テラーノベル
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第1話:最弱の人類、禁忌の晩餐
「……おい、全員『硬化(プロテクション)』のスクロールは使ったな?」 「ああ、三枚重ねがけした。全財産が吹き飛んだよ」
「『ラストエリクサー』も飲んだわ。副作用で心臓が破裂しそう」
「伝説級の武器、『竜殺しの大剣』……こいつのローンを返さなきゃいけねえからな」
地下迷宮の1階でAランク冒険者パーティ『雷光の牙』のリーダー、ガインは、脂汗を垂らしながら仲間に確認をとっていた。
彼らの装備は異様だった。 国宝級のミスリル鎧に、王家御用達の結界魔道具。さらには、飲むだけで一時的に身体能力を三倍にする禁断の秘薬まで使用している。 これだけの準備があれば、旧時代の伝承にある「魔王」ですら倒せるかもしれない。
だが、彼らの目の前にいるのは魔王ではない。 直径一メートルほどの、半透明な緑色の粘液。 ぷるぷると震える、愛らしくすら見える「スライム」だ。
「……行くぞ。俺たちの血と汗の十年を、この一撃に賭ける!!」
ガインの絶叫とともに、パーティは動き出した。 魔法使いが最高位の爆裂魔法を放ち、盗賊が音速を超えた動きで背後を取り、ガインが必殺の剛剣を振り下ろす。
完璧な連携だった。 この一瞬のために、彼らは来る日も来る日も、泥水をすすりながら鍛錬を続け、魔物の生態を学び、莫大な借金をして装備を整えてきたのだ。
ドゴォオオオオンッ!!
爆炎が迷宮内に上がり、凄まじい衝撃波が走る。 これならいける。誰もがそう確信した刹那――。
煙の中から、”それ”は無傷で飛び出した。
「な……ッ!?」
スライムの表面には、傷一つ、焦げ跡一つついていない。 それどころか、スライムは退屈そうに身体を波打たせると、ただ「前進」した。
「嘘だろ……。『ラストエリクサー』まで用意したんだぞ!?」
ガインの絶望的な叫びは、瞬時に途切れた。 スライムが身体をムチのようにしならせ、ガインの胴体を横薙ぎにしたからだ。 最高硬度を誇るミスリル鎧も、幾重にも重ねた防御魔法も、まるで濡れた紙のように容易く引き裂かれた。
「あ、が……」
上半身と下半身が泣き別れになり、地面に転がる。 薄れゆく意識の中で、ガインは見た。 仲間たちが次々と、ただの「体当たり」や「消化液」で肉塊へと変わっていく様を。
『鑑定結果:スライム Lv1』
視界の端に浮かんだステータス表示が、死にゆく彼を嘲笑っていた。 レベル1。 この世界の食物連鎖において、人類はそのレベル1にすら届かない「規格外の弱者」である。
「……クソ、ゲー、だ……」
それが、かつて「剣聖」と讃えられた英雄の、最期の言葉だった。
◇
王都の最下層、汚水と腐敗臭が充満するスラムの一角に、その店はある。 看板には剥げかけた塗料で『ゴズ精肉店』と書かれているが、陳列棚に並んでいるのは、普通の市民が口にするような肉ではない。
「おいクズ! 手が止まってんぞ!」
ドガッ、という鈍い音と共に、少年が汚れた床に転がった。
「ぐっ……すみません、店長」
蹴り飛ばされたのは、ボロ布のような服をまとった少年、レンだ。 痩せこけて頬はこけ、浮き出た肋骨が痛々しい。その瞳には生気がなく、ただ濁った泥水のような色をしていた。
「チッ、これだから拾いっ子は使えねえんだ。おい、その肉は『特上』の肥料になるんだ。骨の一本も残さず綺麗に削ぎ落とせ! 装備の破片が混ざってたら承知しねえぞ!」
店主のゴズは、脂ぎった顔を歪めて唾を飛ばす。 彼の視線の先にある作業台には、得体の知れない肉塊が積まれていた。 所々に焼け焦げた皮のベルトや、高価な布切れが付着している。 それは、ダンジョンから回収された「冒険者の成れの果て」だ。
人類が魔物に勝てないこの世界において、冒険者とは「死体予備軍」の別名でしかない。
それでも一攫千金を夢見てダンジョンに潜り、そして、ものの数時間で肉塊となって帰ってくる。 それをギルドの裏ルートから安値で引き取る、それがこの店の主なシノギだった。 使い方はいくらでもあった。
ミンチにして畑の肥料にすることもあれば、魔物を遠ざける為の餌として加工することもあった。
(……腹減った)
レンはふらつく足で立ち上がり、作業に戻る。 視界がちらつき、指先が痺れている。 無理もない。レンはもう五日間、何も食べていなかった。
先日、肉の選別作業で小さな骨片を見落とした罰として、ゴズから食事を一切禁じられていたのだ。 水は裏路地の雨水で凌いでいるが、固形物は胃に入っていない。胃袋が自身の内壁を消化し始めたような、焼けるような痛みが断続的に襲ってくる。
解体は迅速に行わなければならない。
それがこの店のルールだ。さもなければ、人の腐臭に釣られて魔物たちがやってくる。 だが、エネルギーの枯渇したレンの体は、鉛のように重かった。
目の前には山のような肉がある。 焼けば食えるかもしれない。 極限の飢餓状態にある脳が、何度もその選択肢を提示してくる。
(いや、だめだ……)
レンは唇を噛んでその思考を振り払う。 この世界の人間にとって、同族の肉を食うことは最大の禁忌(タブー)だ。生理的にも倫理的にも、魂がそれを拒絶する。 それに何より、商品に手を出したことがバレれば、今度こそゴズに殺される。
「へへッ、今月は豊作だ。国王が冒険者の援助を再開したってのは本当らしいな。しかし、なんでわからねえのかね。人間じゃあモンスターには勝てねえってのが」
ゴズはカウンターで金貨を数えながら下卑た笑い声を上げている。 空腹を押し殺し、レンは死体の腕から肉を削ぎ落とす。 淡々と、感情を押し殺して。
肉を削ぐ、肉を削ぐ、肉を削ぐ。
肉を削ぐ、肉を削ぐ、肉を削ぐ。
この肉塊が生前、どれほどの修行を積み、どれほどの希望を持ってダンジョンに挑んだかなど、レンには関係ないことだった。
強者も弱者も、死ねばただの肉だ。
そして生きている自分もまた、いつかはこの作業台の上に乗る運命なのだろう。 そんな諦念が、レンの心を支配していた。
◇
転機は、夕暮れ時に訪れた。 店の裏口が乱暴に開かれ、運び屋たちが巨大な麻袋を慎重に運び込んできたのだ。
「おいゴズ、特上品だぞ。『雷光の牙』のガインだ!」
運び屋の言葉に、レンの手が止まる。 ガイン。最近よく耳にする名前だった。未だかつてないほど良質な武器と防具を用意し、修行に修行を重ね、地下迷宮へ正面から乗り込んだ男。「ひょっとすると彼らなら……」と人類が夢を託した最後の英雄、『雷光の牙』のガイン。その死体がここに運ばれてきた。
「ほらよ!」
袋から転がり出たのは、見るも無残な肉塊だった。 白銀の鎧は半ば溶け落ち、身体の半分が欠損している。
「ひょー! こいつはすげえ! 装備の残骸だけでも家が建つぞ!」
ゴブリン一匹倒せない人類にとって、高レベル冒険者の装備は、それ自体が希少な資源だ。 ゴズは遺体に駆け寄ると、死者を悼むどころか、剥げそうな指輪や折れた剣を物欲しげに漁り始めた。
「レン! お前はこの死体をバラしておけ。早くしろよ?」
魔法を使う冒険者の肉体には魔力が宿る。魔物たちにとっては他の人間よりも匂うらしく、うかうかしていると呼び寄せてしまうのだ。
「じゃあ、俺はさっそく闇市に」
抑えきれない笑い声と共に、ゴズは剥ぎ取った装備を抱えて意気揚々と店を出て行った。 薄暗い解体場に、レンとガインの遺体だけが残される。
しん、と静まり返った室内。 レンは包丁を握りしめ、作業台の上の遺体を見下ろした。 いつもなら、ただの肉塊にしか見えないはずだ。 だが、今日は違った。
(……なんだ、この匂いは?)
死臭ではない。 鉄の錆びたような血の匂いでもない。 まるで熟れきった果実のような、あるいは極上の蜜のような、甘く芳醇な香りがレンの鼻腔をくすぐった。
『雷光の牙』ガイン。人間としての限界まで肉体を高め続けた男、ガイン。高密度の魔力と生命エネルギーの塊。 五日間の絶食で飢餓の極致にあったレンの身体は、そのエネルギーを「餌」として強烈に認識してしまった。
「っ……」
レンはふらりと遺体に近づく。 思考能力は限界を迎えていた。視界が白く明滅し、胃袋が痙攣してのたうち回る。 本能が警鐘を鳴らす。 それは人間だ。英雄だ。喰ってはいけない。 だが、それ以上に強烈な渇望が、レンの理性を内側から食い破ろうとしていた。
『喰え……』
誰かが耳元で囁いた気がした。
『喰らえ。お前が生きるために』
レンの手が、操られるように伸びる。 震える指先が、ガインの千切れかけた腕の肉に触れる。 まだ温かい。 英雄の血肉。 その温もりが、レンの最後の一線を焼き切った。
「あ……ぅ……」
気がつけば、レンは肉にかぶりついていた。
ガブリ。
生々しい咀嚼音が響く。 その瞬間、レンの瞳が見開かれた。
「う……ま、い……!?」
口の中に広がったのは、生臭さなど微塵もない、爆発的な旨味だった。 そして、喉を通った肉が胃に落ちた瞬間、熱い奔流となって全身の血管を駆け巡る。 枯渇していた生命力が満たされ、萎縮していた筋肉が内側から膨れ上がるような感覚。
それは食事ではない。魂の摂取(オーバーライト)だった。
《ピロンッ》
突如、無機質な電子音が脳内に響き渡った。 レンは驚いて顔を上げるが、周囲には誰もいない。 代わりに、目の前の空中に半透明の青いウィンドウが浮かび上がっていた。
『警告:同族喰らい(カニバリズム)を確認』 『適性個体と認定。システムを解放します』 『「雷光の牙 ガイン」の肉を摂取しました』
文字が、滝のように流れる。
『経験値を獲得……レベルアップしました』 『レベルアップしました』 『レベルアップしました』 『レベルアップしました』 『レベルアップしました』 『レベルアップしました』 『レベルアップしました』 『レベルアップしました』 『レベルアップしました』 『おめでとうございます、レベルが10に到達しました』
レベル10。 レンはその数字を呆然と見つめた。 この世界において、人間は魔物を倒すことができない。
ゆえに、全ての人類はレベル1のまま生涯を終える。 あのガインですら、レベルは1のままなのだ。
それを、たった一口。 たった一口の肉を喰らっただけで、英雄の倍の領域へ。
『ユニークスキル【剣聖の太刀筋】を継承しました』
全身に力が漲る。 今まで重く感じていた解体包丁が、羽のように軽く感じる。 世界の色が変わって見えた。
「俺は……何を……」
口元の血を拭い、レンが我に返ったその時だった。
◇
ドゴォオオオオンッ!!
店の入り口の扉が、蝶番ごと弾け飛んだ。 木片が散乱する中、土埃と共に現れたのは、悪夢そのものだった。
「グオオオオオオオッ!!」
身長2メートルを超える緑色の巨躯。 丸太のような太い腕、口から突き出した黄色い牙。 ゴブリンだ。 お伽噺に出てくる小鬼ではない。正真正銘の魔物。そして、この世界におけるゴブリンは、一匹で村一つを壊滅させる災害級の猛獣である。
「な、なんでこんなところに……!」
レンは身構える。 普段なら、ゴブリンと目が合った時点で死を覚悟する。 足がすくみ、失禁し、ただ食われるのを待つだけだ。 逃げ場はない。助けも来ない。これが日常だ。
だが、今のレンは違った。
「グルルッ!」
ゴブリンがレンを見つけ、涎を垂らしながら突進してくる。 その速度は疾風の如く、常人の目では捉えることすらできないはずだった。 しかし。
(……遅い)
レンの目には、ゴブリンの動きがまるで水中のように緩慢に見えた。 振り上げられた右腕の軌道。筋肉の収縮。重心の移動。 その全てが手に取るようにわかる。
レンは無意識に、傍らにあった解体包丁を逆手に握りしめた。 それは、本来ならば戦いに使うような代物ではない。刃こぼれし、脂で汚れたただの調理器具。 しかし、レンが構えた瞬間、その包丁は名剣のような冷たい輝きを放った。
『スキル発動:【剣聖の太刀筋】』
脳裏に映像がフラッシュバックした。
――血を吐くような鍛錬の日々。ボロボロになった剣の柄を握りしめ、手のひらの肉が裂けては固まるのを繰り返した幾万回の素振り。雨の日も雪の日も、泥に塗れながらただひたすらに限界を超えて剣を振り下ろす、狂気にも似たガインの執念の姿。
その研ぎ澄まされた剣技が、レンの身体を通じて再現される。 しかも、今のレンの肉体は、ガインから奪った経験値によって彼以上に最適化されていた。
「シッ!」
レンが踏み込む。 ゴブリンの剛腕が振り下ろされる直前、レンの身体は低く沈み込み、その懐へと滑り込んでいた。
一閃。
銀色の軌跡が、薄暗い店内に美しい弧を描く。 硬い皮膚も、分厚い筋肉も、太い頸椎も。 レンの手ごたえは、まるで豆腐を切ったかのように軽かった。
ドサッ。
ゴブリンの巨大な首が、ゴロンと床に落ちる。 一拍遅れて、首の断面から血飛沫が噴水のように吹き上がった。 巨体が崩れ落ち、痙攣し、やがて動かなくなる。
静寂が戻った店内。 レンは荒い息一つ吐かず、立ち尽くしていた。 右手には、どす黒い血に濡れた包丁。 足元には、人類にとっての絶望の象徴であるゴブリンの死体。
「俺が……殺した……?」
自分の手を見つめる。 震えは止まっていた。 恐怖もない。 代わりに込み上げてきたのは、かつて感じたことのない高揚感。 全能感。 そして――猛烈な「飢え」だった。
レンの視線が、足元のゴブリンの死体に吸い寄せられる。 首の断面から覗く、鮮やかな赤身の肉。 先ほど食べた英雄ガインの肉がもたらした力の奔流が、まだ体内で渦巻いている。
「人間を喰えば……強くなる」
それは、この理不尽な世界で生き残るための、唯一の解(チート)。 そして、目の前には、金になりそうな魔物の肉がある。
レンはゆっくりと、ゴブリンの死体に歩み寄った。 その顔には、もはや弱者の怯えはない。 あるのは、獲物を前にした捕食者の、恍惚とした笑みだけだった。
「……いただきます」
薄暗い解体屋の奥で、世界を揺るがす怪物が産声を上げた瞬間だった。
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