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第22話:木元楓の本音
高層ビルの20階。
レンアイCARD株式会社本社内にある役員用カフェラウンジは、静かなジャズが流れ、白いカップと艶のある木のテーブルが並んでいた。
その一角に座っていたのが、木元楓(きもと・かえで)。
26歳。ボルドーのワンピースに黒のロングカーディガンを重ね、髪はすっきりと一つに結ばれている。
イヤーカフと細身のネックレスが、洗練された印象を際立たせていた。
テーブルにはカフェラテと、開いた資料ファイル。
そこには「第2回 恋レアユーザー全国講演会」の企画案が挟まれていた。
楓は資料をめくる手を止め、窓の外に視線をやった。
ガラス越しの渋谷の街には、今日も恋レアの広告が流れている。
彼女の目には、それがどこか“遠いもの”のように映っていた。
数分後、同じ部署の若手社員が席にやってくる。
ラフなスーツ姿の男性。タブレットを片手に、明るい笑顔で報告を始めた。
「先週のオフラインデー、拡散数は予想の2.4倍でした。特に天野ミオさんの記録、感情曲線が高評価で──」
社員の言葉を遮るように、楓はゆっくりとラテに口をつけた。
そして、カップを置いたあと、小さくつぶやいた。
「それって、“記録されていない”ことが注目されたってことよね」
社員は少し言葉に詰まり、苦笑いを浮かべる。
楓は静かに立ち上がると、窓際へと歩いた。
かつて、彼女も恋をしたことがあった。
まだ“恋レア”という名前すらなかった頃、社内テストの段階で使用された原型カードを、自分で試した。
彼女は当時の上司に、告白するつもりだった。
演出を完璧に計算し、心拍数も視線トリガーも調整した。
カードは美しく発動した──が、伝わらなかった。
上司は「感動した」と言ったが、次の日には別の部署に異動した。
残されたのは、発動ログと再生可能な映像だけ。
感情は伝わらず、記録だけが残った。
それ以来、楓は**“恋は証明できるもの”に変えようと決めた**。
個人の不確かな気持ちに頼らない恋。
誰にとっても公平で、成功率を可視化できる恋。
それこそが、社会に必要なものだと思った。
だが今、天野ミオのように、**“何も証明されない恋”**に共感が集まっている。
失敗や不完全さが、人の心を動かしている。
社員が戻ろうとする背中に、楓は言葉をかけた。
「……私たちの作ったシステムは、人の心を“正しく記録”できてるのかな」
その声に、社員は振り返らなかった。
ラウンジに残された楓は、資料の間から小さなカードを取り出した。
過去に一度だけ使い、今もアカウントに残る初期型の《本音記録カード》。
使用済みのためもう発動しないが、画面に表示された当時の言葉は、いまも変わらずそこに残っていた。
“どうか、この気持ちが伝わりますように。”
楓は、画面を閉じた。