テラーノベル
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写真を見た瞬間、モルリが声を弾ませた。
「うわ、デシアだ。笑ってる!」
その言い方に悪気はない。むしろ見つけた宝物を喜ぶ子どもみたいだった。けれど、その無邪気さが、かえってシェルターの空気を止めた。
写真の中のデシアは、朗読台に片手を添え、客席の誰かへ話しかける直前みたいに笑っている。肩の力が抜けていて、目の奥まで明るい。
今、長机の端に立っている彼女とは、同じ人なのに少し違って見えた。
ホレがそっと写真を差し出す。
「これ……取っとく?」
デシアは受け取るまで少し時間がかかった。指先で端をつまむ手が、ほんのわずかに震えている。
サベリオは、その震えに気づいてしまった。
デシアは写真をじっと見た。周囲の声が遠のいたみたいに、静かだった。モルリさえ、この時ばかりは何も言わない。
長い沈黙のあと、デシアの睫毛が一度だけ揺れた。
頬を一本の涙が伝う。
誰にも見られたくない涙だったのだろう。彼女はすぐに顔を伏せた。だが遅かった。見えたものは、もうなかったことにはできない。
モルリが息を飲む。
「……ごめん」
「いいの」
デシアは小さく首を振った。その声はかすれていたが、壊れてはいなかった。
ミゲロは何も言わず、近くにあった古い椅子を静かに引いた。座れ、ということだろう。デシアは礼も言わず、そのまま腰を下ろした。礼を言わせないような自然さで椅子を差し出すところが、ミゲロらしかった。
ヌバーが珍しく軽口を挟まない。ヴィタノフも壁際で黙ったまま立っている。
サベリオは、何か言うべきか迷った。だが、どんな言葉も写真の明るさに負ける気がした。
デシアは涙を拭き、もう一度写真へ目を落とした。
「この日、雨だったの」
ぽつりと、独り言みたいに言う。
「客席が少なくて、始まる前はみんな落ち込んでた。でも、最初の一行を読んだら、外の人が少しずつ入ってきて……最後、立ち見までいた」
モルリがそっと近づく。
「覚えてる。私、入口で濡れた傘預かってた」
「うん」
デシアがうなずく。
「サベリオは、朗読台の脚が揺れないように、開演直前まで下でねじ締めてた」
急に名前を呼ばれ、サベリオは肩をこわばらせた。
「そんなことまで覚えてるのか」
「忘れられないから」
それが嬉しい意味なのか、苦しい意味なのか、すぐには分からなかった。
デシアは写真の端へ目を移し、少しだけ表情を変えた。
サベリオもつられて覗き込む。
端の方、舞台袖の影に、若い男が半分だけ写っていた。今より髪が少し長く、横顔はまだ尖っている。それでも分かる。
アルヴェだ。
モルリが眉をひそめる。
「いたんだ、やっぱり」
デシアは何も答えなかった。
写真一枚で、シェルターの空気がまた別の方向へ動き出す。過去は遠くへ片づけたつもりでも、こうして紙の中から平気な顔で戻ってくる。
長机の上には『春の音』が開いたままだった。
その未完成の台本の上へ、写真から落ちた一滴の涙が、小さな丸い跡を残していた。
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