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その日、羽田空港に戻った栞は、先輩アテンダントに呼び出された。
「お呼びでしょうか?」
「ああ、鈴木さん! さっきあの辺りに座っていた女性客からクレームが入ったんだけど、注文していないのに勝手にコーヒーを出されたと怒っていたわ。それは本当なの?」
その女性客は華子だと、栞はすぐに分かった。
「はい。お声がけをしましたが返事がなかったので、お連れの方が指定したコーヒーを提供しました」
「なるほど、そういうことか! じゃあ、あなたのミスでもないわね。乗客の中には、たまに意味もなくCAに当たる人がいるのよ。たぶん個人的な問題を抱えてるんだと思うけどね。ただ、私たちはどんなお客様にも最上級のサービスを提供する責任があるわ。これからも理不尽なことがあるかもしれないけれど、気にしないでいきましょう! 呼び出して悪かったわね」
先輩アテンダントは、優しく微笑みながら言った。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。以後、細心の注意を払い、より良いサービスが提供できるよう努めます」
栞は一礼し、空港内の事務所へと向かった。
その日の業務をすべて終えた栞は、電車に揺られながら帰路についていた。
栞のマンションは、空港から電車で10分ほどの場所にある。CAは空港の近くに住むことが一般的で、栞も引っ越しをしていた。
それにしても、華子が栞に対していつも敵意をむき出しにするのはなぜだろう?
栞が慶尚大学に入学したことが、それほど許せなかったのか?
華子が慶尚大学を目指した理由は、ハイスペックな男性を見つけるためだった。何か特定の分野を学びたいわけではない。
大学時代、華子はアルバイトやサークル活動に夢中で、学業に専念しているようには見えなかった。
だから、栞が慶尚大学に入ったことを、なぜここまで恨むのが不思議でならない。
現に、華子は慶尚大学に落ちても、サークル活動を通じて大学に頻繁に出入りしていた。だから目的は果たしたはずだ。
となると、華子が栞に執着する理由は、もっと別の何かがあるのかもしれない。
そんなことを考えながら、栞は電車を降りるとホームから父の家へ電話をかけた。
「はい、鈴木でございます」
「美幸さん、こんばんは」
「あら、栞ちゃん! フライトはもう終わったの?」
「はい、今帰り道です」
「それはお疲れ様」
「あの、今日お父さんの帰りは早いですか?」
「ええ、7時頃に帰るってさっき連絡があったわ」
「ちょっと父に聞きたいことがあるので、今から行ってもいいですか?」
「もちろん、大歓迎よ! だったら、お夕飯一緒に食べましょう」
「わぁ、嬉しい! でも急だけど大丈夫?」
「いつも多めに作っているから大丈夫よ。ここはあなたの実家なんだから遠慮しないの!」
美幸はそう言ってクスッと笑った。
「じゃあ今から向かいますね~」
電話を切った栞は、実家へ続く路線に乗り換えた。
最寄り駅で電車を降りた栞は、手土産のケーキを購入してから実家へ向かった。
あれから、父と美幸の交際は順調に進み、二年前に晴れてゴールインした。
結婚と同時に、美幸は仕事を辞め、今は専業主婦として家庭を支えていた。
実家に到着すると、美幸が笑顔で出迎えた。
父が一人暮らしをしていた頃、新築マンションの室内はどこか殺風景で無機質だった。しかし、美幸がこのマンションに住むようになってからは、手作りの刺繍やパッチワークがあちこちに飾られ、温かみのある空間へと変わっている。
美幸のいるマンションは、不思議と心が安らぎ笑顔になれる。
料理上手な美幸の料理も、栞にとっては楽しみの一つだ。
栞が実家を訪れて帰る際、彼女はいつもお惣菜を持たせてくれた。その優しさに、栞は深い感謝を感じていた。
二人の結婚により、栞はようやく心からくつろげる『実家』を手に入れた。
「栞ちゃんおかえりなさい」
「ただいま~」
「今日はどこへフライトだったの?」
「神戸まで行って帰って来たの」
「わぁ、神戸かぁ~! 20代の頃に女友達と旅行に行ったきり、ずいぶん行ってないなぁ」
美幸はお茶の準備をしながら、懐かしそうに言った。
「でも、栞ちゃんたちCAさんは、観光する時間なんてないんでしょう?」
「うん。ただ行って帰ってくるだけ。結構、CAの仕事ってブラックでしょう?」
「フフッ、ほんとね! でも国際線だと少し違うんじゃない? 栞ちゃんは国際線を希望してるのよね?」
「うん、そうよ。でも、ある程度国内線で経験を積まないと、国際線の試験が受けられないんだ」
栞は、美幸が淹れてくれたお茶を飲みながら答えた。
「なんか凄くいい匂いがする~!」
「今日は牛すね肉が安かったから、シチューを煮込んでいるのよ。栞ちゃん、シチュー好きだったわよね?」
「うん、大好き! 特に美幸さんのシチューは絶品だもん!」
そう言って、栞は嬉しそうに笑った。
その笑顔を見つめながら、美幸の心は幸せに満たされた。
栞の父・剛からプロポーズされた時、美幸は一瞬悩んだが、すぐに心の奥底にこんな思いが湧いてきた。
『私は栞ちゃんの母親になりたいのかもしれない……』
もちろん、剛に強く惹かれていたのは事実だ。しかし、それと同じくらい、栞を守りたいという気持ちが強かった。
だから、美幸は剛のプロポーズを受け入れた。
その結果、新しい家族が誕生し、今は穏やかで幸せな毎日を過ごしている。
その時、栞がシチューのレシピを聞いてきたので、美幸は丁寧に作り方を教えた。
和やかな会話が弾む中、インターフォンが鳴り父の剛が帰宅した。
「お父さんお帰りなさい!」
「おっ、栞、どうした? 何かあったのか?」
「うん、ちょっとね。お父さんに聞きたい事があって……」
剛は脱いだ上着を美幸に手渡しながら、栞に問いかけた。
「なんだ、改まって?」
「うん、ご飯を食べながら話すよ。とりあえず着替えてきたら?」
「そうだな……」
剛はそう言うと、寝室へ着替えに向かった。
それから、三人は食事を始めた。
テーブルには、シチューの他に彩り鮮やかなサラダ、鯛のカルパッチョ、それにフランスパンが並んでいる。
どれも美味しそうだ。
「シチュー美味しい~! 美幸さんて、本当に料理上手~!」
「ありがとう! 栞ちゃんにそう言って貰えると嬉しいわ!」
「おいおい、俺じゃ駄目なのか?」
剛が拗ねたように言ったので、女二人が声を上げて笑った。
「そういえば、栞は今日フライトだったんだろう? 今日はどの便だったんだ?」
「今日は神戸までの往復」
「神戸かぁ。昔、出張で行ったきりだなあ。今度、美幸を連れて行ってみるかな」
「あら、まあ!」
美幸が両手を頬に当て、嬉しそうに声を上げる。
「神戸に連れて行ってくれるなら、もっと美味しい物を作らなくちゃ!」
美幸は剛のグラスにビールを注ぎながら言った。
「いやいや、もう十分に美味しいよ! 俺は毎日こんな美味い料理が食べられて幸せさ」
剛の言葉に、美幸がポッと頬を赤らめる。そして二人は見つめ合って微笑んだ。
「はいはい、お惚気はそのくらいで、続きは娘が帰ってからにしてね~! でさ、お父さん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「ん? なんだ?」
「うん、あのね、華子姉さんのことなんだけど……」
「華子がどうした?」
「今日、偶然機内で会ったの」
栞の言葉を聞いた二人は、驚いて顔を見合わせた。
剛は、前の家族のことをすべて美幸に話していたので、事情を知っていた。
「それはすごい偶然だな。元気だったか?」
「うん。でもね、なんか50代くらいの男性と一緒にいたの」
「そうか。華子は就職はしたんだよな? それなのに平日に歳の離れた男と一緒か……」
「うん」
「それで、華子の何が聞きたいんだ?」
「あの人の実のお父さんって、今どうしてるの?」
「ん? なんでそんなこと聞くんだ?」
「うん、ちょっと知りたくて……」
「そうか。まあこれは再婚する前に弘子から聞いた話なんだが、華子が生まれてすぐ実の父親は家を出て行ったそうだ。弘子の話によれば、その父親は子供嫌いだったそうだ。だから、華子は父親に抱いてもらったこともないし、父親に関する記憶も一切ないみたいだな」
父の話を聞いた栞は、少しショックを受けた。
自分も幼い頃に母を失ったが、母の深い愛情や優しさは今でも記憶の中にある。しかし、華子にはそういった思い出すらないようだ。
「まあ、あれだな……そういう意味では華子は少し不憫かもしれないな。両親の離婚後、華子は厳しい祖父母に育てられた。母親はホストにのめり込むようなタイプだったし、母親らしい役割を果たすことはできなかったんだろう。だから華子がうちに来た時、どう俺に接すればいいのか戸惑っている感じだったしな。父さんもなるべくコミュニケーションを取ろうと努力したけど、すぐに単身赴任になってしまったからな。今思えば、華子は大人の事情に振り回されてばかりで、気の毒な子だったと思うよ……」
父は昔を思い返しながら、しみじみと言った。
父が弘子と再婚した当初、栞は、弘子と華子の間にうまく入れずにいた。血の繋がった母娘の絆に割り込むことができず、距離を感じていた。
もしかすると、華子も同じように父と栞の間に入り込むことができなかったのかもしれない。
栞たち親子が親し気に話す姿を見て、もし華子が疎外感を抱いていたとしたら?
栞が弘子と華子から孤立していると感じていたように、華子も同じような思いを抱えていたのではないだろうか?
「お父さんありがとう! 聞いてみて良かった」
「こんな話で良かったのか?」
「うん、十分よ! さあ、美味しい料理が冷めちゃうから食べようよ」
栞は明るくそう言うと、美幸が作った温かな料理を口にした。
「おかわりもいっぱいあるから、たくさん食べてね」
美幸が笑顔で促すと、栞は嬉しそうに頷いた。
(華子は、こういう温かな家庭の団らんを経験したことがあるのだろうか?)
ふとそんな考えが、栞の頭の中をよぎった。
その夜、栞は午後十時近くまで両親とお喋りを楽しんだ後、心が満たされた状態で自宅マンションへ帰っていった。
コメント
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父と美幸さん結婚したのね💗お似合いだったもん。 栞ちゃんを娘として接する喜び💕美幸さんは母性もあって素敵な人だね。末永くお幸せに🥰 華子は愛を知らないから、親から愛され満たされてると感じてる栞ちゃんに執着するんだろうね。。 華子は今の愛人関係を解消して本気で愛しあえる人と出会って欲しい😢
園田さんがプロポーズされてすぐ栞ちゃんのことを考えたのが素敵(*´∀`*)パパさんにとって園田さんは運命の人かもしれませんが栞ちゃんと園田さんも運命の太い糸でがっちり結ばれている(๑•̀ㅂ•́)و✧
あら、パパさんと園田さんはいつの間にか夫婦に♡栞ちゃんは、そんなこと聞いて、どうするのかな?