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夏の夜は重く、風は止まっていた。
家の中に漂うのは、静寂ではなく、凍りついた時間だった。
父の荒い寝息が薄暗い部屋に響く。
母は黙って台所の灯油を瓶に注ぎ、蓮司の目をじっと見た。
その瞳には恐怖も怒りもなく、ただ深い諦念が宿っていた。
「……あなたが、やりなさい」
その言葉は命令ではなく、最後の繋がりのように響いた。
蓮司は手が震えながらも、マッチを擦った。火花が灯油の香りと混ざり、やがて――
父の身体が火に包まれた。
熱が、音が、彼の全てを焼き尽くしていく。
断末魔の叫びは耳ではなく、胸の奥に“感触”として刻まれた。
あの夜から、蓮司の世界は崩壊した。
「善悪」「痛み」「日常」すべてが溶け出し、かわりに生まれたのは、薄笑いの狂気だった。
彼は笑った。
意味のわからない、狂おしい笑いを。
誰も理解しないその笑いは、無防備な武器であり、壊れた鎧でもあった。
中学、高校と時は流れ、蓮司は暴力と破壊を遊びに変えた。
誰を試し、誰を裏切るか。すべてがゲームだった。
本気を出せば誰も逆らえないことを知りながら、ふざけているように振る舞う。
だが、心の奥底に沈むのは、あの夜の火の熱。
それが彼を縛り、笑顔を縛る。
彼は誰にも壊されない。
壊れないために、狂うことを選んだのだ。