テラーノベル
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放課後。教室。
教室の空気はすでに歪んでいた。
ざわめきは、遥の周囲だけ避けるように、静寂を孕んでいた。
机に戻っていた。わざとだ。
──逃げないように見せる、それだけのため。
女子たちの笑い声が、後ろから小さく刺さってきた。
「ねぇ、さっきのやつ、蓮司とだったんでしょ?」
「てか、マジでやってたの? キスっていうか……あれさ……ガチだったじゃん」
遥は返事をしない。
筆箱を開くふりをして視線を逸らす。
「え、無視?」
「てか、そういうの、隠さないんだ。さすがって感じ」
笑い声。
「ていうかさ、どんな気持ちなの? ああいうのされるとき」
「演技だった? それとも、気持ちよかった?」
誰かの声が、妙に甲高く響いた。
遥は黙っていた。
指先に力を込めて、シャーペンの芯を折った。
「……どっちでもいいだろ」
ぼそりと答える声は、乾いていた。
疲れ切って、感情の入る余地がない。
「じゃあ本気ってこと?」
「え、エグい。普通にキモくない?」
「男子同士であんな、マジで……」
「てか、それで日下部くんも来てたんでしょ? どっちが彼氏なの?」
言葉が連なって、皮膚の下に埋まってくる。
笑いながら、誰かが背中を小突いた。
「やられてるほうってさ、クセになるってホント?」
「ねえ、どんな風に“気持ちいい”の?」
「蓮司くんに、どこまでされてんの?」
──汚い。
遥の中で何かが膨れあがっては、潰れた。
「気持ちよくなんて、ねぇよ」
低く吐いた声。
けれど、それにまた笑いが重なる。
「え、強がり? めっちゃ反応してたじゃん、顔」
「演技ってことにしとく?」
「でも、そういうの、似合うよ。される側って感じ」
「かわいいもんね、遥くん。……元は」
その“元は”が、遥の耳に刺さった。
喉の奥がきゅっと詰まる。
その瞬間、なぜか──日下部の言葉が脳裏に浮かんだ。
「……生きててほしい」
……なに、あれ。
そんなの、今さら、どうしようもないだろ。
──どうせ、壊れてる。
──汚れてる。
──もう、戻れない。
遥は机の上の消しゴムを手に取って、爪で端を強く削り始めた。
皮膚に触れた感触じゃ、足りない。
何かを削ってないと、内側から全部が漏れそうだった。
「どうしたの? 黙っちゃって」
「え、泣くの?」
「ねえねえ、まさか本気で傷ついたとか言わないよね?」
笑い声。
声。
声。
音。
騒音。
──ノイズ。
遥は、笑った。
喉の奥から、絞り出すように。
「……バカじゃねえの、おまえら」
「俺が何されてようが、おまえらには関係ない」
「でも見たいんだろ? 俺が壊れてくの」
「安心するんだろ? 下がいるって。惨めなやつが」
「だったら、もっと見せてやるよ」
遥は立ち上がる。
机の上の消しゴムを握りつぶすようにして。
「俺がどれだけ汚くて、クズで、……どうでもいいか、見せてやるよ」
その目には、もう涙も怒りもなかった。
あるのは、乾いた虚無と、ただ一点、立っている意地だけだった。
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