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「六月十日、千佳は岸本総合病院に入院してた」
榊原美佐子の言葉を聞いた瞬間、私は柿崎修一の顔を思い浮かべた。
まだ会ったこともない医師。
未来の日付の死亡診断書。
そして、
一人目は、私です。
と書き残して姿を消した男。
「何のために入院していたんですか」
榊原は首を振った。
「そこまでは知らない」
「母は病気だった?」
「体じゃないと思う」
「じゃあ何ですか」
榊原は答えにくそうに私を見た。
「精神科」
私は黙った。
母が精神科に入院していた。
十五年前。
私が十四歳のころ。
思い当たることはあった。
家に帰ってこない日が増えた。
夜中に突然泣き出すこともあった。
父と言い争う声。
そして、
血まみれで玄関に立っていた夜。
私はずっと、夫婦喧嘩のせいだと思っていた。
「柿崎先生が担当だったんですか」
真壁刑事が訊く。
「たぶん」
榊原が答える。
「当時、若い先生が担当してるって千佳から聞いたことがある」
十五年前。
柿崎。
母。
死亡通知。
全部が繋がっている。
真壁が資料を袋へ戻しかけた。
そのとき。
一枚の写真が床に落ちた。
赤いランドセルの少女。
私はもう一度その写真を見る。
「この子」
榊原の表情が固まる。
「さっきから知ってますよね」
「……」
「誰なんですか」
榊原は答えない。
私は写真の裏を見る。
そこに文字があった。
薄く、鉛筆で書かれている。
七歳。
その下。
奈緒の娘。
私は息を止めた。
「奈緒さんに、娘がいた?」
榊原がゆっくり頷いた。
「いた」
「今まで一度も聞いてません」
「言えなかった」
「どうして」
「その子が、全部の始まりだから」
部屋が静まり返った。
真壁が訊く。
「名前は?」
榊原は口を開いた。
でも、
声が出ない。
私は写真を見る。
七歳。
十五年前なら、今は二十二歳。
「奈緒さんは結婚していたんですか」
「してない」
「父親は?」
榊原が目を伏せた。
嫌な予感がした。
「私の父?」
「違う」
即答だった。
少しだけ息が戻る。
「じゃあ誰ですか」
「知らない」
「奈緒さん本人も?」
「話さなかった」
榊原は写真を見つめた。
「会社では、娘がいること自体、ほとんど誰も知らなかった」
「どうして隠してたんです」
「会社の託児制度も使ってなかった。名字も違った」
「名字が?」
「父親側の名字だったのかもしれない」
「じゃあ、その子はどこに住んでたんですか」
「施設」
予想していなかった答えだった。
「施設?」
「児童養護施設」
私は眉を寄せた。
「母親がいるのに?」
「事情があったのよ」
「何の」
榊原は写真から目を離さない。
「奈緒さんは言ってた」
――一緒に暮らしたら、あの子まで狙われる。
背中が冷える。
「誰に狙われるんですか」
「分からない」
「でも会社は、その子に金を払っていた」
私はA-07の振込記録を出した。
毎月二十八万円。
「これですよね」
榊原は頷いた。
「Aは、相原?」
「そうだと思う」
「07は七歳?」
「千佳もそう考えてた」
つまり、
A-07。
相原奈緒の七歳の娘。
存在しない社員に払われていた金ではない。
秘密にされていた子どもへ送られていた金。
「養育費?」
私が言う。
「会社が、なぜ社員の娘に?」
真壁が振込記録を確認する。
「しかも二十八万円は多い」
「口止め料だったんじゃないかって、千佳は言ってた」
榊原の声が小さくなる。
「何の口止め?」
「その子が知っていたこと」
「七歳の子が?」
「見たのよ」
「何を」
榊原は私を見る。
「人が死ぬところ」
私は息を止めた。
「誰が死んだんです」
「知らない」
「またそれですか」
「本当に知らない!」
榊原が声を荒らげた。
「奈緒さんは全部話してくれなかった。ただ、『あの子が見た』って。それだけ」
真壁が訊く。
「警察には?」
「言ってない」
「なぜ」
「娘の居場所が知られるから」
私は写真を見る。
ランドセル。
後ろ姿。
顔は写っていない。
「母はその子を知ってたんですね」
「知ってた」
「会ってた?」
「何度か」
「だから『あの子に近づかないで』って奈緒さんに書いた?」
榊原は頷いた。
「千佳は、その子を守ろうとしてた」
「奈緒さんから?」
榊原は答えなかった。
その沈黙が気になった。
「どういうことです」
「千佳は途中から、奈緒さんまで信用しなくなった」
「実の母親なのに?」
「だからよ」
意味が分からない。
真壁が写真を調べていた手を止めた。
「裏にまだあります」
鉛筆の文字。
七歳。奈緒の娘。
その下に、
消した跡。
光を当てる。
薄く文字が浮かぶ。
私は読んだ。
澪と同じ誕生日。
指が止まった。
「……同じ?」
私の誕生日。
五月十七日。
奈緒の娘も、
五月十七日。
「偶然ですよね」
誰も答えない。
私は榊原を見る。
「同い年ですか」
榊原が首を振る。
「違う」
「じゃあ」
「あなたより七歳下」
十五年前に七歳。
私は十四歳。
確かに。
同じ誕生日。
でも別人。
胸を撫で下ろしかけた。
その瞬間、
佐伯が資料の中から一枚を取り出した。
古い戸籍照会のメモ。
「これ……」
顔色が変わる。
「何ですか」
佐伯は私を見る。
「相原奈緒の娘の出生届を、十五年前に調べた記録がある」
「誰が?」
「千佳さんだ」
また母。
「結果は?」
佐伯は答えなかった。
「課長」
「その子の出生届は」
一度、息を呑む。
「存在しなかった」
私は動けなくなった。
私と同じ。
戸籍はあるのに、
出生届がない私。
そして、
奈緒の娘にも出生届がない。
「そんなこと、二人も起きるんですか」
真壁が佐伯を見る。
「偶然とは考えにくいですね」
私は写真を見る。
赤いランドセルの少女。
奈緒の娘。
名前も分からない。
顔も見えない。
でも母は、この子を調べていた。
「今、その子はどこにいるんですか」
榊原は答えなかった。
「生きてるんですよね」
沈黙。
嫌な予感が膨らむ。
「榊原さん」
「分からないの」
「どうして?」
「奈緒さんが死んだあと、施設から消えた」
「消えた?」
「引き取られたの」
「誰に」
榊原が首を振る。
「記録がない」
そんなはずはない。
児童養護施設から子どもを引き取るなら、何かしら記録が残る。
「いつですか」
「奈緒さんが死んだ翌日」
翌日。
あまりにも早い。
まるで、
母親が死ぬことを事前に知っていたように。
そのとき、私のスマートフォンが震えた。
知らない番号。
真壁と目を合わせる。
スピーカーにした。
「もしもし」
若い女の声。
『水城澪さん?』
「そうです」
『相原奈緒のことを調べていますよね』
全員の表情が変わった。
「あなたは誰ですか」
女は答えなかった。
代わりに言った。
『母の写真、見つけました?』
私は赤いランドセルの写真を見る。
「……母?」
榊原が立ち上がった。
「あなた、もしかして」
電話の向こうで、
女が笑った。
『榊原さんもいるんですね』
榊原の顔から血の気が引く。
「どこにいるの」
『覚えてくれてたんだ』
「名前を言って」
『嫌です』
「お願い」
榊原の声が震える。
『だって』
女は静かに言った。
『十五年前、みんな私の名前を消したでしょう?』
通話が切れた。
私はスマートフォンを見つめた。
相原奈緒の娘。
生きている。
そして、
こちらが何を調べているか知っている。
真壁がすぐに発信元の確認を始める。
私は写真をもう一度見た。
そのとき気づいた。
赤いランドセル。
側面に、
小さな名札がついている。
拡大する。
文字はぼやけている。
それでも、
最初の一文字だけは読めた。
水
私は写真を落とした。
奈緒の娘は、
相原という名字ではなかった。
名札に書かれていた名字は、
水城
だった。
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#王子
すっこ
173
#主人公最強
杯雪乃
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コメント
1件
うわっ…第15話、マジでやばかった…😭💦 「澪と同じ誕生日」でまず鳥肌立ったのに、出生届が存在しないって同じで、最後の「水城」の名札で全部持ってかれた…! 同じ名字ってことは、まさか澪自身が奈緒の娘…? いやでも年齢が合わないし…でも「母の写真」って電話してきた女の子の正体が気になりすぎて今夜眠れないんだけど!! 榊原さんの「みんな私の名前を消した」って台詞が重すぎて胸が痛いよ…次回が待ちきれない、続きを読ませてくれ〜!!🔥