テラーノベル
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教室の空気が変わったのは、昼休み明けのことだった。
遥が自席に戻ると、机がなかった。椅子だけがぽつりと、教室の隅に追いやられている。誰がやったかは、見ればわかる。笑っている奴らが、そこにいる。
「おい、また“定位置”戻ってねーぞ」
そう言ったのは、クラスの中心にいる男子の一人。遥と同じ中学出身で、遥の過去も、家庭のことも、よく知っているはずの男だ。机は窓際に積まれていた。わざとらしく、ぐらぐらと不安定に。
「……返してくれないの」
「は? なんか言った?」
男が近づいてくる。取り巻きたちが笑っている。女子も、見て見ぬふりで教室の壁に溶けていく。
「別にいいじゃん。そんな使わないでしょ? 机なんて」
遥はそのまま、黙って窓際に積まれた机を取りにいく。すると、後ろから何かが飛んできて、背中にぶつかる。
黒板消しだった。チョークの粉が制服にまぶされる。
「ちょっとはリアクションしろよ。つまんねえな」
「それより、次の授業体育だろ? 体操服、ちゃんと持ってきた?」
遥はその言葉に、ハッとする。忘れてはいない。だが——。
「じゃ、確認しよっか?」
机の引き出しを勝手に開けられる。バッグも。中身が次々と取り出され、無遠慮に教室の床に投げ捨てられていく。
「……あったあった。体操服、ほら……」
男は笑っている。遥の体操服を握りしめて、そのままゴミ箱に突っ込んだ。
「汚ねーから、ちょうどいいんじゃね? そっちのほうが“お似合い”」
その一言で、教室がざわつく。拍手をする者、動画を撮っている者。遥は、鞄の中身を無言で拾い集める。笑い声がどこまでも追いかけてくる。
「おい、次ゴミ箱漁るの? ウケるんだけど」
「てか、あれじゃん。おまえんちの親もそういう系だっけ? そういうの慣れてるっしょ?」
遥の動きが止まる。
その一瞬を、逃さない。
「ん? なんだよその目。睨んでんの? へぇ〜、ちょっとは反抗できんだ?」
殴られる。突き飛ばされる。背中が黒板に打ちつけられ、チョークの粉が舞いあがる。その様子に、また誰かが笑った。
「うわー、リアルに黒板に貼り付いてるって。映画かよ」
遥は、声を出さない。出せない。喉の奥で、何かがずっとつかえている。叫びも、怒りも、悔しさも。全部、息の代わりに飲み込んできた。
「次、さあ……どこまでやったら泣く?」
そう言って、男たちはまた近づいてくる。今度は、定規を片手に。
遥の手の甲に、パシン、と音がする。
痛みより先に、羞恥がきた。
これを止める大人はいない。教師は、廊下の向こうで見て見ぬふりをしている。いつものことだ。遥が何をされても、教室の秩序は乱れない。
なぜなら、壊れているのは——遥の側だから。
「なあ、まだ壊れねえの?」
誰かがそう言った。
その言葉に、遥はようやく目を伏せる。
ゆっくりと、机のない床にしゃがみこみ、自分の手を抱え込む。
そして、何も言わず、泣きもせず。
ただ、呼吸を止めた。
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