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例の泥酔事件の夜から二週間ほどが過ぎていた。
連絡すると言っていたくせに、その後諒からは何の音沙汰もなかった。私の方からもコンタクトを取ってはいないから、本当にまったく何もなく、あの夜の出来事が実は夢だったのではないかとさえ思えてくる。
諒に愛されたあの翌朝、私は逃げるように玄関に向かった。手には、いつの間にか諒が車から持って来てくれていた私の荷物がある。その中の一つ、自分の私物が入ったマイバッグの中には、諒から借りた様々の物も一緒に入れてある。
私を見送ろうとして、諒が後を追ってきた。
彼の顔を見るのが気まずくて、私は振り返らないまま、ぼそぼそと言う。
「借りた物は後で洗って返すから……」
「あぁ、ありがとう」
彼の口調はあまりにも普通だった。
どうして何もなかったような態度でいられるのかと、普通過ぎる彼に腹が立った。夕べは私を部屋まで送っていくと言っていたのに、そのことに触れない彼に、もう忘れているのかと心の中で八つ当たりする。私はイライラしながら靴を履き、ドアを開けた。背中に聞こえたのは、日常の延長線上にあるような、さらりとした言葉だ。
「またな。連絡する」
これまでの条件反射で、うっかり振り返ってしまった。目に入った彼の顔には、今までと変わらない笑みが浮かんでいた。それが癪にさわり、私はぷいっと顔を背けて無言のまま玄関を出た。外の空気に触れた途端に、疲労感、罪悪感、後悔、羞恥、混乱といった、様々な感情が一気に押し寄せて来る。
「はぁぁ……」
お腹の底から深いため息が出た。
その後、肩を落としながら諒の部屋を後にしたのだったが、その日のことを思い出す度に、やっぱりため息が出る。
私は部屋の片隅に置きっぱなしの紙袋に目を向けた。中身は、あの夜借りた諒の部屋着とタオル類だ。借りた物を洗って返すと言って帰ってきたものの、さて、どうしようかと考え込む。
「それにしても恋人役ねぇ……」
学生時代にも、彼の恋人のふりをしたことはあった。その時は、その場に偶然私がいたからそういう流れになっただけだ。しかし今回は、その時と状況が違う。だから余計に、諒の言う恋人役の演じ方がよく分からない。
とは言え、今日まで連絡がないということは、「恋人役」云々は彼の冗談だったのだろうか。また、諒もあの夜のことを反省し、後悔していて、私に合わせる顔がないと思っているかもしれない。
ぐるぐると考えているうちに、あの夜を最後にこれきり彼に会えなくなったらどうしようと、急に不安になった。子どもの頃からずっと一緒に過ごしてきた大切な人だ。その人を失いたくない。いてもたってもいられなくなった私は、勇気を出して、自分の方から連絡してみることにした。
普段の諒は、仕事柄帰宅時間が不規則だからと言って、電話よりもメッセージの方を好んで使っている。
携帯を手にした私はアプリを開き、文字を打ち込もうとした。しかし指が止まる。書き出しをどうしようか迷った。「元気?」がいいだろうか、それとも「こんばんは」で始めた方がスムーズだろうかと、最初のたった数文字で頭を悩ませる。
そこに突然着信音が鳴り響いた。驚きながら慌てて確かめた画面には、諒の名前が表示されている。少しためらった後、深呼吸を一つしてからその電話に出た。
「……もしもし?」
『瑞月?今、どこにいる?』
電話越しの声は知らない人のもののようで、どきどきする。
「部屋、だけど」
『そうか。あのさ、これから行っていい?腹減っててさ。なんでもいいから食わせてくれないか』
「え……」
謝罪から始めてほしかったわけではない。しかし、二週間ぶりの電話の用件が「何か食べさせて」だなんてと、不愉快になる。この数日間、ヤキモキしていたのが馬鹿らしく思えた。
『だめ?』
諒は珍しく甘えたような口ぶりで言った。
私はつんけんとして答える。
「今からだと、たいしたものは作れないよ。それでもいいならいいけど」
『やった!それじゃあ、今から行くから待ってて』
諒は嬉しそうに言って、ぷつんと通話を切った。
「まったく、なんなのよ」
私は切れた電話に向かって、文句を言った。けれど、もう彼に会えないわけではないことに、ほっとしてもいた。この前のことは大きすぎる事故だった。しかし、そのことは互いに心の奥底に仕舞い込み、今まで通りの関係を維持できるよう努力していれば、これからも諒とは仲の良い幼なじみ同士として付き合っていけるかもしれないと思う。
「とりあえず、ご飯ね」
私は早速エプロンを着けてキッチンに入った。冷蔵庫の中を見回して、残っていたご飯と卵、ハムを取り出す。
「何でもいいって言ってたもんね」
ちょっとだけ意地悪な気分になりながら、私はてきぱきと食材の調理に取り掛かった。
#切ない