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久我は、捜査資料を机に広げたまま、しばらく動けずにいた。
失踪者三名。年齢も職業もばらばら。交友関係も重なりはない。
だが、共通点が一つだけあった。
失踪直前の数時間が、全員そろって空白になっている。
防犯カメラ、通話記録、位置情報。
いずれも、意図的に避けられているとしか思えない途切れ方だった。
――黒瀬の顔が脳裏をよぎる。
あの静かな視線。必要以上に正確な観察。
偶然ではない。
だが、それが“犯行”を意味するかどうかは、別の話だ。
久我はファイルを閉じ、取り調べ室へ向かった。
ドアを開けると、黒瀬は今日も同じ姿勢で待っていた。
まるで、呼ばれることを前提に存在しているようだ。
「今日は、事件の話をする」
久我は先に言った。
黒瀬は、穏やかに頷く。
「ええ。ようやくですね」
その言い方が、久我の神経を逆撫でする。
「失踪者たちの行動履歴に、共通の空白がある」
「知っています」
即答だった。
久我は視線を鋭くする。
「……なぜだ」
「空白は、隠したいからではありません」
黒瀬は、少し間を置いて続ける。
「残したくなかったからです」
「誰が」
「彼ら自身が」
久我は、思わず眉をひそめた。
「失踪者が、自分で?」
「ええ。あなたは“被害者”という言葉を使いますが」
黒瀬は、静かに言葉を選ぶ。
「彼らは、何かを選んだ人たちでもある」
久我は、机を軽く叩いた。
「被害者に選択があったと言いたいのか」
「責任の話ではありません」
黒瀬はすぐに否定する。
「ただ、あなたが“守りたい像”と、事実がずれるときがある」
久我は、息を吐いた。
言い返したい衝動を、かろうじて抑える。
「……君は、彼らと会っていたのか」
「会っていました」
初めて、はっきりとした肯定だった。
久我の背筋が、わずかに伸びる。
「いつだ」
「空白の時間に」
久我は、録音機のランプを確認した。
赤は、確かに点いている。
「何をした」
黒瀬は、視線を落としたまま、少し考えたあと答えた。
「話をしました」
「それだけか」
「それ以上でも、それ以下でもない」
久我は、胸の奥にわずかな苛立ちを覚える。
「……なぜ、通話記録や映像が残らない」
「残さないように、選んだからです」
黒瀬は顔を上げた。
「彼らは、“見られたくなかった”。
あなたのような人に」
久我は、言葉を失う。
自分が、守る側であるという前提を、根元から揺さぶられる。
「……君は、彼らをどこへやった」
黒瀬は、その問いにすぐには答えなかった。
代わりに、久我を見つめる。
「久我さん。あなたは、“空白”が怖いですか」
「質問に答えろ」
「空白は、想像を許します」
黒瀬の声は、低く、静かだった。
「だから、人は真実よりも残酷になる」
久我は、椅子から立ち上がりかけ、止まる。
「……君は、何者だ」
「それを決めるのは、あなたです」
黒瀬は、そう言って微かに首を傾げた。
「犯人にするか、証人にするか。
あるいは――」
言葉が、途中で切れる。
久我は、続きを待った。
だが、黒瀬はもう何も言わなかった。
取り調べ室に残ったのは、
埋められない空白と、
それを見つめ続ける視線だけだった。
久我は、その視線から目を逸らしながら、
初めて“事件の核心に近づいている”という感覚と、
同時に、引き返せない場所へ踏み込んだという確信を抱いていた。