑った。
そのとき、銀色の帽子の視界を横切るものがあった。
「待って」
灯の周囲を舞う小さな蛾の一匹だけ、翅の縁が淡く輝いている。
灰色の翅に銀の筋。
アキムは手網を借りて追い、三度空振りしてからようやく捕まえた。
「それ、銀翅蛾です」
ディーヴオンが覗き込む。
「珍しいのか?」
「いや。昔から田にいる。害が少ないから誰も気にしてなかった」
アキムは帽子を深く被った。
銀翅蛾の脚と腹、翅の裏に、細かな銀粒がまとわりついている。
見覚えがあった。
「ミルヴァ。発酵液を見せてくれ」
小瓶の液体へ帽子越しに目を向ける。
浮かぶ粒の色と動きがよく似ていた。
「同じもの?」
ミルヴァが問う。
「同じかは分からない。でも似た痕跡だ。こいつらが何かを運んでる可能性がある」
「虫が、田を治してるっていうの?」
アンが銀翅蛾へ顔を近づける。
「治してる、とまではまだ言えない」
アキムは自分にも言い聞かせた。
「分からないものを、都合よく味方認定するのも危ない」
ムエイルが地図へ印を付ける。
「では確認しましょう。灯から遠い田と近い田で、土と水の見え方を比べます」
五人は水路沿いを歩いた。
誘蛾灯から離れるにつれ、帽子に映る銀粒は種類も動きも増えていく。
反対に灯の真下では、妙なほど単調だった。
白枯れの筋だけが目立ち、その周囲の淡い粒が薄い。
「浄化した後の土に似てる」
アキムが呟くと、アンの表情が固まった。
「ですが、誘蛾灯は虫を集める農具です。浄化術具ではありません」
「表向きはね」
ミルヴァはすでに鉄柱の根元へしゃがみ込んでいた。
「ねじ、借りるよ」
「誰に許可を取った」
「壊さないから隊長が許可した」
「俺は今聞いたんだが」
「じゃあ今、許可して」
ディーヴオンは一秒黙った。
「壊すなよ」
「率先垂範って便利」
ミルヴァは外板を開いた。
内部には誘引光用の魔石、その下に薄い輪状石が二枚重ねられている。
「これ、光だけじゃない」
彼女は細い測定針を当てた。
針先が一定の間隔で震える。
「弱い浄化波がずっと出てる。腐臭を抑えて虫寄せ石を長持ちさせるためかな。強さは治癒院の浄化よりずっと低いけど、一晩中、毎晩なら話は別」
アンが輪状石に触れかけて、手を止めた。
「教会式の刻印です」
声が硬い。
「本部が農具工房へ供給している規格と同じです」
アキムの胸に重いものが落ちた。
誰かが悪意で毒を撒いたわけではない。
害虫を減らし、臭いを抑え、収穫を守ろうとした。
その善意の仕組みが、見えない均衡を削っていたのかもしれない。
「止めてみよう」
アキムは言った。
「一列だけ。今夜だけだ」
ムエイルが即座に対象区を決め、ディーヴオンが農家へ説明に走った。
アンは黙っていたが、最後には自分から灯の封印印へ手を置いた。
「停止します」
青白い光が一つ消えた。
暗闇へ銀翅蛾が飛び立つ。
帽子の中で、その後ろに細い銀線が残った。
「……線?」
今まで病斑や水路に残っていた痕跡より、ずっと細く、長い。
銀翅蛾が遠ざかるほど線も伸びる。
アキムは吸い寄せられるように一歩踏み出した。
足元の畦が、ふっと遠くなった。
『いったいどこへ行きたいの』
「……え?」
耳元で誰かが囁いた。
振り返る。
誰もいない。
「アキム?」
アンが怪訝そうに見る。
「今、何か――」
言いかけた瞬間、別の田から怒鳴り声が上がった。
「隊長! こっちだ!」
全員が走った。
灯を止めた試験田の稲に、黒い小虫がびっしりと取りついている。
葉の縁が、目の前で削られていく。
ディーヴオンが顔をしかめた。
「灯を止めた途端にこれか」
ミルヴァが頭を掻く。
「白枯れには良くても、虫には食べ放題ってこと?」
アキムは暗い田と、まだ青白く光る誘蛾灯の列を交互に見た。
止めればいい。
そんな簡単な話ではなかった。
銀色の帽子の奥には、さっきの声だけが残っていた。
いったいどこへ行きたいの。
コメント
1件
第6話読みました。誘蛾灯が「善意の仕組み」として白枯れと虫害の両方に関わっているジレンマがすごく心に残りました。アキムが「分からないものを都合よく味方認定するのも危ない」と自分に言い聞かせる場面、好きです。最後の銀翅蛾の後ろに残る線と、耳元の囁き――「いったいどこへ行きたいの」の不気味さがたまらなくて、続きが気になって仕方ないです。アキムとアンの掛け合いも良いですね。