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その晩、サベリオは市立資料室の裏口に立っていた。
閉館後の建物は昼間より大きく見える。窓の奥に並ぶ書架は暗く、外灯の光だけがガラスへ細く映っていた。約束の時間より少し早く来たのに、デシアはもう待っていた。
薄いコートの裾が、夜風に揺れている。
彼女はサベリオを見ると、昨日までのぎこちなさを残したまま、小さくうなずいた。
「来ると思ってた」
「来るしかないだろ」
ぶっきらぼうに返すと、彼女は鍵を回した。
資料室の夜は、紙の匂いが濃い。
昼間は利用者の足音や会話で散る匂いが、閉館後はまっすぐ棚から立ち上がってくる。デシアは手慣れた動きで最低限の灯りだけをつけ、閲覧机へ封筒を置いた。
「アルヴェが持ってきた写し、これ」
サベリオは封筒の中身を慎重に引き出した。
古い進行表。搬入経路図。手書きの修正メモ。いずれも事故当夜に近い日付だ。見覚えのある紙質なのに、初めて見る記載がいくつもある。
その一つに、サベリオの指が止まる。
舞台装置の設置担当欄に、シェルター組ではない会社名が小さく入っていた。さらに、その横には赤字で「一部変更・現地判断」とある。
「現地判断って何だよ」
デシアは首を振る。
「そこが曖昧なの。書いた人も誰か確定できない」
「でも、俺の整備だけじゃなかった」
「たぶん」
たぶん、という言い方にサベリオは眉をひそめるが、前みたいに噛みつかなかった。
資料をめくるうち、別の紙に再開発会社の前身名が見つかった。事故当時、舞台関連の資材搬入補助にその企業が関わっていた痕跡だ。
サベリオは思わず顔を上げる。
「これ、今の再開発と繋がってるのか」
「社名変更の記録を追ったら、たぶん繋がる」
デシアの声は低い。感情より先に、事実の輪郭を固めようとする時の声だ。
書類を追ううちに、二人の距離は少しだけ自然になった。同じ紙をのぞき込む。同じ箇所で手を止める。違うメモを並べて、どこが抜け落ちているか考える。
会話は少ないのに、息は合っていく。
しばらくして、デシアが棚の奥から別の台帳を持ってきた。
「保管庫移動簿。事故の週だけ、妙に抜けがある」
ページを開くと、確かに連番が飛んでいる。部品名の欄に空白。貸出先未記入。戻し処理なし。
サベリオは小さく息をのむ。
「時計塔の保守簿にも、空欄があった」
デシアの目が上がる。
「どこの」
「吊り金具の保管先」
二人は同時に沈黙した。
別々の場所にある記録が、同じ穴をあけている。
偶然にしてはできすぎていた。
「……やっぱり、誰かが消してる」
デシアがつぶやく。
サベリオはうなずいた。
「しかも一人じゃないかもな」
その時、廊下の奥で物音がした。
閉館後の資料室に、人の気配は不自然だ。デシアが息を止め、サベリオも反射的に机の灯りを手で隠す。
だが聞こえたのは、巡回の警備員が遠くで咳をする音だけだった。
二人同時に息を吐く。
その拍子に、妙に近い距離へ気づいて、また少しだけ気まずくなる。
デシアが先に目を逸らした。
「昨日、ごめん」
「……何が」
「説明が足りなかった」
サベリオは書類へ視線を戻す。
「今日も全部は足りてない」
「うん」
「でも昨日よりは、まし」
それだけ言うと、デシアは小さく笑った。ほんの一瞬の笑いだが、やっと橋の上の夜より柔らかかった。
記録庫の時計は、閉館時間を過ぎても静かに進んでいる。
机の上にはまだ見切れない紙が残り、真相は遠いままだ。
それでも今夜の二人は、同じ方向を向いていた。
帰り際、デシアは写しを封筒へ戻しながら言う。
「もう少しだけ追えば、事故の夜に何が抜かれたか見える」
サベリオはうなずく。
「見えたら、逃がさない」
資料室の裏口を出ると、川の方から湿った風が吹いた。橋の上には雲が広がっている。けれど、その切れ目の向こうに、ほんの少しだけ星があった。