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夜明け前の駅は、冷たい霧の匂いをまとっていた。
真白 湊は、肩から滑り落ちそうなリュックを持ち直し、ホームに降り立つ。
空気が違う。海に近い町特有の塩っぽさ。数年ぶりに吸い込むその匂いは、懐かしいはずなのに胸の奥をざらつかせた。
改札を出ると、ロータリーはまだ薄い群青色の中。コンビニの灯だけがぽつりと光っている。
小さな頃から見慣れた景色――それなのに、足が少しだけ重い。
「……陸、どうしてるかな」
口にした名前は、早朝の空気にあっけなく溶けた。
早瀬 陸。幼稚園からの幼なじみ。
小学生の頃は、毎日一緒に駄菓子屋へ寄って、くだらない話で笑い合っていた。
けれど中学に上がった頃、陸は急に学校へ来なくなった。やがて髪を染め、噂になるほどの“不良”になった――と風の便りに聞いた。
あの最後の記憶が蘇る。
三年前、帰省中に駅前で偶然見かけた陸。制服を崩し、耳には小さなシルバーのリング。
鋭い目がこちらをかすめた瞬間、湊は声をかけられず、そのまま立ち尽くした。
「……会えるのか、俺に」
独り言のように呟くと、胸がひどくざわついた。
再会を願っているのか、それとも恐れているのか、自分でもわからない。
実家までの道を歩く。
空がわずかに白んできて、町の輪郭がにじむ。
潮の匂いに混じるパン屋の焼きたての香り――子どもの頃と同じ匂いだ。
だが、もうその頃には戻れない。
ふと、スマホが震えた。
母からの短いメッセージ。
「朝ごはん用意してある」
それだけで、不思議と少し肩の力が抜ける。
家の角を曲がったとき、後ろからエンジン音が近づいた。
早朝の静けさを裂くように、低いバイクの音。
湊は反射的に振り向く。
黒いパーカーのフードを深くかぶったライダーが、こちらを一瞥して通り過ぎた。
顔は見えない。けれど――胸の奥がわずかに騒ぐ。
「……まさか」
呟きながらも、確認する勇気は出ない。
バイクのテールランプが、薄明の街道に小さく消えていった。
湊は深く息を吸った。
再会は、きっともう始まっている。
まだ何も起こっていないのに、そんな予感だけが、心の奥でゆっくりと膨らんでいった。