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放課後の相談室は、蛍光灯が半分だけ点いていた。
夕方の光が机の角を淡く照らしている。
ゆっくりと扉が開いた。
日下部はペンを置き、顔だけ上げた。
「来たな。そこ、空いてる」
相談者は黙って椅子に座り、鞄を足元に置いた。
言葉が見つからないようで、何度も手元を握ったり開いたりしている。
日下部は急かさない。
沈黙がしばらく流れた。
「……優しくされるとさ」
ぽつ、と声が落ちた。
「泣きそうになるんすよ」
視線は机の木目に固定されたまま。
「優しくしてくれたのに……受け取れねぇというか。
“ありがとう”って笑えなくて……。
本当は嬉しいのに、気持ちが固まって……。
そんな自分が、クソ嫌いで」
言葉の端々が震えている。
「俺なんか、優しくされる価値ないのにって……思っちゃうんすよ」
日下部は少しだけ目を細めた。
それは怒りでも苛立ちでもない。
ただ、その痛みが分かるという表情だった。
「優しさに応えなきゃって、思ってんだな」
「……うん」
「応えられないと、自分を責めるんだろ」
相談者が小さく頷く。
「でもな」
日下部の声は低く、柔らかい。
「優しさは、“返してもらうために”与えるもんじゃねえ」
相談者が驚いたように顔を上げた。
「応えられなくていい。
ありがとうって言えなくてもいい。
泣きそうでも、泣けなくてもいい」
日下部はペンを指で転がしながら、続けた。
「しんどい時、優しさを受け取るのって……めちゃくちゃ勇気いるからな。
むしろ、受け取れた分だけで、十分だ」
相談者の目がわずかに潤む。
「……俺、なんかさ。
優しくされたら、もうダメになりそうで」
「分かるよ」
即答だった。
「張りつめてる時ほど、ちょっとの温度で崩れそうになる。
その涙が出そうになる瞬間は……ちゃんと頑張ってきた証拠だ」
日下部はほんの少し肩をすくめる。
「涙はさ、弱さから出るんじゃねーよ。
“ここまで耐えてきた”って心が叫んでるだけだ」
相談者は唇を噛み、視線を落とした。
一滴、ぽつりと机に落ちる。
日下部は慌てない。
ティッシュも差し出さない。
泣くことを止めるような真似もしなかった。
涙を隠さなくていい空気だけが、そこにあった。
「優しさに応えなくていい。
ただ受け取って、生きろ。
それだけで十分だ。……少なくとも俺はそう思う」
声は少し照れくさそう。
相談者がかすかに笑った。
涙で歪んだその顔は、強がりを脱いだように見えた。
日下部は窓の外を一度見て、小さく言った。
「俺はここにいる。
お前がまた誰かの優しさを受け取れるまで……何度でもな」
沈黙が、そっと二人を包む。
その静けさの中で、相談者は小さく息をついた。
固く結んでいた心の扉が、少しだけ開いた気がした。
優しさはまだ、痛い。
けどきっと、痛いままでもいい。
ここに来れたことだけで――今日はもう、十分だ。