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沙夜が次に目覚めたのは、翌朝のことだった。
まぶたを開けると、カーテン越しに柔らかな朝の光が差し込んでいる。
どうやら眠っている間に部屋を移されたらしく、今朝は静かで清潔な個室にいた。
(……司さんは?)
慌てて身を起こそうとした瞬間、激しいめまいに襲われ、再び枕へ頭を戻す。
視線だけを動かして室内を探したが、司の姿はどこにもなかった。
(そうよね……三日間も付きっきりでいてくれたんだもの。仕事だってあるし)
そう思いながらベッド脇の棚を見ると、見覚えのあるショップバッグが置かれていることに気づいた。
お見舞いだろうか?
沙夜はゆっくりと上半身を起こし、バッグへ手を伸ばす。
だが、触れた瞬間、ハッとした。
――これは、あちらの世界で司が買ったものだ。
(赤ちゃんのために、彼が選んでくれたもの……)
胸の奥が熱くなるのを抑えながら袋を開けると、上品なベージュ色のベビーシューズが入っていた。
沙夜はそれをそっと手のひらに乗せる。
(赤ちゃんのために、靴を……)
胸がいっぱいになり、瞳に涙が滲む。
あちらの世界の出来事が夢だったのか現実だったのか、自分でも判然としない。
ただ一つ確かなのは――その夢の内容をすべて覚えているということだった。
午後になり、面会時間が始まると、沙夜の部屋にノックの音が響いた。
「どうぞ」
返事をすると、ドアが開き、義母の美智子が姿を見せた。
「具合はどう? あら、だいぶ顔色が良くなって……よかったわ」
ほっとした表情で言いながら、美智子は両手いっぱいの袋をテーブルへ置いた。
きっと沙夜のために、いろいろと持ってきてくれたのだろう。
「お義母さん、心配かけてすみませんでした」
「いいのよ。あのときは本当に気が動転しちゃったけど、こうして元気になってくれてほっとしたわ。そうそう、昨日あなたが眠っている間にお父様もいらしたの。今日の夜、また来るって言ってたわ」
美智子は袋から果物や飲み物を取り出し、手際よく冷蔵庫へしまっていく。
その姿を眺めながら、沙夜はあの日、義母が自分のために泣き叫んでいた声を思い出していた。
こんなにも心配してくれた人がいる。
こんなにも自分を想ってくれる人がいる。
その事実に、胸がじんと熱くなった。
「あの……司さんは?」
「ああ、今日からまた海外出張ですって。あなたのことを心配していたけれど、病院にいるから大丈夫よって言ったら、少しホッとしたみたい」
「そうですか……。赤ちゃんは? 赤ちゃんは元気にしてますか?」
「ええ。ここへ来る前に会ってきたけれど、とても元気そうだったわ。この病院に転院させてもらえるよう手配したから、明日には会えると思うわ」
愛しい我が子に会える――その事実に胸がじんと熱くなる。
そのとき、美智子が棚に置かれているベビーシューズに気づいた。
「まあ! なんて可愛らしい靴なの! 司さんからのプレゼント?」
美智子は興味津々といった様子で、小さな靴を手に取り愛おしそうに眺めた。
「まあ、ちっちゃい……。こんな小さな靴を履いてよちよち歩くのね。楽しみだわ」
美智子は初孫となる赤ちゃんの存在が嬉しくて仕方ないようだ。
「色がベージュってことは、性別が分からないときに買ったのかしら?」
「たぶん……。生まれるまで性別は知りたくないって私が言ったので……」
「だからどちらでも似合う色を選んだのね」
美智子はふふっと笑い、靴を棚へ戻した。
「何か食べる? お夕飯までまだ時間があるし、リンゴでも剥きましょうか?」
「いえ、大丈夫です。それより……美智子さん、少しお聞きしたいことがあって」
沙夜は、胸に引っかかっていた“あの件”について、思い切って尋ねることにした。
「あらたまって、どうしたの?」
「その……私がまだ結婚する前、美智子さんが電話で“銀行で誰かを監視する”ような話をしているのを偶然聞いてしまって……。あれはどういう意味だったのかと」
美智子は驚いたように目を見開き、しばらく考え込んだ。
そして、観念したように口を開く。
「そう……聞いてたのね……」
「……はい」
「あれはね、あなたの周りの人のことだったのよ」
「周りの人?」
「そう。今はもう銀行を辞めたから言ってもいいわね。あなたが仲良くしていた後輩の川原梨花さんと、営業部の三国怜央さん。その二人についてだったの」
(やっぱり……)
沙夜は、あちらの世界で見たことが現実だったのだと確信した。
「どうして二人を監視していたんですか?」
「私の同期から情報が入ったのよ」
「同期って……秘書室長ですか?」
「ええ」
秘書室長は沙夜の上司でもあり、同時に美智子の同期でもあった。
美智子も父・稔と結婚する前は、秘書室で働いていたのだ。
「彼女とは結婚後も親しくしていてね。ある日、“あの二人には気を付けて”って忠告されたの。あなたに近づいて、何か企んでいるんじゃないか……そう思ったそうよ」
沙夜は、自分の知らないところで上司に守られていたことを知り、胸が熱くなる。
「二人は何か企んでいたんですか?」
「室長は女の勘で、二人が深い仲だと気づいていたみたい。それなのに川原さんがあなたに三国さんをしきりに勧めていたから、変だと思ったらしいの。もしかしたら、あなたのお見合いを邪魔しようとしてるんじゃないかって……それで監視を続けてもらっていたの」
やはり――あのことは本当だったのだ。
義母からすべてを聞き終えた沙夜は、胸の奥がきゅっと痛んだ。
「そうだったんですね……。私、全然知らなくて……。お父さんは知ってたんですか?」
「ううん、話してないわ。余計な心配をさせたくなかったから、私と室長だけで内々にね」
「そうでしたか。すみません、いろいろとお気遣いいただいて」
どこか距離があると思っていた義母が、こんなにも自分のことを案じてくれていた――
その事実に、沙夜の胸はじんと震えた。
美智子は決して押しつけがましい人ではない。
けれど、沙夜が困っているときには、いつもさりげなく手を差し伸べてくれた。
幼いころの沙夜は、その控えめな優しさに物足りなさを感じていたが、子供を持ったことのない美智子にとっては、それが精いっぱいの愛情表現だったのかもしれない。
そう思うと、これまで育ててもらった感謝が胸の奥から溢れ出してきた。
(当たり前だと思って、感謝もせず……人の親切を見逃していたなんて。私、だめだわ……)
沙夜は自分の振る舞いを心から反省し、ずっと言えずにいた言葉を口にする決心をした。
「“お母さん”……いつもありがとう。本当はお嫁に行く前に言うべきだったけれど、今こうしてお母さんがいてくれることのありがたさを心から感じています。お礼を言うのが遅くなってごめんなさい。お父さんのことも支えてくださって……本当に感謝しています。ありがとう」
言い終えると、沙夜は深く頭を下げた。
顔を上げると、美智子は涙を浮かべたまま、言葉を失っていた。
「お母さん……?」
呼びかけにハッとした美智子は、慌てて目尻の涙を拭いながら言った。
「ちょっとびっくりしちゃって……でも、嬉しいわ。私ね、お父さんと結婚したとき、いきなりあなたのお母さんになったでしょう? 子供を持ったことがなかったから、どう接していいのかいつも悩みながらやってきたの。でも、あなたは素直に育ってくれた。そして、血の繋がらない私を“お母さん”って呼んでくれて……本当に嬉しかったの。あなたは私を母にしてくれただけじゃなく、可愛い孫まで授けてくれて……本当にありがとう。ありがとうね」
言い終えると、美智子は肩を震わせて泣き出した。
その涙につられるように、沙夜の頬にも涙が伝う。
「ふふっ、お母さんったら……私まで泣いちゃうじゃない」
「本当に……困ったわね。でも、勝手に涙が出てきちゃうんだもの」
美智子はハンカチで涙を拭い、ふと思い出したように口を開いた。
「あなたの亡くなったお母さんはね、私が本当にお世話になって……心から尊敬していた先輩だったの」
「母が……?」
「そう。私はお母様の三期後輩だったの。でも突然亡くなってしまって……。そのあとお父様との結婚話が出たとき、すごく迷ったのよ。あんな素晴らしい先輩の代わりが務まるのかって。でも、お世話になった先輩のご家族だからこそ力になりたいと思ったのよ。あのときの選択は間違っていなかったわ。だって、こんな素敵な娘と孫に出会えたんだから。こんな幸せ、他にないわ」
美智子の穏やかな微笑みを見つめながら、沙夜は彼女の新たな一面を知り、さらに義母への愛情が静かに深まっていくのを感じた。
コメント
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沙夜ちゃん…素敵な“お母さん”が二人もいる、タイムリープした世界で タクシーの運転手として見守ってくれたお母さん。現実の世界であの2人から守ったくれたお義母さん。優しい思い遣りに気付いて本当の家族になりましたね😭ヨカッタ( ߹꒳߹ )♡︎私も嬉しいです 司さんからのベビーシューズのプレゼント…直接渡して欲しかったなぁ 傍にいて声もかけて欲しかったなぁ 司さん早目に帰って来てくださいね😉
まさに母の愛、母性ですね💖 そして司さんからのベージュのベビーシューズ💕みんなから愛されてますね、沙夜ちゃん🥹🥰
お互いの「ありがとう」と、お母さんと呼べたことに胸がいっぱいで涙でした(;-;) 沙夜ちゃんが大切なことに気づけて本当に良かった✨️ 次は司さんと、お互いの想いを伝え合えますように…(*´˘`*)🍀