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始業のチャイムが鳴るより前から、教室の空気はもう決まっていた。
“どちらを向けば、誰が痛むのか”――誰もがそれを知っている教室。
遥が下駄箱で靴を入れ替えていると、背中に硬い衝撃が落ちた。
ガンッ。
ロッカーの縁に額がぶつかり、視界が白く散る。
振り返るより早く、男子数人が靴のまま背中を踏みつけてきた。
「おい、誰が『通っていい』って許可出した?」
「昨日の“ルール”、忘れた?」
許可。
昨日、ホームルーム後に決められた新しい規則――“朝一番に教室に入る前、廊下で五分間頭を下げること”。
従わなければ“授業中の罰”が追加される。
遥は、顔を上げられない。
いや、上げれば靴底が頬を踏みつけるのをわかっている。
「五分どころか、三十秒じゃん。やり直し」
男子が腕時計を見せるようにかざし、わざとらしくため息をつく。
「はい、床。ちゃんと額つけて。声出したらゼロからね」
床に手をつき、額をつける。
廊下の冷たさが皮膚を刺す。
周囲は通学してきた生徒たちが通るたび、ちらりと視線を落とすが……どれも“見ない”と決めた者の目だった。
「……おい、頭の角度浅いって。お前さ、反省の姿勢が甘いんだよ」
後頭部を靴で押され、角度を調整される。
まるで家具の位置を直すようなぞんざいさで。
五分。
――正確には七分。
時計の針が進むたび、心臓の脈だけがじわじわと音を立てる。
解放された瞬間、ようやく息を吸う。
だが、その呼吸はすぐに断ち切られる。
「授業始まる前に“今日の係”決めるぞ。遥、お前だ」
“今日の係”。
日替わりで設定される“奉仕内容”。
黒板消し、教科書配り、掃除……ではない。
このクラスでの“係”は、いじめの形式を決めるためのコードだった。
「今日は“無音係”ね。終わるまで一言も喋っちゃダメ。喋ったら、放課後にメンテナンス」
メンテナンス――。
それは“壊れた部分を直す”という彼らの言い換えで、実際は“痛めつけた場所にさらに追い打ちをかける”という儀式だ。
遥はうなずく。
その動作すら、誰かの笑いを誘った。
「お前さ、うなずき方がムカつくんだよな。なんか“従ってますけど?”みたいなさ」
襟首をつかまれ、壁に押しつけられる。
ほんの少しでも呼吸を乱せば、「声出した」とカウントされる。
――喋るな。
――反応するな。
――逆らうな。
――痛みを表情に出すな。
そのどれか一つでも破れば、放課後の“補修”が待っている。
教室に入ると女子たちがすでに輪をつくっていて、遥を見るなり顔をしかめた。
「また来たの? 今日もいるの、あんた?」
「“無音係”らしいよ。邪魔しないように空気薄くしてくれない?」
女子たちの笑い声は軽い。
それが一番きつい。
悪意は男子よりも薄いのに、遥にとっては逃げ場がない。
席に座ると、机の中から何かが落ちた。
ノートに殴り書きされた紙切れ。
『今日、泣いたら終わり。泣くなよ?』
――泣くな。
――喋るな。
――反応するな。
――従え。
地獄は一本の柱ではなく、複数の縄で全身を縛る網のように、じわじわ締めつけてくる。
午前の授業は、ただ“壊されないように”過ぎていく。
それがこの学校で、遥が呼吸できる唯一の方法だった。