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#海辺の町
翌朝、海鳴り寺の離れには、昨日のプリン騒動をまだ引きずった空気が薄く残っていた。啓介が掃き出し窓を開けると、潮の混じった朝風が畳の上を通り、机の端に置かれたメモを一枚めくる。
芽生は机に向かったまま、聞き書きの紙を順番に並べ直していた。いつも通りの顔に見えるのに、啓介が「おはよう」と言うと、返ってきた声はほんの少しだけ固い。
「……おはようございます」
「昨日は、その」
「私、そんなに食い意地が張って見えますか」
「そこじゃなくて」
啓介は言葉を探したが、見つかる前に絋規がやって来た。片手に写真館の紙袋、もう片手に牛乳瓶。扉のところで二人の顔を見比べ、すぐに事情を察した顔になる。
「まだ引きずってる」
「誰のせいだと思ってるんですか」
芽生が言う。
「俺?」
「あなたは半分笑ってただけです」
「じゃあ半分は啓介のせいだ」
絋規はけろりと言って、啓介の肩を軽く小突いた。
「昨日の庇い方、逆に失礼だったよな」
「そんなに?」
「そんなに。『違うのか』は、ほぼ黒だと思ってる人の声」
離れの奥で、義海が吹き出した。
「たしかに。俺でもちょっと傷つく」
「お前はたぶん本当に食べるだろ」
「そこは傷つく」
芽生は紙を揃える手を止め、ふっと息を吐いた。
「別に怒ってるわけじゃないんです。ただ、疑われるより、気を遣われすぎるほうが疲れる時もあります」
「……ごめん」
啓介が頭を下げると、芽生は少しだけ目を丸くした。その顔を見て、絋規が「お、ちゃんと謝れた」と面白そうに笑う。
「でも」
芽生は口元をゆるめた。
「もし私が本当に犯人だったら、もっと上手に証拠を消します」
「言うねえ」
「そこは否定しないのか」
啓介が思わず言うと、ようやく離れにいつもの調子が戻る。
そのとき、本堂のほうから子どもの声がした。昨日プリンを持っていった男の子が、今度は自分で描いたらしいプリンの絵を持ってきている。享佑はそれを受け取り、厳しい顔のまま「字は上手い」とだけ言った。
皆が笑う。
笑いの輪の外で、啓介は昨日より少しだけましな距離で芽生の横に立てた気がした。けれど、まだ胸の奥には、うまく言えなかった言葉の残りが引っかかっている。
絋規はその引っかかりまで見抜いたみたいに、帰り際、啓介へにやりとした。
「今度かばう時は、相手が喜ぶ形でな」
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