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四時間目。
数学の教師が入ってきた瞬間、黒板に走るチョークの音よりも先に、
クラスの空気が“いつもの配置”に戻る。
遥の机の上には、すでに置かれていた。
無記名のプリント。
内容は毎日違うが、形式は同じ。
『今日の反省(400字)
・教室の空気を乱した点
・配慮に欠けた点
・改善策
※提出しない場合、クラスで共有します』
教師の字でもない。
生徒の誰の字でもないように、丁寧で読みづらい癖のない文字。
――犯人が誰か、わざと分からないようにしている。
これも、学校での“制度化された地獄”だった。
日下部が小声で言った。
「……無視しろよ、こんなの」
「無視したら……もっと長くなるんだよ。
“提出しなかったこと”に対する反省文が」
「なんだよそれ……意味わかんねぇ」
意味はある。
“責任の所在を曖昧にしたまま、被害者にだけ義務を課す”。
それは、このクラスが作り上げたルールだった。
教師は、プリントの存在を“見て見ぬふり”ではなく、
初めから存在しないものとして扱う。
「静かにしろよ、日下部。後ろの席に響いてるぞ」
教師が言う。
しかし、遥の机の上のプリントには触れない。
プリントを置いた生徒を咎めない。
遥に書けとも言わない。
つまり教師は“関係しない”。
その立場を崩さない。
この無関係こそが、最も残酷だった。
授業が始まるが、遥は数字が頭に入ってこない。
背中が痛む。
眠気と疲労が混ざり、視界がゆらぐ。
すると、前の席の男子が小さく振り返り、囁く。
「おい、ページ指定されたの聞こえてたか?」
「……聞こえてる」
「じゃあ言ってみ? 何ページ?」
遥は答えない。
男子は満足げに前を向く。
――答えても間違いになるし、答えなくても“態度が悪い”になる。
このゲームは成立している時点で詰んでいる。
休み時間。
教室の一角で数人が“黒板タイム”を始める。
毎日恒例のクラス掲示板の書き換えだ。
『今日のクラスの課題』
『反省すべき点』
『改善すべき態度』
そして、誰かが書く。
ゆっくり、ためらいなく。
『・空気を読むこと
・勝手に暗くならないこと
・周りに負担をかけないこと
(該当者は分かってるよね)』
名前は書かれない。
しかしクラス全員が、“該当者”を当然のように見ていた。
遥のほうを。
日下部が立ち上がりかけた。
「ふざけんなよ……」
だが遥が袖をかすかに引いた。
「……いいから。やめろ。
お前が出たら……お前まで巻き込まれる」
「巻き込まれたほうがいいに決まって――」
「……そう思ってるの、お前だけだよ」
言い返せない現実。
クラスは“加害者の人数が最大値”で、味方が一人では成立しない。
日下部が動いた瞬間、
「空気読めよ」
「めんど」
「またかよ」
と、周囲の視線が一斉に集まる。
その“圧”だけで、日下部は椅子に押し戻される。
昼休み。
購買から戻った遥の机の上には、別の紙が置かれていた。
『昼食指導メモ』
・食べるペースが遅い
・ため息が多い
・周囲に気をつかわせないこと
・次は注意になります
注意の先には罰がある。
罰の先には別の罰がある。
誰が書いた?
分からない。
誰にも分からないようにしてある。
ただ、“全員が加害者になれる構造”だけが残る。
遥はパンを半分に割り、無理やり口に押し込み、
飲み込みながら、少しだけ笑った。
「なんで……学校って、こうなるんだろうな」
日下部は返す言葉を持たない。
言えば慰めになる。
慰めは、遥の首をさらに絞める。
なるべく普通の声で、遥は言った。
「……大丈夫。
慣れてるから」
その“慣れ”が、何より最悪の異変だった。