テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
それから三日後、商店街の空き店舗に、ようやく客席らしい形が生まれた。
客席といっても、ハルティナが運び込んだ折り畳み椅子を三列並べただけだ。元は服屋だったらしい店の床には、棚の跡が四角く日に焼けて残り、壁には抜かれた釘穴がそのまま見えている。
それでも、何もない場所に椅子が並ぶと、不思議と始まりの匂いがした。
ホレが受付代わりの机を置き、ヌバーが「本日は無料、逃げても追いません」と勝手な文句を書き、モルリが通行人へ声をかける。
「五分だけでもどうですか!」
最初に入ってきたのは、買い物帰りの老婦人だった。次が学生服のままの男子。最後に、ダニエロがコンビニのエプロン姿のまま顔を出す。
「店、今だけバイトに任せてる」
「それ、いいの?」
モルリが聞くと、彼は肉まんの袋を差し出した。
「いい顔してるから、たまには」
三人。
たった三人。でもゼロではない。
サベリオは客席の少なさより、椅子が埋まった事実の方に足を止めた。
デシアは店の奥で原稿を抱えている。まだ読むのはヌバーだ。彼女はそのはずなのに、妙に緊張して見えた。
「始めます!」
ヌバーの声が、空き店舗の天井へ軽く跳ねた。
『春の音』の短い一場面。橋の下で通り雨をやり過ごす、見知らぬ人同士の会話。
ヌバーは役を行ったり来たりしながら、時々妙な間をつくる。モルリがそこへ体の動きで笑いを足し、ミゲロが椅子を一つずらしただけで雨宿りの距離感を見せる。
短い。粗い。けれど、ちゃんと呼吸があった。
読み終わったあと、一秒だけ沈黙が落ちる。
長い一秒だった。
失敗したかもしれない、とサベリオが思いかけた時。
ぱち。
老婦人が、手を合わせた。
続いて学生。ダニエロ。
三人ぶんの拍手は少ないのに、狭い店の中ではやけに大きかった。
モルリが固まる。ヌバーも口を開けたまま止まる。ホレは目を丸くし、ミゲロは自分が呼吸していなかったことに今さら気づいた顔をした。
デシアは、拍手の音そのものを聞いていた。
誰かが受け取った音。笑いではなく、返ってきた音。
サベリオの胸の奥で、何かが静かにほどける。
その時、入口の外で、もう一つ遅れて拍手が鳴った。
全員が振り向く。
夕方の光を背にして、アルヴェが立っていた。
駅前のポスターと同じ顔なのに、実物は思っていたよりずっと疲れて見える。
彼は三人の客を押しのけるでもなく、店の外からこちらを見て言った。
「その続き、ある?」
デシアの指が、原稿の端で止まった。